盛岡タイムス Web News 2017年  3月  10日 (金)

       

■  前川崚さん 握りしめた白球に決意 元大槌高ナイン 震災後の快進撃を胸に しぇあハート村巣立ち 埼玉の小学校教諭に


     
  2月に開かれた、しぇあハート村の「追い出しコンパ」で、仲間に囲まれ笑顔を見せる前川崚さん(中央)  
  2月に開かれた、しぇあハート村の「追い出しコンパ」で、仲間に囲まれ笑顔を見せる前川崚さん(中央)
 

 2012年夏の高校野球県大会。東日本大震災の傷が癒えない中、開催された、この大会で、大槌高は13年ぶりにベスト8に進出。逆境をはねのけ、快進撃を果たした選手たちの姿は、県民に大きな勇気と希望を与えた。このときのナインの一人、前川崚さん(22)=釜石市出身=は高校卒業後、盛岡大文学部児童教育学科に進学。もりおか復興推進しぇあハート村の学生寮で4年間、暮らし、この春、卒業する。4月からは、埼玉県さいたま市の小学校教諭として子どもたちと向き合う。

  ■不屈のベスト8

  12年夏の大会。大槌高は2回戦、盛岡農との延長15回の死闘を制し3回戦へ。続く盛岡北戦も粘り1点を守り抜いた。不来方との準々決勝は、5回まで0対5の劣勢。そこから1点差まで追い上げ、敗れはしたが不屈の精神を体現した。 「いいチームでした」。前川さんは全力で駆け抜けた高校時代を振り返る。

  高2への進級を控えていた6年前の3月11日。高台にある学校のグラウンドで練習中、大きな揺れに襲われた。建物から土煙が立ち、町の人が続々と逃げて来る。停電、断水。トイレに流す水をプールからバケツでくみ上げる作業に追われるうち、夜になった。

  2日後、学校に迎えに来た父親と再会。初めて町の惨状を知る。新築して3年ほどだった釜石市鵜住居の自宅は流失。家族は無事だったが、中学校で一緒に野球をしていた親友や顔見知りだった仲間の父親ら、周りの多くの人が命を落とした。

  4月下旬、学校が再開。体育館では被災者が生活を続け、グラウンドには自衛隊が駐在していた。それでも、野球部は夏の甲子園を目指し、内野のごく限られたスペースで練習を始動。失った道具やユニフォームは、全国の支援者が贈ってくれた。5月には震災前、縁あって合同練習した北海道の野球の名門校・駒大苫小牧が遠征に招待してくれた。その後も一流の指導者がコーチに訪れるなど応援が続く。

  「確かに普通では野球ができない状況だった。でも、みんなが助けてくれた。厳しい状況の中で、できる一番いい練習ができたんだと思う」。その成果は3年生の夏、古里の人の心を打つチームの姿として結実した。

  ■監督との絆

  前川さんは釜石東中出身。家から近い釜石高などと進路を迷ったが、指導力が評判になっていた佐々木雄洋監督(現久慈高教諭)がいる大槌高へ入学を決めた。

  負けず嫌い。「野球をするために大槌高に来た」と作文に書き、1年生のときから気に入らないことがあると反抗的な態度も取った。「ただでは終われない」と焦り、プレーにミスが出るとふてくされる。

  佐々木監督から呼び出され「お前は言っていることと、やっていることが矛盾している。俺が思っている1割も力が発揮されていない」と厳しく指導された。

  「恥ずかしかった」。作文に格好いいことを書いても行動が伴っていない。この時、「自分が言ったことには責任が生じる。言葉にするからには、それなりの行動をしなければいけない」と心に刻んだ。最後の夏の大会は、副主将としてセンターを守り、打撃でも粘った。

  存在の大きさをより強く感じるようになった佐々木監督とは、今でも連絡を取り合う。岩手の教員採用試験は2次試験まで進んだが不採用。さいたま市の教員になることを報告すると「岩手で講師になることもできるだろ。岩手に貢献しなくていいのか」と問い詰められた。

  「一人の人間として世界観を広げるためにも、外に1回出るのもありだと思います。もっとレベルアップして岩手に戻って来ます」。素直に気持ちを伝えると、佐々木監督は「絶対、戻って来い」と背中を押してくれた。

  ■しぇあハート村で4年間

  両親は震災後、間もなく離婚した。前川さんは男3兄弟の長男。親に経済的な負担は掛けられないと、被災学生向けの奨学金を得て大学に進んだ。家賃無料のしぇあハート村の学生寮(シェアハウス)は、おばが教えてくれた。

  仕送りはない。塾講師、寿司屋の店員などアルバイトを掛け持ちして生活費を稼いだ。費用がかさむ大学の硬式野球部の入部は断念したが、軟式野球部で野球も続けた。

  「つらくないか」と気遣ってくれる人もいる。「自分は親も兄弟も元気。周りには、もっと苦しい状況の人が、たくさんいた。これだけ応援されて、頑張れなかったら申し訳ない」と話す。

  首都直下型地震など新たな大災害の発生も懸念されている。「自分が被災者だからではなく、たくさんの経験をしたからこそ、子どもたちに、災害があったときに生きる指導をしたい」。自分の命も、周りの命も大事にできる子どもを育てたいという。「いくら授業がうまくても、先生が好きでないと、子どもたちは聞いてくれない。子どもに寄り添える、尊敬される先生になりたい」と気持ちを引き締める。

  しぇあハート村では沿岸被災地から来た学生3人と一つ屋根の下で暮らし、地域の人とも交流した。「シェアハウスがなかったら、自分は大学生になっていないし、先生にもなれなかった。ここがあれば、自分の夢にチャレンジできる人がたくさんいる」と感謝。「自分はそんなには頑張れなかったけれど、置かれた環境で、できることをやれば大丈夫、と後輩たちに伝えたい」(馬場恵)


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