盛岡タイムス Web News   2018年   6月  24日 (日)

       

■ 楢山佐渡(盛岡藩最後の家老)をしのぶ 盛岡市聖寿寺 100人参列し150年遠忌

     
  聖寿寺で営まれた盛岡藩最後の筆頭家老、楢山佐渡の150年遠忌  
  聖寿寺で営まれた盛岡藩最後の筆頭家老、楢山佐渡の150年遠忌  


 盛岡藩最後の筆頭家老、楢山佐渡の150年遠忌(おんき)が命日となる23日、楢山家の菩提所である盛岡市北山の聖寿寺(高橋英玄住職)で営まれた。今年は、戊辰戦争が終結して150年の節目。法要には、南部家の関係者や盛岡市民ら約100人が参列し、幕末の世を盛岡のために命懸けで生き抜いた楢山をしのび、焼香した。

 盛岡藩筆頭家老の楢山は幕末、盛岡藩が新政府側につくか、奥羽越列藩同盟側につくかの選択を迫られる中、同盟側につき、新政府側の秋田藩へ侵攻することを主張。こうして幕を開けた秋田戦争で、同盟側は新政府側に敗れた。楢山は盛岡藩における責任を一身に背負い、幽閉生活の後、1869年6月23日、同市北山の報恩寺で斬首刑に処され、39歳で生涯を終えた。

  聖寿寺本堂で行われた法要では、般若心経の読経に続き、本尊・開山回向、導師法話などがあり、南部家46代当主の南部利文氏、達増知事、谷藤裕明盛岡市長らが焼香。その後、参列者が回し焼香した。敷地内の墓所に場所を移し、参列者が楢山の墓前に献花、焼香し、手を合わせた。

  同日は、150年遠忌に合わせて、本堂に楢山直筆の墨蹟の複製も展示された。「いくとせも 國安かれと祈るらん たゞひとすじに 武士(もののふ)の道」と書かれた短歌は、1869年6月に処刑される直前に報恩寺で詠まれたもの。その短歌や書かれた文字からは、国や藩の安泰を祈って、武士道を一筋に貫いた楢山の思いが読み取れる。
  法要後、高橋住職は「150年遠忌は楢山家本家の最後の当主となった楢山ミツエさんの願いで、皆さんの温かいしのぶ心をいただき、故人に応えることができた。私たちは祖先の屍の上に命を繋いでおり、祖先の恩に報いることを忘れてはいけない。それと同様に社会にもそれを築いてきた祖先がいて、まさに戊辰戦争で亡くなった方はそういう働きをしてくれた有り難い人たち」とあいさつ。

  南部氏は「大勢の皆さんがお集まりの中、150年遠忌が催行できたことを南部家当主として改めてお礼する。戊辰戦争後150年。この150年という節目に、大きな事故や戦争がなく、自然に時代が変わっていくことに立ち合える私たちは幸せ。(楢山佐渡を)未来を担う人たちに、先人として伝え残していきたい」とした。

  谷藤市長は、原敬の「顧みるに、昔日もまた今日のごとく国民誰か朝廷に弓を引く者あらんや。戊辰戦役は政見の異同のみ」の言葉を取り上げ、「結果として盛岡藩は戦に敗れ、楢山佐渡は切腹の形を持って処刑されたが、原の言う通り、これはただ政見が違っていたため。残された人々は、敗戦による困苦に耐え、朝敵の汚名をすすぐため、力を尽くし、原敬や新渡戸稲造、米内光政など有為な人材を数多く輩出した。本年は明治150年、自身の説を貫き、武士として生きた楢山佐渡をはじめとした先人たちの辛苦と努力に改めて思いをはせたい」と話した。


本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします