盛岡タイムス Web News 2016年  7月 20日 (水)

       

■  〈日々つれづれ〉335 三浦勲夫 今を歩く、昔を歩く


  現在は盛岡市日戸(ひのと)。昭和22(1947)年当時は、玉山村日戸。そこから盛岡市の仁王新町(現・本町通)まで家族4人で歩いた。大人でも5時間はかかる。私は6歳、小学1年生になったばかり。妹は3歳、両親は若かった。

  汽車賃が出せなかったのだろう。一番近い滝沢駅まででも2時間はかかっただろう。それならばと思ったか、5時間以上歩いて、引っ越した。信じがたい話である。とにかく、終戦直後で、食べるのに精いっぱい。ぜいたくなことなど言っていられなかった。

  田野畑村にいる友人の話では、やはり当時、家族で墓参りに行くには朝早く家を出て、山道を歩いて、岬の反対側の墓に着く。そこで、墓参りをして、昼食を食べたそうだ。便利な道がなかった。陸の孤島、岩手のチベットと呼ばれた。今は復興道路が真新しい姿を見せて、谷間も橋で結んでいる。

  昔の道路事情はがらりと変わった。しかし、変わった道でもいいから、またたどってみたい。あの時、自分は「何里歩いた?」と、親に聞きながら歩いた。両親も大変だったろう。子どもを励まし、おぶったり、休んだりしながら、歩いた。行き先を知らずに赤土の山道を歩かされた。思えば、あの遠い道が「今」という時につながっている。

  70年後。6歳の子には見えなかった「未来」、「山道の向こう」に今いる。そして運動のために歩く。長ければ10`、2時間半。つなぎ温泉に浸ってバスで帰る。6歳でこの距離以上を歩いたのか!と驚く。北天昌寺町の自宅から、青山町をくねくねと歩いて帰れば1時間15分で、4・5`になる。

  運動公園。川の土手。走りもする。60代までは、時には10`走った。体力が下降すると、若いころ、幼いころを思い出す。昔の道を歩きたい、その道が変わっていたら、新しい道を歩きたい、と感じる。この願望はなぜ生まれる?と考えた。「運動」は「通学」「通勤」「買い物」という義務的な歩きではない。無我、恍惚感(ランナーズハイ)、無目的で、「徘徊」にも通じるかもしれない。この先、要注意かもしれない。

  叔母も盛岡から玉山の日戸まで、昭和21年に歩いたことがある。借家のわが家まで来てくれた。今はグランドホテルの駐車場にあたるところから、北に向かう細い山道がある。それを高松の池の方向に向かう。私も何度か歩いた。池を過ぎて歩き続ければ5時間で日戸に着いたそうだ。あの辺りは北山の細い道である。その先はどう続いたか。トボトボと、はるばると、遠い昔の道があった。

  昔の道はほかにもある。何度も転校した通学路。懐かしい。運動で歩くときは無我だが、歩き終わると記憶が昔へと招く。一万歩あるいはそれ以上を歩くことが、体力をつけ、脳を起動し、想像の林へと誘う。林はかなり切り開かれた。昔のまま、木陰に残る部分もある。今と昔がまだらになり、日差しや木陰が明暗をなす。

  鳥の声、キツツキの音と姿、セミの声、花の姿も変わらない。変わらない生物種が、命を受け継ぐ。山も川も生きている。昔のまま生きている。人も、時代も、環境も変わったが、命は続く。想像が妄想、徘徊にならないようにと気付いて、現実に返る。


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