2015年 3月の天窓


 2015年  3月  31日 ― まさかの独航空事故 ―
 万全を期す安全対策により、旅客機墜落はめったに起こらない。だから起きた場合には「まさか…」と絶句するような要因が浮上する
▼航空工学の第一人者・加藤寛一郎博士が07年に出した「まさかの墜落」(大和書房)は、《人が設計する怖さ》《人が操縦する怖さ》を説き、1996年から10年間の事例を挙げ不可解な事故が起こり始めていると指摘している
▼航空機の普及により設計や操縦に関わる人が増え「人の質」が劣化することを憂慮しているのだ。先頃、乗員乗客150人を乗せたドイツの格安旅客機が山岳地に墜落したのも、精神を病み治療中の副操縦士(27)が意図的に起こした「まさか」の惨劇と見られている
▼彼は乗務を禁じた医師の診断書を社に届けず機長になる夢も消えることを悲観。昨年、元恋人に「いつか僕の名前が皆の記憶に残ることをする」と伝えていたというが、そのたくらみを強行したのだという。時速700`の墜落で生存は望めない。1人の狂気が邦人を含む149人の命を奪う
▼機長がトイレに行き戻った時はドアの施錠を開けず、操縦代行のまま険しい山に突入したという。録音記録にはその経緯音や客室の悲鳴も残されている。運賃の格安はいいが「人の格」が落ちるのは悲しい。犠牲者を悼みつつ問題の根っこを直視したい。

 2015年  3月  30日 ― 盛岡商工会議所中期ビジョン ―
 盛岡商工会議所の中期ビジョンがこのほどの通常議員総会で承認された。具体的には2015年度から17年度までのアクション・プランであるが、予算規模も事業計画もかなり大きなものになっている。
▼絵に描いた餅にならないよう会員に浸透させ、意識を共有していかなければならない。まさに、本県の商工界をリードし、先導役を果たしていく責任を改めて自覚しなければならないだろう。
▼ところで、本県では15年度からの3年間にはどのような課題や問題があるだろうか。東日本大震災津波から5年目に入り、「復興本格化邁進(まいしん)年」をはじめ、翌年に迫った「希望郷岩手国体の成功」「中心市街地活性化」「国際リニアコライダーの実現」など、表に掲げている課題だけでもいっぱいある。
▼そうした中で、人口減少、超高齢化社会、耕作放棄地の拡大、農家や商店の後継者難などの表出している課題にも具体的な手を打たなければ、集落や商店街が崩壊してしまう。若い人たちや県内の学卒者が地元に定着するようにするには雇用先の確保と教育体系の見直しが必要であろう。
▼盛岡商議所も魅力あるまちづくり、中小企業の経営基盤の強化、観光振興、農家の経営安定、工業団地の育成、北東北の拠点化などに積極的に取り組まなければならない。

 2015年  3月  29日 ― マイナンバーの導入に ―
 13年5月に国民個々が重く関わることになる法律が成立している
▼行政を効率化し国民も諸手続きが便利になることなどをうたい、全国民に「自分の番号(マイナンバー)」を付与することを定めた法律だ。分かりやすく「国民総背番号制」などと呼ぶ人もいる。制度として始動するのは来年1月だから、身構えている人もおられよう
▼「私だけの番号」は今秋10月から国民個々へ通知を始めるという。現在、個人のデータは例えば住所や生年月日などは市町村の役所、納税は税務署、年金は日本年金機構というようにバラバラに管理している。事務効率も悪く納税者番号・年金番号のように独自の番号を設けているケースも多い
▼それに基づく機器システムも乱立しその経費も膨らむ。端的にいえばこの乱立を改め効率を良くし経費も削減して、個人データを一元管理するための制度ということになろう。固有番号は災害対策をはじめ必要な時には個人も利用できる
▼制度のテレビCMで上戸彩さんが「いろいろ便利になっていく」とPRもしている。一方預金口座、健康診断なども管理下に置こうとする動きもあり、国民の多くが裸にされると懸念を強めている。悪用犯罪防止も重要課題だ
▼強気一辺倒の安倍総理だが「マイナンバー」対応では国民の声を聞く度量がほしい。

 2015年  3月  28日 ― 和食文化の輸出 ―
 三寒四温を繰り返しているが、日ごとに光の輝きが強くなってきて春の訪れを感じることができるようになった。
▼先日、大船渡市を訪れて昼食で食堂に入ったら窓際の庭にフクジュソウが見事に咲いていた。気仙地方ではツバキが満開で、県南地方ではウメの開花があるのではないか。
▼サクラよりも一足先にウメの開花があって、ようやく春の訪れを肌で感じる。盛岡周辺ではウメとサクラが一緒に咲き始めるときがある。枯れ木のようなトゲのあるギザギザした枝にきれいな花を付けるウメは、奈良時代に薬木として中国から渡来したものだそうだ。
▼中国では「花」といえば「ウメの花」といわれているようで、掛け軸などにはウメの花やボタンなどの花がよく描かれている。日本では花はもとより、梅漬けや梅酒造りのため、庭に一本程度は植えている家が多い。
▼日本の「和食」が今、世界の国々から高く評価されているようで、農水省では来年度から和食をセットで一体的に世界に売り出していく計画のようだ。梅干しやシソの葉、食材、食器、弁当箱、箸、厨房機具、また、和菓子やお茶、日本酒といった日本の伝統食が見直されてきている。東北・岩手にはさまざまな伝統食があり、これを国内外に広めていくのは農業の活性化につながっていくだろう。

 2015年  3月  27日 ― 錦木関が十両昇進 ―

ニシキギ科に属する「錦木」は山野に自生する1・5bほどの低木で、初夏には淡い緑色の小花を付ける
▼秋には鮮やかに紅葉しその美しさがめでられ、庭の植栽にも用いられる。盛岡出身の熊谷徹也さん(24)は力士を志願して中学校卒業後に、大相撲の伊勢ノ海部屋に入門。06年3月場所で初土俵を踏み浮沈を重ねながら次第に力を付けていく
▼入門以来「熊谷」の本名で通していたが、12年7月場所からしこ名を人々に愛される先の名木にちなむ「錦木」に改めている。歴史的には江戸時代後期に大関を務めた錦木塚右エ門という力士がいた。伊勢ノ海部屋に所属し現在の北上市出身で、後に初代二所の関となり弟子育成の部屋を起こした人物である
▼ついでだがこの「二所」は南部・仙台両藩の境界にあった鬼柳関所と、相去御番所の二つの「所」に由来する。この部屋も多くの県人力士を育てている。こうした重なる由緒を背にした平成の錦木関は、これまでの最高位が西幕下2枚目だったが、先頃の春場所では4場所連続5勝2敗の快挙を果たす
▼日本相撲協会は一昨日、5月夏場所番付編成会議を開き4人の十両昇進を決めた。錦木関も戦績が評価され宿願の新十両を手中にする。角界ではここから給金も付き一人前に遇される。故郷に錦を飾る活躍に期待しよう。


 2015年  3月  26日 ― 日中韓三国首脳会談に思う ―
 日中韓三国外相会議が21日からソウル市で開かれた。2012年4月以来3年ぶりに開催され、現在の安倍政権下では初開催となった。3カ国会議に先立ち日中、日韓の個別会談が開催されたが、関係改善がなければ一連の3カ国首脳会談開催は難しいとする溝が前段に出されている。
▼その溝とは戦後70年にあたっての安倍首相の談話である。日本側は「過去の歴史のみに焦点をあてていくのは相互の関係にとって建設的ではない」とくぎを刺しているのだが、中韓両国のこだわりは強い。
▼最も近いはずの隣国との関係がなぜ、このように戦後70年の歳月へのこだわりに阻まれているのか。中国の王穀外相は、戦後70年談話をめぐり、1995年の村山談話にある「植民地政策と侵略」といった表現を、安倍首相が引き継ぐのかという問題を提起し、日中外交の綱引きを仕掛けてきている。
▼韓国は議長国として何とか指導力をアピールしたいのだが、従軍慰安婦問題で、日本に融和する姿勢を見せられないジレンマがある。さてどうするのか。
▼日本は中韓の外交カードを受け入れて無条件でのむ訳にはいかない。日中間では尖閣諸島の領有権問題もある。もし両国がはかりごとを用いるようなら、やはりこちらは誠意を持って交渉を続けていくことではないか。

 2015年  3月  25日 ― 黒沢博が度忘れを歌に ―
 これも老齢社会の光景だろうか。「あれ、あの人、名前何といったっけ?」…。親友の名を度忘れした人からこんなせりふが飛び出す。名前を探ろうと「あ・い・う〜」と50音をゆっくり声に出したりする
▼これは認知症ではなく単なる物忘れだ。「忘れたこと自体を忘れている」のが認知症の特徴で、忘れたという自覚があるのは「物忘れ」とされる。前者は例えば自分が置き忘れた物を「盗まれた」「隠された」などと騒ぎ、嫁などを泣かせてしまう
▼後者は思い出した時点で笑いが起こることが多い。確かにあれ、これなどの指示代名詞を頻発させ周囲を巻き込むが、苦笑や爆笑も伴うのが物忘れである。自らもそれを体験しこれで歌ができるぞと、ひらめいた歌手がいる。「3年目の浮気」(1982年)の大ヒットで知られるヒロシこと黒沢博さんだ
▼往年の人気歌手も今66歳。まず詠んだ歌詞の流れは、冒頭で朝食中の妻に「あれ分かる?」と問う。「忘れてるだけでしょ。いつもそうなんだから思い出して!」と妻。子どもや飲み仲間とも同様の会話をし「思い出した うれしいぜ!よかったよ」と結ぶ
▼「あれ!それ!これ!なんだっけ?」と題するこの歌は来月発売だ。既に動画でも流れているが、コミカルで曲調もリズムがよくヒロシ人気復活の予感がする。

 2015年  3月  24日 ― 北陸新幹線と長野新幹線 ―
 長野市の善光寺の御開帳が、数え年で7年に1度行われる。今年は4月5日から始められるそうだが、3月14日に開通した北陸新幹線の活気に負けないよう手を打っているのが長野市である。
▼表向きは北陸・信越観光ナビのサイトをスタートさせているのだが、北陸の途次に信越の観光を盛り上げようとしている。長野駅ビルを新装オープンさせ、沿線地域と共に新たな挑戦を始めている。東北新幹線が盛岡から八戸へと延びたときと同じ危機感であろうか。
▼例年のごとく善光寺の御開帳で長野の街が久しぶりににぎわいを呈するものと期待されているが、当方はいまだ巡り会ったことがない。今年は御開帳に合わせて国宝3点を一度に見られる企画展も行われるようだが、長野県茅野市で出土した縄文土偶「仮面の女神」「縄文のビーナス」の国宝2体、「善光寺本堂」と国宝3点を見るのには絶好の機会という。
▼4千年前の縄文人たちがどんな思いで土偶を作ったのか、そして1400年前から続く善光寺信仰で先人が何を祈ってきたのかを問うことになろう。新幹線という現代のスピード体験と国宝との対面による歴史の重みに思いをめぐらせ、ぜいたくな企画である。北陸の旅とセットで出掛ければ充実するのだが、一度に双方を出掛ければ日数はかかるのが気になる。

 2015年  3月  23日 ― 桂米朝師匠逝く ―
 春彼岸入りを見定めたように、上方落語中興の祖と仰がれた桂米朝師匠が、89歳の天寿を全うし旅立った
▼人は生きたように死ぬというが、端正で品のある振る舞いに定評があったこの人の最期も、荘厳だったという。立ち会った弟子の桂ざこばさんは「こんなに上手に…。亡くなるのはこんなにきれいなもんかと思いました」と感涙をあふれさせ語っている
▼戦後、新喜劇などに押され消滅の危機もささやかれていた落語。米朝師匠はその流れを変え巻き返す道を開く立役者となる。うずもれていた古典落語もよみがえらせ、そこに博識とセンスで手を加え現代の出来事も面白おかしく織り込んだ演目は、人々を魅了しファンが裾野を広げる
▼師匠の添削は下世話ものでも品位が落ちない。司馬遼太郎さんは随筆集(文春文庫)の中で「ずきりとするほど品がある。米朝さんほど心をよろこばせるという本質的な機能を持った文学作品に出あうことはそう多くはない」と称賛している
▼ファンだけでなく落語家志願も増える。昭和30年代初期の上方落語協会結成時には18人だった会員は今では200人を超えている。1996年には人間国宝に認定され、09年には演芸界初の文化勲章を受けている
▼ここ数日「地獄八景〜」など傑作をビデオで見ながら在りし日をしのんでいる。

 2015年  3月  22日 ―春迎えた沿岸被災地の今 ―
 17日に県内公立高校の合格発表があった。18日は春の彼岸入りとなり、本県の内陸地方にもようやく春が訪れたような気候に変わった。雪に埋もれていた北上山系の道路も3カ月ぶりに黒い舗装の路面が広々と見え、道端の枯れ草の中からは緑色の新芽が見えるようになってきた。
▼先日、盛岡から東北道、釜石道路を経て、途中遠野市の小友、そして、住田町世田米から陸前高田市、大船渡市、釜石市の3・11被災地の復興状況の視察に出掛けた。
▼陸前高田市では被災地のかさ上げ工事が最盛期でベルトコンベヤーがフル稼動している。かさ上げで、かつての陸前高田市の地形がすっかり変わってしまった。市役所の仮設庁舎、消防、コミュニティセンターなどが高台の鳴石地区に建てられている。高田松原といった景色はすっかり消えてしまい、以前の地図とはすっかり変わった。かさ上げ工事が遅れているようで、住宅再建全体に影響するのではないか。
▼大船渡市は復興が相当進んでいるのだろうか、漁港には活気がみなぎっていた。これから、大船渡駅前開発などが盛んになっていくのだろう。
▼釜石市は、2019ラグビーワールドカップの開催地に決まった鵜住居地区の復興状況を視察した。鵜住居川の水門工事など大規模な工事が盛んに行われていた。

 2015年  3月  21日 ― 意義ある国連防災会議 ―
 仙台で開かれた第3回国連防災世界会議は186カ国の代表が参加。14日から18日まで討議を重ね「仙台防災枠組み」を採択し閉幕した
▼05年神戸開催の第2回会議は防災を各国が優先課題とすることが主眼だった。今回はそれを受け犠牲者などの削減目標を具体化。2030年を目標に20〜30年の10万人当たりの災害による死亡率と被災者数の平均値を、05〜15年より削減することを明示
▼途上国への十分で持続的な支援も明記している。重要課題を背にした大人だけの議論が続く中で17日には、防災・復興への若者参画を協議する本会議作業部会に、世界から3人の子ども代表が招かれ登壇。その一人に被災地山田町の中学3年生・外舘ひなたさんも選ばれた
▼自宅は大津波被害を免れたが壊滅的惨状を前に、一時は引きこもりがちだった彼女。でも復興を思い震災に向き合おうと12年から「山田町子どもまちづくりクラブ」の活動に参加。町長に誘客案なども提言した。会議スピーチではそれら体験も披露。子どもが町づくりに参加できる機会がほしいとも要望
▼居並ぶ各国代表の大人を前に「子どもだからできることがある。大人が子どもから学ぶこともある」と言い切り、にっこりした場面では彼女を大きな拍手が包む。後生おそるべしと復興精神継承の確かさを思う。

 2015年  3月  20日 ― 彼岸と此岸に思う ―
 春の彼岸に入った。18日から4日目の21日が春分の日、彼岸の中日をはさんで前後7日間が彼岸となる。祖先の御霊を供養し、墓参りする家族の姿が目立つ。彼岸の本来の意味は、古来7日間にわたる法会「彼岸会」のことを指すと言われる。煩悩を抱えた現世は「此岸」である。
▼「暑さ寒さも彼岸まで」といわれているように、今年の長かった冬も峠を越した。目をまさに此岸に転じれば、岩洞湖のワカサギ釣りもそろそろ終わりを告げるころ。
▼ワカサギが「公魚」と言われていることを、先日の「ザ・爽やかイルカ」という読み物から知った。「公」と「木」の字を合わせれば「松」となる、岩手の象徴はナンブアカマツであり、本県にふさわしい魚だ。高松の池や北上川からは白鳥が北に旅立つ準備中。帰るは遠いシベリアの彼岸か。
▼今年の冬はことさら寒気が厳しく、屋根の上に岩手山おろしの吹きだまりが厚くたまり、除雪がひと苦労であった。西の隣家が空き家になり、更地になって駐車場に変わったため、西風の勢いがことさら強く感じる。40年ほど前の建て売り住宅に何度か改造を重ねてきているが、そろそろ肝心の本体が傷んできている。それは居住者の年齢にも比例するのだろうが、暑さ寒さをしのげるうちは、ここよりほかに帰る家はないと思うこの頃である。

 2015年  3月  19日 ― 上野東京ライン開業 ―
 上野駅は東北の年配者にとっては忘れ得ぬ駅だろう
▼10代半ばで親元を離れ集団就職列車でたどり着いたこの駅から、期待と不安を抱き東京暮らしを始めた人も多かろう。井沢八郎が歌う「あゝ上野駅」に涙し自分を励ました往時を思い起こす人もいよう
▼「♪上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない 人生が あの日ここから始まった」…。歌詞は若い銀行員(関口義明)が上野で見掛けた情景を詠み、農家向け雑誌「家の光」の懸賞に応募し1位に入選。これを荒井英一が作曲。青森から上京した歌手志願の井沢が歌い大ヒットする
▼この心の駅・上野が今月14日に「上野東京ライン」が開業し様変わりした。従来は常磐線も群馬・栃木発の高崎線、宇都宮線も上野が終着駅。東北本線も線区上の終点は東京駅だが在来列車などは上野が終着駅になっていた
▼都内や東海道方面へ行くには山手線や京浜東北線などに乗り換えたが、新ラインではそれは不要でそのまま東京・品川方面へ行ける。常磐線は品川までだが高崎・宇都宮線は東海道線と相互直通となり、沼津方面から上野に行く場合も東京乗り換えは不要となる
▼開業直後に所用で小田原・浦和間を往復したが確かに便利だ。でも帰路は上野で下車し03年建立の「あゝ上野駅」の歌碑を見学。アメ横街も歩いてきた。

 2015年  3月  18日 ― 新時代の日独関係 ―
 先ごろドイツのメルケル首相が7年ぶりに来日し、安倍晋三首相と会談した。6月にドイツで開かれる主要7カ国首脳会議、G7サミットの議長としてのあいさつ回りを兼ねての来日でもあったようだ。G7の来年の開催地が日本であり、次期議長国でもある日本としては日独の連携を強化しなければならない。
▼第2次世界大戦の同盟国であった日独は共に敗戦国であったが、戦後の荒廃からめざましく立ち上がり、技術・経済力にものを言わせて1970年までにはドイツは欧州、日本はアジアの経済大国として復活した。
▼冷戦終結後は世界構造の変化により、東西で難しい課題に直面した。日米欧の経済力が相対的に低下し、ともに外圧が強まった。国連安保理の常任理事国入り問題など、国際的リーダーシップは今一歩である。ギリシャの債務問題や欧州のデフレ回避策など当面する課題を抱え、ドイツもいまひとつ主導権を握れないでいる。
▼新興の経済大国化している中国や、資本主義の強国を目指すロシアと、メルケル首相は実利優先で関係を築いているようだ。
▼戦争責任の清算ではいまだ重荷を引きずる両国だが、経済大国から世界の平和に責任を持つ国として、日独は緊密な連係プレーでもって、国際社会に新たなルールで働きかけていくべきだろう。

 2015年  3月  17日 ― 被爆国政府が弱腰 ―
 広島、長崎に投下された原爆を「悪魔の兵器」と呼ぶのは誇張ではない
▼原爆死没者名簿には広島が29万2325人(14年現在)長崎は16万2083人(13年現在)が記載されている。これほどの人に地獄の苦しみを与え命を奪った罪の重さは計り知れない。魔を「奪命者」と説く仏典もある
▼原爆による大量無差別殺りくは悪魔そのものだろう。世界初の原爆使用国アメリカは戦勝国だが、今も奪命の罪を背負う。歴代大統領の誰かがざんげをすべきだがその気配はない。ただオバマ大統領は09年プラハ演説で投下の責任に触れ語っている
▼「核兵器を使用した唯一の核保有国として、米国には行動する道義的責任がある」と。米国が先頭に立ち核兵器のない世界の平和を追求する決意も表明した。ところが米政府は今、決意とは裏腹な動きをしている
▼昨年末に核に関する国際会議の議長国を務めたオーストリアが先頃、来月米国開催の核拡散防止条約再検討会議に向け、国連全加盟国に配布した核兵器禁止廃絶を呼び掛ける文書に米国は賛同しないというのだ。被爆国日本は米国に追随し不賛同の意向だという
▼一方15日にロシア大統領はウクライナ政変当時に、核使用を準備したと明かす。反核逆行の大国。被爆国の使命放棄に見える弱腰日本。原爆死没者も泣いていよう。

 2015年  3月  16日 ― 北陸新幹線がついに開業 ―
 14日に北陸新幹線長野〜金沢間が開業した。これで、東京〜金沢間が最短2時間28分で結ばれ、所要時間では東京〜盛岡間とほぼ同じ時間となった。
▼東北新幹線の大宮〜盛岡間開業が昭和57年、上野開業が昭和60年、そして、東京開業が平成3年であったことを振り返ってみると、北陸開業はおおむね30年以上も遅れての開業となった。それだけに、地元民が待ち望んでいた北陸新幹線の開業であった。金沢の商工会議所を中心に経済界が一体になって誘客作戦を練ってきたようだ。長い期間にわたってさまざまな施策を練り、熟成させてきただけに、「加賀百万石」を柱に据え、国内外に向かって観光業界などがパワーを発揮しているようだ。
▼金沢といえば、安土桃山時代の武将、加賀藩の祖である前田利家公の仲介によって豊臣秀吉の許可を得て、慶長2年(1597)3月、盛岡南部藩の祖、南部信直公によって盛岡城築城工事開始に至った経緯がある。
▼加賀百万石の城下町で兼六園や金沢城跡のある金沢市は人口45万規模を誇り、九谷焼、蒔絵(まきえ)、友禅などの伝統工芸が盛んで、日本海で採れる魚介類などの食べ物も豊富だ。北陸の金沢に比し、東北の盛岡も何ら劣るものではない。東北・北海道が一体になって観光戦略を展開していくべきだろう。

 2015年  3月  15日 ― 将棋の禁じ手二歩 ―
 地元老人会には卓球やカラオケなど趣味のクラブがある。昨年は将棋大好きの新会員が提案し将棋クラブも誕生。愛好家が次々と加わり対局会も毎月開催。勝者に賞品はないが公民館に初回以来の優勝者と準優勝者の氏名を掲示。これが好評だ
▼将棋には当方も思い出がある。戦後間もない子どもの頃に将棋にはまる祖父と父の勝負をよく見た。盤上の配置はすぐ覚えたが、斜めに飛ぶ桂馬など駒それぞれの特徴は祖父が教えてくれた。1度だけ飛車、角を抜いた祖父に挑んだことがある
▼こちらの動きは適当だから歩は取ったが角も飛車も取られてしまう。祖父が奪った角で王手を掛けてきた時、進路を邪魔するため歩を置いたら「よく見ろ!」と怒鳴られた。祖父は同じ筋にある歩を指し同列2歩は江戸時代の昔から規則違反と定められていて、仮にそれまで優勢でも負けになると諭す
▼「じいちゃんの勝ちだ」と告げられた昔日を思い出させたのは、今月8日のNHK杯将棋トーナメント準決勝で、橋本崇載八段がその2歩をやらかし反則負けとなった速報だ。当代人気棋士の橋本八段もつい二つ目の歩を置いてしまう
▼失礼ながら安どして禁じ手の初体験がよみがえったのである。地元クラブでは勝敗でなく、認知症予防に察知力を磨こうと将棋を楽しんでいる人が多い。

 2015年  3月  14日 ― 全国経済同友会の3.11 ―
 3月11日で死者行方不明者1万8900余人を出した東日本大震災津波から満4年が経過した。三陸沿岸はじめ、県内各地で地震発生の午後2時46分を期して黙とうをささげたところが多かった。
▼盛岡市では全国経済同友会の長谷川閑史代表幹事、震災復興部会主催による「東日本大震災追悼シンポジウム」が、盛岡グランドホテルで開催された。この日、北国からの参加者が大雪を運んできたのか、3月には異例の21aもの大雪が降った。
▼全国44の経済同友会から約250人の会員が参加し、前日はバスで陸前高田方面の被災地現地見学会が行われた。11日は開会の後、全員が地震発生時刻に起立し黙とうした。直ちに基調セッションに入り、「今後の復興に向けた官民の役割・連携について」をテーマに、幅広い議論がされた。
▼追悼式典は「IPPO IPPO NIPPONプロジェクト共同委員会」の主催で、県立不来方高校音楽部による合唱が、列席者に感動を与えた。その後は三つの分科会に分かれて「原子力災害からの復興」「新たな雇用機会の創出」「今後のまちづくりの展望と課題」の当面する課題や対応策などについて議論が交わされた。「復興の遅れと共に問題が発生し、複雑になっていくのではないか」とした懸念が多く述べられた。

 2015年  3月  13日 ― 福島事故と原発是非 ―
 一昨日に福島の浪江町漁港周辺で、大勢の消防団員らが行方不明者の捜索をしていた
▼読売紙の掲載写真でその光景を見て粛然とさせられる。浪江は福島原発に近い地域である。そこで放射能の脅威以外に大震災津波の犠牲者も出ているのだ。写真からは現地の人々の苦悩の深刻さが伝わってくる
▼地震、津波、放射能と三重苦の福島という言い方もされている。発がんの恐れもある放射能汚染に不安を募らせ、特に抵抗力の弱い幼少の子を持つ親御さんたちを遠方への逃避行に駆り立てる
▼仙台在住だった歌人の俵万智さんも当時7歳の坊やを連れ、まず西へ向かい逃げ出し最終的に沖縄の石垣島に落ち着く。その際「子を連れて西へ西へと逃げてゆく愚かな母と言うならば言え」と詠んだ歌は反響を呼び、勇気づけられた母たちが関西、九州など各地への避難を始めている
▼先頃来日したドイツのメルケル首相は原発主導の人だが、福島事故後に2022年までに原発全17基を閉鎖すると発表。来日講演でも高技術の日本でも事故が起きると知り脱原発を決めたと述べている。訪日前に「日本も同じ道を」と呼び掛けたが安倍総理は低廉で安定供給の原発維持と応答
▼一方、小泉元総理は繰り返して「即時原発ゼロ」を主張しているが、こちらの方が民意に近いかもしれない。

 2015年  3月  12日 ― 震災4年の感慨 ―
 東日本大震災から11日で丸4年が経過した。国では復興10カ年計画として復興費23兆円余の予算の確保を見込んだが、前半5年の最終年となる2015年度末でどの程度の復興が見込めるのか。これから後半の5年に立ち向かうに当たって、いかなる手を打っていかなければならないのか。
▼ここで大事なことは、「真の復興とはどういうことか」と、われわれ自身が改めて問い直すことではなかろうか。まずは震災直後に策定した復興計画の修正から始めなければならないと考えられる。これまではハード面での再生を図るのが主体であった。後半に入って行くに当たっては、事業が復興に該当しているのかを考えなければならない。
▼「ただ単に元の建物に戻すだけではないか」、「建造物は今後、活かされるのか」、「最新の技術が駆使されているのか」、「メンタルな面、罹災者の希望や心がこめられているのか」、「次世代にかなっているのか」といったことを、当事者意識を持って問い直してみる。
▼ハード面の復活が図られた後の運営やコミュニティー再生をいかに進めるのか。また水産物などの商品の販路をうまく開拓できるのか。農耕地の整備や住民のやる気を喚起できるのか。またボランティアの方々の支援は続けられるのかといったことが、気に掛かる。

 2015年  3月  11日 ― 3・11誕生の赤ちゃん ―
 震災犠牲者を悼む「鎮魂の日」でもある3・11。あの日に産声を上げた赤ちゃんもいる
▼宮古市の下澤大樹(ひろき)悦子ご夫妻にも女児・さくらちゃんが誕生。悦子さんの実母が津波の犠牲になるつらい事情が重なる。かわいい女児への祝意があふれ、同時に悲嘆が込み上げる切ない日々が続く。3県各地で同様の光景が見られた
▼その頃、赤ちゃん一家へ一筋でも光を送れないかと案じる人が北海道にいた。06年から旭川近郊自治体で生まれた赤ちゃんに、地産材を用いた手作り椅子を贈り続ける「希望の『君の椅子』」プロジェクト代表・磯田憲一氏である
▼背面に名前・生年月日、連番号などを刻印するこの椅子を、氏は3・11誕生児に贈ろうと決意。町長らも協力し被災地役所が機能不全の中、手分けし3県全市町村と交信。5カ月かけて3・11誕生児104人を把握。さらに所在地を追跡して寄贈可能が99人となる
▼11年12月に寄贈を開始。全て磯田氏らが椅子を現地役所に持参し誕生児の前で直接両親に手渡す。先の下澤さんは同月12日に宮古市役所で東北最初の寄贈を受けた。椅子には「希望の『君の椅子』 さくら 2011年3月11日生まれ 岩手001 たくましく未来へ」などの刻印がある
▼99人の赤ちゃんの周囲を慈しみの光で包んだプレゼントだった。

 2015年  3月  10日 ― 東日本大震災からあすで丸4年 ―
 東日本大震災津波からあす11日で丸4年となる。
▼今年2月17日にも岩手県沖を震源とするマグニチュード6・9と5・7、強いところで震度4の地震が朝と昼にあり、本県沿岸に津波注意報が出された。
▼三陸沿岸では復興事業の最盛期を迎えているが、「あれだけ大きな地震・津波は再び来ないだろう」と思い込んでも、そういった根拠はどこにもない。いつ、再び来るのかは誰も分からない。たびたび大きな揺れがあったり、津波予報が出されると不安が高まってくる。阪神・淡路大震災は「地震」による被害であったが、4年前の3・11では「地震・津波・原発事故」が重なる前代未聞の大災害であった。したがって、復興には長い年数がかかるのだろう。
▼被災者の仮設住宅でみれば、阪神・淡路などの体験から当初は2年居住で計画された。その居住年数も延伸に延伸を重ねて、5年目に入ろうとしているが、阪神・淡路では、仮設住宅暮らしがほぼ4年で90%解消しているのに、東日本大震災では4年を経ても70%以上になっているようだ。それだけ、被害規模が大きく、復興に難渋を極めている。
▼県は今年「本格的復興邁(まい)進年」として取り組む。国も復興計画を見直すなどして、しっかりとした計画の下に復興期間の後半に立ち向かう必要があろう。

 2015年  3月  9日 ― 18歳選挙権導入へ ―
 議員など政治家を投票で選ぶ権利(選挙権)を、当方が強く意識したのは19歳の時だ
▼学習力のせいではなく同じ町内のよく知っている人が、昭和34年春の市議選に立候補したからである。町内を挙げて応援しわが家にも関係者が出入りした。その中の一人から「君は選挙権がないから関係ないもんな」と冗句のように言われたのだ
▼悪意などない言葉なのだが、なぜか胸に突き刺さり「選挙権は20歳以上」というルールの重さをかみしめたのである。あれから半世紀以上が経過した昨今は、政治家と有権者との間に距離があり庶民軽視の政治への不信も反映してか、特に若者を中心に各種選挙で棄権が多い
▼かつて低投票率有利と見たのか時の総理が、投票日は「寝ていてくれればいい」と棄権願望の放言をし不信を加速させたこともある。そんな経緯とは別に世界の大半が「18歳〜」という流れに合わせ、日本も現行より2歳下げ「18歳以上」とする公職選挙法改正案を、与野党6党が5日に衆院に提出した
▼今国会中に成立させ体制が整えば来年夏の参院選から「18歳以上」にするという。18歳・19歳のおよそ240万人が加わる新票田を各党が激しく奪い合うことになろう。折々に懇談する近所の18歳高3君は言う。「僕らは奪われません。僕らが党と人を選びます」と。

 2015年  3月  8日 ― 社会に出る皆さんへ ―
 3月初めに県内高校の卒業式が挙行された。国公立大学の合格発表も行われているが、一足先に卒業証書が渡された。卒業された皆さんや、家族の方々にお祝いを申し上げたい。
▼同期の中には高校に進めなかった人や、健康状態などさまざまな理由で充実した高校生活を送れなかった人もいるだろう。そういった方たちは、体力を回復させるなどして初志貫徹を貫いてほしい。2、3年の遅れを挽回する道はいくらでもある。就職を選ばれた人たちには優秀な技術者や職人などになってほしい。
▼いずれは皆、社会人になる。社会人になってからも勉学の意志さえあればさまざまな道が開かれている。学生の期間よりもはるかに社会人になってからの年数が長く、本当の実力が発揮できるのは卒業してからだろう。
▼3月末は、人事異動のシーズンである。企業では3月末決算のところもある。人事考課や営業成績などを元にして、それが1年間の業績として評価される。それは、個人でもあり、企業間の競争にもなっている。
▼新年度の諸々の課題や経営目標に向かって、新しいスタッフに期待が持たれる。マンネリは許さず、変化に対応し、刷新していかなければならないだろう。刻々と変化している社会に対応できる力量をいかにして身に付けていくかが問われている。

 2015年  3月  7日 ― 父と娘のありよう ―
 竹取物語風の衣装で父が満月を指でさし娘に叫ぶ。「出ていってくれ!」と。娘は開いた扇子をほほに当て「そちらこそ…」と返す
▼これは漫画家の芝城太郎氏が描いた時事漫画である。絵には「かぐやひめん?」の文字を添えている。かぐや姫をもじる「家具屋罷免」だ。家具大手の経営路線をめぐる父と娘の対立を描いている
▼父は同社の会長で会員制まとめ買いを主導。才媛とされる長女が社長で父の手法は時代遅れと酷評。単品買いへと販売方針を転換し成果を見せ始め黒字を維持。父はそれを社是無視と怒り、昨年7月の役員会で娘の社長職を解任する
▼ところが業績が急落。今年1月には長女が社長に復帰。新たに経営計画を発表し意欲的に社業に挑む。ただ父の感情は漫画のごとく高ぶっているらしい。一企業の内情だが一般論としても「父と娘」のありようを考えさせられる
▼昨年末にカルピス社はひな祭りに向け、若い女性対象のアンケートを実施。先月結果を発表したが設問には「お父さんが好きか」の項もあり、71・5%が「好き」と回答。父親を百点満点で採点をとの設問では「80点」が最多。「百点」も2位。理想の父親像ではタレントを抑え「私のお父さん」が抜群の1位だ
▼回答からは親子なんだから仲良くね、という声が聞こえてきそうである。

 2015年  3月  6日 ― 啓蟄に思う春 ―
 3月6日は二十四節気の一つ「啓蟄(けいちつ)」である。長い間、土の中で冬ごもりをしていたいろいろな虫が、穴を啓(ひら)いて地上へはい出してくるという意味である。
▼彼岸の入りは18日で、彼岸中日の21日を挟んで前後3日間合わせて1週間が彼岸となる。この頃になれば、冬の冷たい空気も和らいで草や木々には新芽が出てくるのではないか。
▼プロ野球の各球団は温暖な沖縄などのキャンプから引き上揚げてきてそれぞれの本拠地に戻り、他球団とのオープン戦などで総仕上げに入っていく。
▼スポーツ選手ばかりではなくて、私たちもそろそろ、こたつから抜け出して体力増強に向けて何らかの活動を開始しなければならない。まずは散歩やウオーキングをするのが無難だろうか。そろそろ、南の方から桜の開花便りが届く。日本から贈られたアメリカ・ワシントンやカナダ・ビクトリアではいつ頃に桜の開花があるのか。桜の下でお花見といった飲食会をするのは日本だけの慣わしになっているようだ。日本ではさまざまな花見会が催されるし、芋煮会といった屋外での交流会が楽しみになっている。
▼東南アジアでは日本式の運動会がブームになっている国もあるようだ。国際交流が活発になってきているが、良いものは日本流を続けていくべきだろうか。

 2015年  3月  5日 ― 尾崎豊が歌う「卒業」 ―
 卒業式シーズンである。車で移動していた先日、ラジオから1992年に26歳で早世した尾崎豊が歌う「卒業」が流れてきた
▼今春だけの現象なのかどうかは定かではないが、先夜は居酒屋で中年のおじさんが歌っていたし、今シーズンに流行しているのかもしれない。自ら作詞作曲して歌うシンガーソングライターの尾崎には、若者たちの胸をえぐるような青春の葛藤をつづる歌が多い
▼歌詞は破壊的表現も目立つが真面目な思考も織り込み、往年の高校生世代の琴線もかき鳴らした。85年発売の「卒業」は「校舎の影芝生の上 すいこまれる空〜教室のいつもの席に座り 何に従い従うべきかを考えていた」と始まる
▼歌詞は長文で《真面目なんて出来やしないと夜の校舎の窓ガラスを壊して回る》との描写もある。「あと何度自分自身卒業すれば 本当の自分にたどりつけるだろう」と述懐し「あがいた日々も終る この支配からの卒業 闘いからの卒業」と結んでいる
▼この歌がヒットした頃、種々の相談に乗っていた高3男子が歌って聞かせてくれた。彼が涙をにじませて歌う光景が忘れられない。奇才の歌詞とメロディーが高3の苦悩に共鳴したのだろう。彼はその後、直面する幾つもの難題を卒業。自分らしさにたどり着いて、今では立派なお父さんになっている。

 2015年  3月  4日 ― 万年筆あれこれ ―
 近年、受賞祝いなどに「万年筆」が贈られているという。これまでは良質のボールペンが主流になっていたのだが、先日の仙台市での会議では、多年功績者に豪華な万年筆を贈ることの提案があった。
▼自分としては「万年筆が喜ばれるのか」といった気持ちもかすめたが、今は万年筆ブームが起こっているという話も思い出し、反対するでもなく立案者の原案に賛成することにした。そんな折の3月25日、ドイツのモンブラン社が、陸前高田市の奇跡の一本松 を使った万年筆を製作し、東日本大震災から4年目となる3月11日に、国内限定で113本発売することが発表された。
▼震災の記憶の風化を防ごうと市の要望を受け入れて、モニュメントに使わなかった枝などを本体のキャップの材料にした。色や木目模様が1本1本微妙に異なり、ペン先には一本松のシルエットの刻印があるという。
▼売り上げの2割は市などに寄付されるとのことだが、1本48万1千円の値段に目を見張る。とても当方には手の届かない高級品となっているのに、既に売約になっているかもしれない。
▼平成のはじめ頃までパイロット万年筆を使用していた。当時流行の「モンブラン」の万年筆セットが欲しくなって書店で買い求めた。今でも大事に持っているので、納得である。

 2015年  3月  3日 ― 13歳のむごい死悼む恩師 ―
 島根の西ノ島は日本海に浮かぶ隠岐群島の一角にある。青い海が自慢の島だ
▼川崎市の河川敷でむごい遺体で発見された13歳の上村遼太君は、その西ノ島から1年半前に川崎に移転した転校生である。西ノ島の小学校時代は明朗でバスケットボールも得意。場を盛り上げる人気者だった。島を出る日、港には「遼太頑張れ」の横断幕を掲げ大勢が見送った
▼礼儀もきちんとした子で隠岐の島町の元教師・杉原由美子さん(71)は、それをよく覚えている。隠岐の島から西ノ島へ通い、手作り絵本で児童らに読み聞かせをしていた杉原さんは、竹島の豊かな漁業史も絵を見せながら教えた。その様子は動画でも公開している
▼上村君のクラスでも転校直前の13年6月にメチ(ニホンアシカ)などを描いた絵本を聞かせた。その時彼は先生宛てに「来てくださってありがとうございました。絵が上手でした」(1日産経ニュース)とお礼の一文を送っている
▼杉原さんは悲報が悔しくせめて思い出の絵本を現場に供えようと知人に託す。「どんなにかつらかったでしょうね〜聞いてあげられなくてごめんね。隠岐の島へ帰っておいで。青い海とメチが待っているよ」(同)との言葉を添えた絵本は昨日、現場に供えられたという
▼予兆の段階で守れなかった大人も頭を垂れるほかない。

 2015年  3月  2日 ― 春の季節 ―
 春3月、弥生(やよい)の月を迎えた。春とは、日本・中国では立春から立夏までを指している。また、気象学的には太陽暦の3月、4月、5月をいい、天文学的には春分の日(今年は3月21日)から夏至(6月22日)までが当たると言われている。
▼2月後半から時折、春らしい陽気の日が現れるようになったが、このまま桜の季節に入ってほしいと願っている。しかし、先週のように急に真冬に戻ったような陽気になることもあり、気温だけではなく気候も激しく変わることがある。
▼「張る」は、芽が膨らむ、芽が出るといった意味もある。また、「精いっぱい突っ張った態度・様子」や「頑張る、心を奮い起こす」といったような意味もあるようだ。進学、就職や春耕の季節にふさわしい語であろうか。
▼今冬は厳しい冬であったが、三陸沿岸では春を告げるイサダ漁が始まっている。その三陸沿岸の宮古方面では、春になってから湿っぽいドカ雪が降ったりする。先週の盛岡に降った雪も湿った雪であった。重い雪のために植樹してようやく適度に伸びた杉や松の苗木の上の方が折れてしまい大きな被害を被ることがある。
▼岩手山の残雪の雄姿が素晴らしく、山の木々の新芽が吹き始めて、裾野の方から紫がかった色映えが感じられるようになるのも間近だ。

 2015年  3月  1日 ― 被災少年励ます白鵬 ―
 発災4年目の3月を迎えたが、多くは「仮設生活」が続く。でも人命を奪い家も街も破壊した暴虐にも屈せず生き抜いている
▼顧みれば救援隊や慰問団が駆け付け物資や義援金も寄せられた。11年6月初めには横綱白鵬ら相撲協会が山田町を慰問し土俵入りを披露。勇壮なこの儀式は大地の邪気を払う神事に由来する。意義を熟知する白鵬は皆を元気にと、しこを踏む。観衆は「よいしょ!」と大歓声を上げる
▼会場では体重が61`で力士を志願する当時8歳の千代川勇也君に出会う。津波で祖父母を亡くし町の相撲場も流失し悲しみを秘めた彼は、自分のまわしに白鵬のサインをもらい感激。横綱を目指すという。この後も協会一行は被災各地を慰問。月末には力士会が山田相撲場寄贈を発表する(12年夏落成)
▼昨年6月にテレビ放映した三鉄アピール番組に、志村けんと共に出演した白鵬は久慈で乗車し南下の途中「山田で会いたい少年がいる」と言い、勇也君が通う小学校へ向かう。ドッキリ風に彼に内緒でいきなり対面する。驚き喜ぶ彼は白鵬と校庭に出て全校生が見守る中で相撲をとる
▼相撲仲間が遠方へ避難。一人で頑張る彼に行司役の志村けんが賞状を贈る。勇気をもらった彼は熱く燃えて練習。同年9月の県学童相撲大会個人戦男子5年生の部で優勝している。
 

2015年 2月の天窓へ