盛岡タイムス Web News   2017年  8月  14日 (月)

       

■  紺碧の友嬢(中) 青い目の人形来日90年 童心は時代の懸け橋 盛岡幼稚園 メリーとメーガン 故・池野さん(オクラホマ州)贈り姉妹に


     
  メリーちゃん、メーガンちゃんと盛岡幼稚園の園児たち  
 
メリーちゃん、メーガンちゃんと盛岡幼稚園の園児たち
 

  盛岡市中央通1丁目の幼保連携型認定こども園・盛岡幼稚園(坂本信之園長)には、1927(昭和2)年岩手県に配布された263体の1体である「メリーちゃん」が残されている。戦時中の様子や発見の経緯は分かっていないが、90年間大切に保存されてきた。メリーちゃんには「メーガンちゃん」と命名された妹がいる。卒園生で、米国オクラホマのタルサ短大日本語教授だった故・池野のぶ(のぶ・池野・ファリル、1921〜2012)さんが1999年、後輩たちに贈った人形だ。戦後わずか5年で単身米国に渡り、日米の相互理解に力を尽くしたのぶさん。青い目の人形に、どんな思いを寄せていたのだろうか。(馬場恵)

 ■日本に勝った米国、自分の目で

  のぶさんは、盛岡の老舗、木津屋(池野家)の分家である商家に生まれた。6人きょうだいの長女。東京女子高等師範学校(現在のお茶の水女子大学)を卒業し、盛岡の師範学校女子部や県立女子専門学校(後の盛岡短期大学、現在の県立大盛岡短期大学部)の教師を務めていたが1950年、米国に留学。現地の大学で学び、その後、ヨーロッパにも渡って見聞を広げた。

  留学はアメリカの教育使節団主催の指導主事講習会に派遣されたことがきっかけ。のぶさんの実妹の足澤禮子さん(88)=盛岡市=によると、のぶさんは好奇心旺盛で勉強熱心。「日本に勝ったアメリカという国はいったいどんな国なのか。どんな教育をしているのか、通訳や人の話ではなくて自分の目で確かめたい」と意気込んで出掛けたという。

  米国の大学を卒業後、ヨーロッパへ渡る費用をためるため、陸軍語学学校で日本語教師として働いた。その縁で、教え子だった夫の故・ボブ・ファリルさんと知り合い国際結婚。米国で幸せな家庭を築き、子育て後は高校や短大の教授も務めて、日本語教育や日本文化の紹介に貢献した。

  ■メリーちゃんに会いたい

  のぶさんが生前記した著書「わたしのアメリカ わたしの日本」(暮しの手帖社編集)によると、池野さんは、盛岡幼稚園に通っていた当時、暖炉の周りを飾るマントルピースの上に飾られていた「メリーちゃん」に興味津々だった。何とかして触りたい、抱っこしてみたいと何度も思ったが、ガラスケースを通して眺めているだけだったという。

  60年近い歳月が流れ、孫のメーガンちゃんが生まれると、かつて幼稚園で見た人形への思いはますます強くなった。著書には「メーガンを授かって、思いっきり触ったり抱きしめたり出来るのは、ピンクのドレスを着たあのお人形がそうさせてくれたのではないかと思われて仕方がない」と記している。

  そして1993年、娘のサンドラさん、息子のロバートさん、孫のメーガンちゃんと一緒に親子3代で盛岡幼稚園への訪問を実現。さらに6年後、メリーちゃんの妹として孫と同じ名の人形「メーガンちゃん」を贈った。

     
  のぶ・池野・ファリルさん(左)と夫のボブさん。1993年、叙勲受賞の記念の1枚(足澤禮子さん提供)  
   のぶ・池野・ファリルさん(左)と夫のボブさん。1993年、叙勲受賞の記念の1枚(足澤禮子さん提供)  

  ■日米親善の願いは時を超えて

  タルサの高校や短大で教える以前から、のぶさんは子どもたちに折り紙を教えるなど、日本文化の紹介に力を入れていた。さらに、米国の生徒を連れて日本を訪問したり、日本の高校との交流体制を整えたりと、日本に関心を抱き、日本語を学ぶ米国の若者を増やすために奮闘した。ドイツ語やフランス語といった諸外国の言語に比べて日本語は学ぶ生徒が少なく「平等のようではあるが、不平等の立場にある」と感じていたようだ。

  91年11月のエッセーには「日米問題の解決にはなんとしてもアメリカの次の世代に日本語を学んでもらうことが大切である。同時に日本文化の紹介、それを将来の日米関係の好転に役立たせたい。私のように、幸いにも戦前、戦争直後、現在の日本について承知し、現役で働ける者が少ない現今、なんとしてでも、このオクラホマで頑張らなければならない」と記している。その決意は、かつて人形に日米友好の願いを託したギューリック博士の思いにも重なって見える。

  のぶさんが贈ったメーガンちゃんには、のぶさん手製のドレスやエプロンの着替えも添えてあり、園児たちが自由に触れて遊べるようにとの願いが込められていた。青い目の人形とじかに遊んだ経験が将来、人形に託された思いを知るきっかけになると考えたのかもしれない。

  メーガンちゃんは当初、いつでも園児が触れられる状態だったが、年月の経過による傷みが心配されるため、現在はメリーちゃんと一緒に、職員室の戸棚の中に保管されている。園の父母会の行事である「ふたばまつり」や3月の桃の節句には、園児たちのよく見える場所に飾られ、その由来が紹介されているという。

  坂本園長は「世界平和は子どもから。先輩の先生方の思いを大事に、周りの人にも、世界にも目を向けられる子どもを育てたい」と話した。

■盛岡幼稚園と青い目の人形「メリーちゃん」

  盛岡幼稚園は、盛岡に赴任したキリスト教宣教師ミセス・タッピングが1907(明治40)年に設立した県内初の幼稚園。ドイツの音楽学校で学んだタッピング先生は、幼児の情操を高めるためには本物のピアノが必要と、わざわざアメリカからピアノを取り寄せたほど。そのピアノは現在も幼稚園のシンボルとして美しい音色を奏でている。

  太平洋戦争で、全国に贈られた多くの人形は敵がい心で処分されたが、メリーちゃんは、ケースごと倉庫に保存されていた。タッピング先生の熱い志を引き継いだ関係者が、人形を密かに守ったことは想像に難くない。


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