盛岡タイムス Web News   2019年    1月   19日 (土)

       

■ 〈体感思観〉 編集局 戸塚航祐 裸参りを見る側のマナー


 盛岡地域の裸参りで例年、参拝者の列を横断する人が見られる。列を横断すれば願いがかなわないとされ、主催する団体は注意を呼び掛けているが、毎年どこかの地域で横断する人が出る。列の反対側へ行くには先頭か最後尾から回り込まなくてはならない。反対側からの写真撮影など横断したくなる気持ちは分かるが、ぐっとこらえることも必要ではないだろうか。

  裸参りは裸祭りなどとも呼ばれ、全国で行われている民間に伝わる神事。本県では奥州市水沢の蘇民祭などが有名だ。裸になる理由は地域で異なるが、生まれた時と同じ清浄無垢(むく)な姿となることで神仏と交渉し、願いをかなえるとも言われる。正月など寒中の裸参りは、禊(みそぎ)として厄を落とし、新たに生まれ変わる儀式とも言われる。

  八幡平市平笠裸参りの参拝者から、長さ3b以上の験竿(けんざお)に付いた白い紙は山々の数を表していると聞いた。そう聞くと、山の神様が歩く参拝者を艱難辛苦(かんなんしんく)から守っているのだろうと感じられる。

  また、裸参りは地域住民にとって大切な伝統行事でもある。参拝者の横には必ず地域の住民が世話人として付き、口紙などを交換してくれる。かいがいしく世話をする世話人の目からは「無事に参拝できるように」という静かな祈りが感じられる。

  昭和の終わりに復活した雫石町の裸参りは、10年で満願達成となる。参拝者は、厳寒の中を歩く裸参りを「厳しくつらい行事」と話す。達成した人の中には10年以上歩いた剛の者もいるが、3年を待たずに諦める人もいる。

  それでも続ける人は多く、連綿と地域で受け継がれている。ある参拝者は続ける理由を「つらい行事だが、一緒に装束を作って歩く仲間が集まり、何かを成し遂げる。それが楽しい」と苦笑い。個人の願い、地域の思い、若者の思いなど確かな絆を感じさせる苦笑いだった。

  雫石町では20日、平成最後の裸参りが行われる。今年は23年にわたって途切れた伝承を町の青年有志が復活させてから40年の節目でもある。せっかくの40周年なのだ。列を横断して「祈願がかなわない参拝者が出る」なんてことにはならないように、見る側は横断を我慢して見守り、誰もが笑って参拝を終える裸参りであってほしいと願う。
 

 


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