盛岡タイムス Web News 2017年  3月  19日 (日)

       

■ 藤原嘉藤治と宮沢賢治 友情の調べ永遠に ポラーノの広場 没後40年命日に映画会

     
  嘉藤治の魅力を語る瀬川正子さん  
 
嘉藤治の魅力を語る瀬川正子さん
 


 紫波町水分出身で、宮沢賢治全集出版などに尽力した藤原嘉藤治(かとうじ、1896−1977)は命日の22日で、没後40年となる。音楽教諭時代に嘉藤治は賢治作品にほれ込み、賢治の死後には高村光太郎ら当時の文豪たちとともに賢治全集の出版に大きく貢献した。同町で嘉藤治の顕彰などの活動を行うNPO法人ポラーノの広場(瀬川正子代表理事)では、命日に合わせ20年前に制作された映画「わが心の銀河鉄道」を同町紫波中央駅前の町情報交流館で上映する。

 1896(明治29)年、嘉藤治は賢治と同じ年に生まれる。学生時代からピアノやチェロを弾いており、1921年に花巻高等女学校の音楽教師となった。

  そこで、同校に隣接する花巻農学校の教師だった賢治と出会う。以降、親友として交友関係を深める中で、嘉藤治は賢治の才能をいち早く感じ取り、その作品に深くほれ込んでいった。

     
  藤原嘉藤治(30歳前後の頃)  
 
藤原嘉藤治(30歳前後の頃)
 

  嘉藤治の最大の功績は、1944(昭和19)年までの10年間で行われた「宮沢賢治全集」の出版とされる。35年に花巻高等女学校を退職し、上京。高村光太郎や谷川徹三、横光利一、中島健三らとともに仕事に携わった嘉藤治は、出版社との契約など実務全般を仕切った。出版契約書の作成を行うなど、宮沢家の代理人、証人として全幅の信頼が置かれていたという。

  戦中の混乱の中で大きな仕事を果たした嘉藤治は、45年8月の終戦間近に紫波へ帰郷。晩年を開拓農家として古里で過ごすことになる。本県の開拓民の中心的な人物として活躍し、県開拓者連盟委員長などを務めた。71年県政功労賞、72年に勲5等瑞宝章を受章した。

  ポラーノの広場では22日の命日に合わせて上映会を企画したほか、10日から16日まで、嘉藤治が賢治全集出版に関して、宮沢家など関係者から送られた手紙などをパネルにして同交流館に展示。上映会でも数点を展示し、嘉藤治の功績や全集出版、開拓に懸けた思いを紹介する。

  瀬川代表理事は「嘉藤治さんのような人物がいた、という昔話では終わらせたくない。賢治全集出版や、開拓への考えや思いというのは、現代にも通じるものがある。顕彰活動を通して、今こそ嘉藤治の精神を知ってもらいたい」などと話している。

  映画「わが心の銀河鉄道」は、賢治生誕100周年に合わせて制作されたもので、賢治と嘉藤治の交友を描いている。上映は町情報交流館2階大スタジオで午後6時(開場は同5時半)から同8時。入場無料。(山下浩平)


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