2015年 5月の天窓


 2015年  5月 31日 ― 被災児にコカリナ ―
 音楽家の黒坂黒太郎氏はコカリナ(木の笛)の普及者でもある
▼氏は演奏などでよく国内外各地に足を運ぶ。コカリナとは1995年に訪れたハンガリーの露店で出合う。陶製が主流のオカリナとは異なり、木製による柔らかな音色に魅了されたという。購入し帰国後に木工家らと音程も音色も楽器として遜色のない精度に仕上げた
▼98年に「日本コカリナ協会」を設立し「コカリナ」を商標登録。製造も進めたが素材には自然災害などによる倒木も活用する。広島で被爆後も生き延びた一本の大木が84年の台風で倒壊。地元高校が幹を保管していたが黒坂氏の98年8・6広島コンサートの檀上にそれが飾られた
▼経緯を聞いた氏の笛作りの提案に皆が賛同。その幹から8本のコカリナが生まれる。3・11発災直後に氏は被災地石巻入りし、物資支援に動く途中で倒れた松の木に気付く。その松から多くのコカリナを作り3百人の地元小学生に贈っている
▼1年後に慰問した陸前高田では、流失した松原の残材で大量のコカリナを作り児童らに贈るチームを結成。作業が進み最初の贈呈は市内全小学校を回り約千人の子に手渡し吹き方も指導。以後毎春の新入生にも贈呈が続く
▼氏は13年3月には奇跡の一本松の前で、児童や愛好者らと共に唱歌「ふるさと」などを演奏している。

 2015年  5月 30日 ― アンチック市 ―
 4月から11月まで第3日曜朝の紺屋町は奥州懐道アンチック市が立つ。骨董や古道具の掘り出し物目当てでにぎわう。
▼コレクターには農耕民型と狩猟民型がある。前者は地元に縄張りを巡らし、フリマやリサイクル店を根気よく歩いて収穫を待つ。後者は国内外の専門店や蚤の市を行脚し、獲物の探索にスリルを追い求める。
▼アンチック市の来客を眺めてどちらのタイプか考えるのも面白い。顔なじみの市民なら前者、明らかに一見さんや外国人なら後者だろう。盛岡が口コミで大きな求心力を持っていることを感じる。
▼出品者には秋田の人が多い。岩手に比べると古くから財力のある土地柄によるのか、西洋アンティークの掘り出し物を持ってきてくれることがある。新し物好きの秋田県人より、骨董趣味については岩手県人の方が目が効くという。和洋のノスタルジーが出会うアンチック市は、紺屋町の景観にとても似つかわしい。
▼その中でひとつ残念なのは、街のシンボルである紺屋町番屋が空き家のままで傷みが目立ってきたこと。今年ようやく町内会の努力が実り、複雑な地権を整理のうえ盛岡市に寄付された。和洋折衷の建築様式を活用し、アンチック市のセンターにして観光に役立てては。「奥州」と「欧州」の出会いの場になればわくわく。

 2015年  5月 29日 ― 笛吹峠でウグイスの美声聞く ―
 ここ数年はあの響き渡るような、ウグイスの美声を聞けないでいる。当方の住環境のせいだろうか。東京など一部自治体では準絶滅危惧種の指定も受け、保全が促されているというから全般に個体数が減っているのかもしれない
▼ウグイスを春告げ鳥という。平安期の歌人大江千里(ちさと)は「鶯(うぐいす)の谷よりいづる声なくは春くることを誰か知らまし」と詠んだ。谷から湧き出るようなウグイスの声がなければ、誰も春の到来に気付かないだろう、と
▼だが気候が不順の今ではウグイスの美声を聞いても、春を告げているのか初夏を告げているのか戸惑う地域もあろうし、海抜の高低でもずれがあろう。かつて仕事で県内各地を車で駆け巡っていた時、ちょうど今ごろの初夏の季節に遠野から山道に入り、休憩した笛吹峠でこだまする美声に包まれたことがある
▼その初夏を告げる音色に感嘆。以来、長距離運転を自粛した3年前までは、隔年で新緑の遠野笛吹コースを走り峠の休憩は定番となる。毎回当方には「ホーホケキョウ」が妙なる初音に聞こえ至福を味わったのである
▼帰路、余裕がある時はその名もウグイスの宿・鴬宿温泉に一泊。翌朝には鴬宿川のせせらぎに響き渡るご当地の美声を堪能したが、鴬宿には来春あたりに初音を聞きに再訪したいと思う。

 2015年  5月 28日 ― 空き家と空き店舗 ―
 市町村が所有者に撤去命令できる空き家対策特措法が26日に施行された。盛岡市など県内には関連する条例を先行施行している市町村がある
▼同法の施行は空き家率が年々高まり、社会問題となってきたため。わが国は核家族化、人口減少の傾向にあるが、戦後の人口増で郊外に新興住宅地ができていった時代の遺産ともいえる。盛岡地域でも、子どもが独立して親と同居せず別に持ち家を建て、やがて親の死去や施設入所で空き家になる例がある
▼空き家以前に社会問題に浮上したのは商店街における空き店舗。流通業の資本が大きくなり、郊外型店舗の乱立で地元密着型店舗は特に物販で減る一方。インターネットが拍車をかける
▼家電業界最大手が全国46店舗を月内に閉鎖すると発表した。そこには、企業全体の採算を考えて店を数字で取捨する経営判断と映る。盛岡地域に大型店進出が相次いだとき、地域文化の崩壊が唱えられたことを思い出す。地元商工界と協力している大企業もあるが、問題は地元には寝耳に水で、まったく接点のない大企業の一方的な進出と撤退となろう
▼空き家も空き店舗も、あるべき人の姿がない場所が増え続けることは、都市と農村を問わず地域の崩壊につながる。よそ者と地域の力を合わせ、経済を包む地域文化の継続を考えていきたい。

 2015年  5月 27日 ― 「老いと川柳」学ぶ高齢者 ―
 先の日曜日に地元自治会が開いた「シルバー初夏の集い」には、60代から90代の老齢者が参加
▼「老いと川柳」をテーマに講師を務めた元高校国語教師が、参加者と会話を交わしつつ進行。まず講師は黒板に「つまづいて足元見れば何もなし」「元酒豪今はシラフで千鳥足」と白墨で大書。講師が「黒板に白墨で」と言うだけで郷愁が募るらしく場内から「懐かしいなあ」との声も出る
▼講師は引用する川柳は全国有料老人ホーム協会が、01年から毎年公募している「シルバー川柳」の入選句だと説明。黒板に「老いの姿」と書き加えて「皆さんはつまずいて確認したら何もなかったという経験はありませんか」と問い掛ける
▼あるあると数人の手が上がる。「この会場のチリ一つない廊下でもつまずいたよ。こりゃあ、老化現象だな」と笑わせる人もいた。「私はシラフで泥酔のように千鳥足になる」と2句目の体験も飛び出す。そんなひとこまを改めて17字に詠むと川柳になり、老いを見詰め直せると講師も言葉を添える
▼ほかに暴言の報いか「おい!お前!いつしか妻の名を忘れ」や、「若返り亡夫にすまぬ旅の宿」と背信のざんげのような艶めいた句。「長生きは幸か不幸か実験中」と、長寿即幸福の難題に挑むような句が列挙され、高齢参加者を熱くさせたようである。

 2015年  5月 26日 ― 食の洋式化に対応した生産物 ―
 日本の食生活が年々、洋式化しているのではないかと思う。その一番の理由として米を食べなくなっていることであろう。平成26年度産米の全国生産目標が765万dと農水省から発表されていたが、それでも米余りの状態が続いている。そして、今年は食用米から家畜の飼料米などに転換させることを重点施策においているようだ。おいしい米の生産が可能でありながら、家畜の餌に大量の米を向けようとしている。
▼TPPとの絡みや農家の後継者問題などもあり、日本の農業問題は改善に向かう気配が見えない。生産調整などで休耕田も増加の傾向にあって、先人が築いたかんがい用水やダム、水路などが今後どのように有効活用されていくのだろうか。
▼日本人の食生活の変化をみると、米がパンなどの小麦に変化し、肉や生野菜などが多く消費されるようになった。そして、コーヒーの消費量が年々増加している。
▼気候や気温の問題もあろうが、拡大する耕作放棄地でコーヒー豆の栽培ができないものかと考えている。太陽熱や地下熱などを利用した日本でのコーヒー栽培の研究をやるべきではないか。コーヒーの栽培が可能になれば、食物の産地境界がなくなって、画期的なことが起こる。茶の栽培もその土地の気温にあったところで生産できないものだろか。

 2015年  5月 25日 ― 被ばく語り部の遺志を継承 ―
 沼田鈴子さんは22歳の時の被爆体験が残酷で、50代まで口を閉ざしていた。原爆投下後の広島を撮影した米国のフィルムを見た時に、そこに自分の姿が映っていて驚き体験を語ろうと決意。広島平和公園のアオギリ(青桐)の木々の下で語り始める
▼このアオギリは元は爆心地近くの沼田さんが勤務する逓信局(後の中国郵政局)の庭に植えられていた。熱線と爆風を浴びながらも生き延び翌春にも芽吹き、後に平和公園に移されたのだ。生命力強く2世3世の種や苗も多く、それらに平和や復興を託し岩手の山田町など全国各地に贈られている
▼沼田さんは職場で被爆。命を助けるため左脚を切断される。ライターの中村里美さんは取材をして沼田さんの日記に驚く。麻酔のない片足切断。3日後の婚約者戦死通知。時を置いて同僚男性の求婚に応じたが彼の母が、彼女の重い被爆で子孫への放射能影響を案じ破局となる。苦しむ彼は自殺してしまう
▼中村さんは沼田さんをモデルに映画制作を決意。沼田さんは津波被災者や福島原発事故を案じつつ11年7月に87歳で他界する。中村さんは戦争や原爆体験のない世代が同じ世代に伝えるのだと制作統括を務め映画「アオギリにたくして」を完成。13年夏から各地で上映会が続く
▼今月31日には北上市さくらホールで上映される。

 2015年  5月 24日 ― いわて国体まで500日切る ―

 本県で開催される第71回国体「希望郷いわて国体」は来年10月1日〜11日の本大会開幕まで20日で500日となった。県庁前のボードはきょう496日を示す。
▼20日には県内各地で記念イベントが行われ、盛岡市や奥州市などでは、幼稚園児などによって、いわて国体PRダンス「わんこダンス」が演じられるなど、いよいよ国体に向けた機運醸成の動きが強まってきている。
▼希望郷いわて国体は、同年の冬季大会を含めた完全国体として実施されるが、特にも冬季国体の開催種目の多い、八幡平市、盛岡市、二戸市、花巻市などは準備から開催までハードスケジュールとなっている。
▼全国身障者スポーツ大会は、盛岡、北上、一関、花巻、奥州の各市と雫石町が会場になっている。そのほか、国体では正式競技、特別競技、デモンストレーションスポーツ、オープン競技などが県内各地で開催されるに当たり、国体成功に導くためのリハーサル大会の開催や諸準備に力こぶが入ってきているようだ。
▼本大会は約2万2千人、特別競技・冬季大会には約3200人、障害者スポーツ大会には約5500人の参加が見込まれている。3・11被災地の復興が続けられている中、開催に向けた準備、施設整備、運営進行、おもてなしなど万全を期さなければならない。

 2015年  5月 23日 ― 特異な作家車谷氏逝く ―
 文壇には時折、特異な書き手が登場する。17日に69歳で鬼籍入りした車谷長吉さんも、そんな作家なのだろう
▼生前、自分はならず者文士で毒虫だなどと公言していたが、それが売りだったのかもしれない。98年上期直木賞受賞作「赤目四十八瀧心中未遂」(文藝春秋)も、当方は一通り読んでおこうという感覚でページを開いたが、たちまち魅了されてしまったことを思い出す
▼俗情丸出しでたじろぐほどの毒筆の運びを見せる半面、人間の本質をえぐるような描写もある。その冷徹な人間観察の目は世俗を捨てた高僧の達観のようにも思える。車谷さんはかつて3年間、朝日新聞土曜版の身の上相談「悩みのるつぼ」の回答を担当。その質問と回答をまとめ単行本にした(朝日新聞出版12年刊)
▼その回答にも車谷流がにじみ出ている。例えば40代男性高校教師が5年に1度ほど心を奪われる女生徒が現れ、没入しそうになるがどうすべきかと問う。叱られることを覚悟する彼に車谷さんは、卑俗な言葉を投げ掛ける(以下要旨)
▼あなたのような人はその女生徒とできてしまえばいいのです、と。気の毒なことに小利口なあなたは本当の人生の味わいを知らないでいる。職業も名誉も家庭も失った時に、初めて本当の人間の生き方が見えてくるのです、とも言い添えている。

 2015年  5月 22日 ― NPTにちらつく思惑 ―
 核拡散防止条約(NPT)再検討会議が作成中の合意文書で、日本の提案が途中で削除された。会議は米国の国連本部で4月27日に開幕し、岸田外相が同日の演説で、各国の指導者らに広島と長崎の被爆地訪問を提唱。会議が出す合意文書の最初の素案には日本の提案を折り込んだ被爆地訪問を呼び掛ける文言が入った
▼ところが、12日に配布された修正版からはこの文言が削除されていた。この経緯について、中国の軍縮大使が、日本は戦争の加害者であるにもかかわらず、被爆国という被害者としての立場を強調しているとして、同意を拒み削除を要求したと報道陣に明かしている
▼中国の昨今の日本へのスタンスから、今回の要求は意外ではないかもしれないが、1国の要求により素案から4日で削除されるには参加国内で別な力学も働いたのではないかと勘ぐりたくなる
▼NPTは同条約の運用と履行を検討する場として5年に1度開かれる。19カ国が参加し、ここでは米中など5カ国以外の核保有を認めない立場を取る。このため、核廃絶への世論拡大を警戒する思惑が働いているのではないかと
▼岸田外相は、先の戦争での日本の立場とは別に、唯一の被爆国の平和外交として提唱した。日本人に限らない多くの被爆者に応えるような合意文書へ帰結するか。

 2015年  5月 21日 ― 仕事師のイチロー選手 ―
 世界のホームラン王といわれた王貞治さんは、通算得点でも1967点という最多記録を樹立した
▼王さんの引退から約35年が経過した先月下旬、その大記録に1点を加え1968点とし、通算最多得点を更新したのが米大リーグ・マーリンズで活躍中のイチロー選手だ
▼仕事師とも評されるイチローはファンの喜びをつかの間では終わらせない。最多得点記録で日本の大先輩を追い抜いた勢いで、今度はアメリカで「野球の神様」と仰がれホームラン王でもあった故ベーブ・ルースに、安打数で肩を並べるのである
▼運も力の内なのだろう。日本時間の一昨日、マイアミで行われた対ダイヤモンドバックス戦は、当初はイチロー出場の予定はなかったが「5番中堅」が決まっていたオズナ選手が急な私的事情で帰宅。突如、イチローが「8番中堅」で先発出場となったのだ
▼この好機に仕事師は結果で応える。3回の第1打席で直球を左前に弾き返しヒット。5回にも左翼線へ安打を放ち大リーグ通算安打は2873本目。ベーブ・ルースが持つ歴代42位の安打数に並んだのである
▼イチローは日本の球団で1278本の安打記録があり、日米通算では4151本となる。米大リーグ歴代1位のローズ選手が持つ4256本にも迫っていて、米球界でも評判になっているという。

 2015年  5月 20日 ― 大阪都否決に思う ―
 大阪市を廃止して五つの特別区にすることの是非を問う住民投票が17日に行われ、反対多数で「大阪都構想」は否決された。維新の党最高顧問の橋下徹氏は大阪府と大阪市といった二重行政の無駄をなくすることに力点を置いて「都構想」を推進してきたが、今回の敗北によって12月の市長任期満了後に政治家を引退することを表明した。
▼橋下徹市長の構想に反対する自民、公明、共産などの府・市議員等は大阪市存置を掲げて反対運動を展開していた。橋下氏は、少子高齢化時代を迎えて、今の大阪市のままでは市民生活が破たんすると主張し、「二重行政の無駄を完全になくする都構想で先手を打つ」として、大阪市を残す価値はないと断言していた。
▼これに対して、「歴史と伝統のある大阪市をなくしてはいけない」と訴えて平行線をたどり、210万人余の有権者は結局、市の存置を支持した。今回の選挙は、橋下氏のキャラクターを問う選挙でもあったように見られた。大阪府には大阪市と堺市の二つの政令指定都市がそれぞれに独自の行政を進めている。
▼大阪都構想は廃案になっても東京都に負けない発展を期待する府民の期待はあり、行政府の無駄を減らす努力は求められる。今回の選挙を通じて自治体改革の一つの方向性が見えたのではないか。

 2015年  5月 19日 ― 漂流郵便局への手紙 ―
 亡き父母や早世したわが子。所在不明の元恋人や昇天したペットなどへ手紙を書いても届けようがない
▼震災下でそんな葛藤も散見し願望に応え手紙受理の窓口として、「漂流郵便局」が瀬戸内海の粟島に開局したのは13年10月だ。建物は古い木造の元郵便局舎だが今は日本郵政とは無関係。これを新進芸術家の女性が13年瀬戸内国際芸術祭出品の建物アートとして改装した経緯がある
▼この改装局舎に死者らへの手紙の性格も加味し、「漂流郵便局」と命名。芸術祭にはこの改装局舎を作品として現場に展示。1カ月の芸術祭期間中は建物所有者の高齢男性が局長、女性が局員として折々に在勤。「漂流郵便局留め」の手紙を受理し保管する趣旨も普及し期間中に約4百通も届く
▼会期後も局を毎月2回は開き手紙を送る人に応えている。子息を失ったある父は「会いたい。抱き締めたい」と60通も出し妻と共に局を訪ねている。被災地からの手紙も多い
▼行方不明の幼なじみに「会社のトラックで配送中に、津波にのまれたと聞き胸が張り裂ける思い」と書く男性。「コロは津波でいなくなった。四月から中学生。コロにも見せたかったな」とペットを悼む少年もいた
▼昔の恋人に「あれから40年…。なぜ《あなたが一番好き》と言わなかったのか」と悔やむ初老の女性もいる。

 2015年  5月 18日 ― 政府の震災復興方針 ―
 3・11東日本大震災から4年2カ月が経過した。被災地の復興は最盛期に入っているわけで、政府の言う「集中復興期間」の5年目に当たる。本来ならば、「仕上げの段階」に入っていて、既に産業など民間の生産が活動しているところであった。
▼復興計画からは大きく遅れを取っているが、政府が12日発表した2016〜20年までの後半に関わる復興事業の政府方針を見ると、被災地の人たちと、竹下復興大臣などの考え方や政府の認識には隔たりが起きている。
▼古い人たちから見れば、太平洋戦争直後のように、現地の人たちが飲まず食わずのような生活をしながらも、全地域民がこぞって復興に打ち込む姿を想像しているのではなかったか。いや、まさに終戦時以上の涙ぐましいまでの活動もなされてきたが、時間がたてば苦しかったことは忘れられてしまっている。
▼安倍首相は方針に当たっての会見で「自分のまちは自分で復興するという意思をこれまで以上に強く求めたい」、また「自立する気概を持ってほしい」として、地元負担を導入する理由を問われ「自立」を強調した。
▼向こう5年間は「復興・創生期間」と位置付けされている。自立に向けては、地元の強い意識はもちろんのこと、自立に向けた手厚い支援なども引き出していかなければならない。

 2015年  5月 17日 ― 兼好法師のつれづれ ―
 「徒然(つれづれ)草」は、鎌倉末期の僧・兼好がしたためた随筆集である
▼時を超えた普遍の道理を織り込んでいて今も愛読されている。「徒然」には「手持ちぶさた」の意味もある。著者も所在なさに任せ心に浮かぶあれこれを書いたと冒頭に述べている。読む側の当方も手持ちぶさたの時に、今の季節感に合う章節を読むようにしている
▼先ごろは「五月五日〜」と始まる競馬見物を描いた一文を楽しんだ。陰暦の五月五日に京都の上賀茂神社馬場で催す競馬を兼好が見に行ったのだ。賞金を賭ける現代競馬と異なり宮廷神事に由来する小規模な古代競馬で、左右2コースを10組20頭が1組2頭ずつ順に走り速さを競う
▼走馬コースと観衆は柵で隔てられる。兼好一行は牛車で着くが観衆が多くて入れず降りて柵に向かったが、そこも黒山の人で近付けない。兼好は僧が木に登り枝に座って馬場を見ているのを目撃。僧は居眠りを続け落ちそうになると目を開く。「よくも木の上で眠れることよ」と人々はあざ笑う
▼兼好は言う。「私たちは今死ぬかもしれないのに見せ物を見ている。こんな愚かもない」と。「その通りですね」と言う人もいる。一文は人は木石ではないから感じるのだろうと結ぶ
▼兼好は競馬愛好者だから競馬の否定ではないが極論で自戒したのだろう。

 2015年  5月 16日 ― 世界遺産の父 ―
 世界遺産登録を勧告された釜石市の橋野高炉跡は、「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」の中に位置付けられた。
▼いわゆる「薩長土肥」の地で明治の殖産が起こったのは当然として、最後まで佐幕の南部領からも産業革命が起きたのは、盛岡出身の日本近代製鉄の父、大島高任の功績だ。大島は富国のパイオニアとして世界のお墨付きを得られることになる。
▼本県では既に平泉が世界遺産に登録され、こちらは戦乱の中世に平和都市を築いた理想を認められた。平泉の開祖、藤原清衡のおじにあたる安倍貞任は11世紀に厨川の地を繁栄させ、前九年合戦に敗れては血脈を清衡に託し、平泉文化の先達となった。盛岡の風土がふたつの世界遺産の「父」を生むかと思えば、まさにロマンだ。「貞任」と「高任」の魂が、時を超えて響き合ったのか。
▼貞任の弟、安倍宗任は前九年に敗れて九州に流され、今も福岡県の筑前大島を中心に故事が伝承される。その一族郎党が広まり、山口県にかけて多くの安倍姓が分布し、ときの総理も宗任の子孫を自認する。
▼ILCも佐賀と岩手が候補地に挙がり、本県に一本化されたが、北九州とは歴史的に不思議な縁を感じてならない。6月のユネスコの委員会で満額の登録が認められるよう、列島の南北で願おう。

 2015年  5月 15日 ― きょう、沖縄復帰の日 ―
 沖縄は70年前の今ごろは米軍が上陸。死者続出だった
▼半世紀前に当方が東京で寮生活をした時に、沖縄出身の寮友と親しくなり沖縄戦の悲惨さをよく聞いた。戦乱は3月26日に始まり6月20日ごろには沖縄が壊滅状態となって終息。一般県民の4人に1人が命を落としている
▼寮友は高校時代から仲間と激戦地を歩き戦争体験を取材していて、その一端も語ってくれた。当時の沖縄には随所に壕(ごう)と呼ぶ避難用の穴があった。皆が息をひそめていたある壕で若い母親が赤ちゃんを産む。平和時なら最高の慶事なのに悲劇となる
▼乳児が大声で泣くと奥にいた日本兵が怒り出す。「敵に聞こえる!皆を守るため赤ん坊を黙らせる」と乳児の顔を水たまりに沈め窒息死させてしまう。母は狂乱し自ら頭を水に沈め後を追う。犠牲者個々にそんな悲話がある
▼日本本土を守る捨て石とされた沖縄は戦後も米軍が統治。狭い島内に幾つもの基地を置かれ道路も「人は左〜」の米国方式。日本に行くにも外国扱いで旅券が必要と悲哀が続く。日本に復帰できたのは43年前のきょう1972年5月15日だ
▼だが米軍基地を抱えたままで解放感はない。日本政府も米国に同調し基地で苦渋を強いる。今は那覇市在住の元寮友も「衆院選沖縄自民全員落選」の民意も冷酷に無視だと痛憤する。

 2015年  5月 14日 ― 集団的自衛権の論議 ―
 今月の3日、日本国憲法施行から68年が過ぎた。近頃、「改憲」という言葉がメディアに頻繁に登場するようになって、気になるけれどもどうすればよいのか判断しかねている。3日前後には、各地で憲法を考える集会が開かれたりしたが、これまでのとは雰囲気が異なってきたように思われる。「改憲」が現実の課題として浮上してきていることを感じた。
▼間もなく戦後70年を迎えるが、安倍政権は集団的自衛権の行使を認める安保法制の成立を今国会で目指しているようだ。
▼さて、現憲法は今も誇るべき理念なのか、それとも68年を経て時代遅れになったのか。護憲・改憲のそれぞれの立場から政治家や学者が訴えているが、国民の側からは分かりにくい。しかし、他人任せにはしておけない大きな問題である。今こそ、国民が遠慮せずに持論を述べるべきではなかろうか。
▼現憲法の国民主権、基本的人権の尊重、平和主義の三原則は変えるべきでないだろう。「憲法9条があったから平和が守られた」という論理が通るのか、それとも、幸いに平和が守られたというのか。日米安保体制はそのままで、日本の自主外交が確立できるのか。
▼いずれ疑問な場合は手を付けるのはまだ早いと言えるのではないか。憲法の改正には国民の総意がまとまらなければならない。

 2015年  5月 13日 ― 「ネット断ち」の試み ―
 級友らからいじめられ少年や少女が、自ら命を絶つことがある
▼かつては「うざいんだよ」「死ね!」などの暴言も、面と向かって言われることが多かったが最近は様変わりしている。中高生たちも多機能携帯電話のスマホやパソコンを持ち、便利な機能で顔を見ずに言葉を送れる
▼しかも会って言う時間的な制約がないから、深夜でも早朝でも攻撃できる。返信がなければ逆上せりふも送れよう。父母ら保護者もアンテナを鋭敏にしなければ、事態を察知できずわが子を守れない
▼ネットに関してはいじめ問題とは別に、数時間もゲームにはまるなど「依存症」も深刻だ。中高生から大学生までを対象にした14年度の内閣府調査によると、1日平均10時間もネットを使う生徒や学生が少なからずいたという
▼これを受け文科省は昨年8月に「ネット断ち」を促すため、1日ネット10時間使用の男子10人によるスマホなし8泊9日「ネット断食」合宿を静岡で実施。富士山麓歩きにバーベキュー会食、専門医の診察も組み込んだ合宿に、彼らは意識を変えたらしい
▼3カ月後のネット時間は32%減少。不登校だった3人が通学していることも今春確認され、家族から感謝の声も寄せられた。一部に揺り戻しもあったが、「断つ」訓練は示唆に富む。文科省も合宿普及を図るという。

 2015年  5月 12日 ― 東日本大震災から50カ月過ぎる ―
 携帯電話に緊急地震速報が届いた次の瞬間「どん、と視界が揺れた」。東京から日帰りのつもりで初めて訪れた仙台で芭子(はこ)は東日本大震災に遭遇する
▼乃南アサさんが前科のある芭子と綾香の2人の日常を描く短編作の3巻目「いちばん長い夜」は11年3月11日から翌日までの一夜を指す
▼芭子は地震後、東京に帰らなければと仙台駅に行くが駅に入れない。情報もほとんどなく、街で目にする様子で重大さは分かるが、異様な静けさに包まれている。芭子は行きの新幹線で隣席だった男性と偶然再会し、2人でタクシーを乗り継ぎ翌日帰京できた。読んでいると、あの日の盛岡がよみがえるように内陸の仙台の被害描写が生々しい
▼文庫本あとがきで、芭子の経験は乃南さんの実体験に沿ったと知り驚いた。綾香が仙台出身という設定だったため、都合を付けて仙台へ取材に行ったのがあの日だった
▼芭子は避難所という言葉に、自分が被災者なるわけにはいかないととっさに反応した。その後、自分だけ安全な場所に逃げた「後ろめたさ」をぬぐえない。綾香は寝る間を惜しみ被災地通い▼芭子や綾香のようにあの日の延長にいる人たちが、被災地の外にも大勢いる。震災から50カ月が過ぎた。復興集中期間の議論がなされる中、風化に抗う力をもう一度高めたい。

 2015年  5月 11日 ― 仮設出て「家」に住む夢 ―
 人間らしく生きていくには、食べ物と衣服と住む家の三つを確保すべきことは誰もが熟知している
▼多くが豊かさの中でそれを忘れつつあった時、改めて切実に突き付けたのが東日本大震災だった。先月25日に巨大地震に襲われたネパールでも食・衣・住の確保は、不明者救助と共に深刻な課題となる
▼だが当座の現場では食物や衣類、避難用テントや毛布の公平な支給は難航したという。行方不明者の捜索もがれきの隙間を縫うような作業が続き手間取っている。こうした報道は3・11直後に現出した三陸沿岸被災地の惨状に重なり、当時の哀切なさまをよみがえらせる
▼発災5年目に入った今も「住む家」が整わず仮設住宅で暮らす県人被災者も多い。今年3月末現在で9942世帯2万1530人。宮城、福島を含む3県では3万7398世帯7万8787人に及ぶ
▼阪神大震災による仮設住宅利用は過去最長の5年だったが、東北3県がその5年を超えるのは確実な状況だ。沿岸仮設で暮らす当方の80代に入った友人は先日の電話で「この分では俺は仮の家で死ぬな。俺が生きた80年は仮の人生なんだべが」と不安と不満を募らせていた
▼県は長期化を前提に今年度の仮設改修実施を決めたが、せめて夢見る《わが家》への移転想定時期を示し高齢者を安心させてほしい。

 2015年  5月 10日 ― 家族を思い感謝する日 ―
 今年は5月第2日曜日の10日が母の日で、母への感謝の気持ちを表そうという日である。そして、6月第3日曜日の21日が父の日となっている。5月の母の日と同様に、父への感謝の気持ちを表す日となっている。
▼父母がご存命でなくとも、両親に感謝する気持ちを表す日であろう。今になって思うのだが、父母が健在なうちにもっと感謝しておけば良かったと思う。
▼こどもの日は5月5日であり、全ての子どもの健やかな成長を祈念するのが趣旨で、この日は「児童福祉の日」にもなっている。子どもを大事にすることを心掛けたい。一人ひとりのお祝いは、それぞれの誕生日などに行われるのだろう。子どもが何歳になっても親から見れば子どもであり、高齢になっても常に子どものことを心配しているのが親というものだ。
▼父や母の日、そして、こどもの日がありながら、祖母の日とか祖父の日、また、曾祖父・母の日といった定めはなされていない。9月の敬老の日で祝うのだろうが、それぞれに誕生日でお祝いをしてあげることになろう。
▼昔は季節ごとの祝い日には餅をついて食べたりしていた。今日では家族全員の誕生祝いが中心になっている。学校を卒業されて社会人になれば、なかなか全員がそろうことは難しいものだ。心の通う祝い方は続けたい。

 2015年  5月  9日 ― 寺山修司の5月 ―
 今の季節は葉桜にそよぐ薫風も爽やかで、散策の足も弾む。五月は多くの人を魅了する
▼劇作家などで多彩に活躍した青森出身の寺山修司は、詩歌でも鮮烈な表現で読む人を引き付けるが五月への思い入れも半端ではない。誕生日は1935年12月10日だが21歳で刊行した第一作品集「われに五月を」所収の「五月の詩・序詞」は次のように結んでいる
▼「二十才 僕は五月に誕生した〜僕は僕の季節の入り口で〜鳥達へ手をあげてみる 二十才 僕は五月に誕生した」と。「五月誕生」を宣言するかのように繰り返している。そのこだわりの意志が旅立つ日も誘導したのか。病気で47歳の生涯を閉じたのは「五月四日」だった
▼彼の3回忌を期して出版した新装版「われに五月を」の表紙裏には息子を悼む母・ハツさんの言葉が載っている。「五月に咲いた花だったのに 散ったのも五月でした 母」と。寺山ほどでなくとも五月礼賛は世の主流だろうが、「〜五月一日われ厄に入る」と詠んだ正岡子規のように五月を嫌う人もいる
▼子規には肺結核で大量の血を吐くなど嫌なことが幾度も五月に重なった事情もある。「子規」という俳号も「鳴いて血を吐く」とされる鳥・ホトトギスの漢字表記を用いている
▼人さまざまな季節感を顧みながらきょうも風そよぐ並木道を歩く。

 2015年  5月  8日 ― 郷里の神社の大祭 ―
 4月の末に郷里の神社の大祭日があった。例祭日には、朝早くから集落の人たちが神社に集まって、神社の参道の入り口と神社の前に幟旗(のぼりばた)を左右に2本立て、また、100bほどの参道の両側に棒杭を立てて、しめ縄を張り、ご幣束(へいそく)をつるして祭り本番を迎える。神社の床下からは芝居を演ずる舞台の材木を取り出して能楽堂の舞台と花道を設営した。
▼そして午前10時からは、別当の家から神社まで神職を先頭に、餅、魚、野菜、穀物、神酒などのお供え物を携えて、ほら貝を吹き鳴らし、太鼓を厳かに打ち響かせながら、集落のものたちが上下(かみしも)の正装で列をなして、神社まで歩んで昇殿しおはらいをするのである。
▼神社の前には朝早くから子ども向けの出店が開かれ、夜中までにぎやかに客が集まったものであった。子どもたちは小遣い銭を頂いて買い物をするのが楽しみ。神社の特設の舞台の前には夕方からござを敷いて見物の場所取りをしておいた。親戚を祭りにご招待して客を迎えた。子どもたちが2、3日前からヨモギを摘んでヨモギ餅を作るのも慣わしであった。
▼祭礼が終わると、翌朝には集落全員で舞台や幟旗などを片付ける。今日では、芝居の催しもなく、出店もなくなって、御膳とおはらいのみになっている。

 2015年  5月  6日 ― 暗さ不順応トンネル事故 ―
 40年も前のことだが運転免許証取得3日後に、初の遠出で盛岡から釜石へ行った時の恐怖が忘れられない
▼緊張し安全運転で走ったが遠野と釜石の境界にある仙人峠トンネルに入った途端、暗闇に吸い込まれたようになり先が見えなくなってしまったのだ。停止ランプを点滅させ入り口近くで立ち往生してしまう。前進も後退もできずに困惑しているうちに目が慣れてきたのか、前方がぼんやり見えてくる
▼それでも走る自信がなく途方に暮れていると、後方に大型トラックが停車。運転手の男性が来たので怒鳴られるかと思ったら逆で「免許取り立てなんだろ。立ち往生よくやるんだよな。トラックについてきな」と声を掛けてくれ、出口まで誘導してくれたのである
▼走り去るトラックにクラクションで謝意を表しただけで、ナンバーをメモする余裕もなかったことが悔やまれる。目が暗さに慣れることを「暗順応」といい、特に明るく晴れた日にトンネル入りすると、順応に時間が掛かりそれが事故の誘因にもなるという
▼この連休にも東北自動車道下り一関トンネル入り口付近の同じ場所で、2日続けて玉突き事故が起きたがこれも暗さ不順応が招いたらしい。当方は立ち往生初体験以来、徐行で目を慣らすコツを覚えてきたが快晴の日のトンネル入りは今でも身構える。

 2015年  5月  5日 ― 「ジヌよさらば」に思う ―
 映画「ジヌよさらば〜かむろば村へ」のジヌは東北地方の方言で銭(お金)と説明される。仕事でお金恐怖症になった元銀行員がジヌを使わずに生きようと移住した東北の寒村が舞台のコメディー。監督の松尾スズキが主宰する劇団大人計画は社会の歪みや不条理を突きながら、ギャグで包んでいくような芝居で熱狂的なファンが多い。それは映画でも彼の監督初作品から貫かれ、最新作も映画で笑ったあと、社会や生き方を考えさせらてしまう
▼原作はいがらしみきおのコミック。事前に情報をほとんど仕入れず、松尾の映画ということで見に行き、画面に映し出されたのは見覚えのある風景。福島県の奥会津である柳津町が主ロケ地だった
▼のどかな山村。これならジヌなしで生きていけるかと思えば、個性ある村人たちは水道も電気もガスも電話も使う。商店も料亭(旅館)もあり、貨幣経済の中に暮らす
▼村長選が近づき、元銀行員に転機が訪れる。自治体として税金の収納は不可避。映画で触れていない税の問題はどうするのかと終盤の展開に考えをめぐらせる
▼のどかな田舎暮らしも自給自足の生活も魅惑的な言葉だが、地域単独で限界集落に地方創生を見いだせるのだろうか。統一通貨、国税をはじめとする納税制度と経済格差是正との折り合いは容易ではない。

 2015年  5月  4日 ― 深沢元沢内村長の試み ―
 豪雪地帯の旧沢内村(現西和賀町)村民には、大雪や貧困で病んでも治療を受けられず命を縮めた歴史がある。1957(昭和32)年に村長に就任した故深沢晟雄(まさお)氏はこの課題に挑む
▼当時村の乳児死亡率は約7%に及ぶ。特に雪が道を閉ざし通院できない冬季は深刻だ。深沢はまず道路の確保に動き除雪用ブルドーザーを入手し道を開く。村の病院に優秀な医師も招くが通院者は増えない。高い医療費が壁になっていたのだ
▼深沢は高齢者と乳児の医療費無料化を決意する。だが県は国保法違反だとそれを拒否。深沢は国保法違反でも憲法違反ではないと指摘。憲法は国民に健康で文化的な生活を保障するが国はやろうとしない。それなら私がやるとし「国は後からついてきますよ」と名言も残す
▼村は60年に65歳以上無料化を実現。翌61年には60歳以上に引き下げ1歳未満無料化も導入した。62年には自治体として日本初の乳児死亡率0%を達成する。医療費充当が村財政を圧迫しないよう手も打つ
▼5人の保健師が全村民を訪問。詳細な健康チェックなど保健予防に力を注ぎ、脳卒中減少など医療費軽減に効果を上げる。深沢の予言通りに国も73年から70歳以上無料化を始めたが、保健予防無策で税投入が膨らみ失敗に終わる。国は今も巨額医療費問題を背負う。

 2015年  5月  3日 ― 大型連休ただ中 ―
 5月に入った。皐月(さつき)とも呼ばれ、サツキ・ツツジが一斉に咲き乱れる季節である。また、初夏に入って、新緑の季節とも薫風の季節とも言われ、快適な月といっても良い。からりと晴れた日を五月晴れといい、爽快の代名詞として使われている。
▼2日は、「八十八夜」で、立春から数えて88日目。この日から後に霜の降りることはめったになく、霜害の心配はなくなる。茶の産地では茶摘み時であり、この期の新芽茶が珍重される。5日は端午の節句で、屋外には桜の咲く頃からこいのぼりが目立つようになった。屋内には武者人形やよろいかぶとを飾られているご家庭もあろう。
▼5月の連休に入ったが、早くから旅行の計画などを立てて、行楽地などで休みを満喫している方もいらっしゃるだろう。幸いに連休期間は晴天に恵まれるようだから絶好の旅行日和になりそうだ。
▼農家では連休を利用して水田の作業計画を立てておられる方もあろうと思う。当方はギリギリまで何の計画も立てていなかったものだから、「今日は何の日か」とカレンダーをのぞいているところである。
▼3日は憲法記念日、4日はみどりの日、5日はこどもの日、6日は振り替え休日、連日何かの日になっている。連休の思い出にどこかに出掛けようと思っている。

 2015年  5月  2日 ― イチロー、41歳の闘魂 ―
 2000年秋に渡米して以来、今も大リーグで活躍するイチロー選手は1973年10月の生まれ。41歳だからこの世界では若い方ではない
▼でも年齢に限らず立ちはだかるどんなものにもめげずに、若々しい闘魂を秘めて立ち向かっている。その姿は「修行僧のよう」とも評されそれらしい名言も吐露している。「壁というのは〜超えられる可能性がある人にしかやってこない。だから壁がある時はチャンスだと思っている」との語録もある
▼この人には例えば年代の壁も歳月を重ね磨き上げた技と力を発揮する好機と映るのだろう。大リーグではマリナーズ、ヤンキースを経て今季は移籍したマイアミ・マーリンズで戦うイチローは、既に大きな仕事をしてチームを盛り上げファンを喜ばせている
▼日本時間で一昨日の対メッツ戦ではホームランを放った。マーリンズが4対3と1点をリード。追加点がほしい8回裏の場面でイチローは、走者2人を置いて1ボール1ストライクから5本のファウルで粘った後、直球を捉え右翼スタンドに運び走者一掃の本塁打で勝利を決めたのだ
▼喝采に包まれたイチローが「泣きそうやね」と感激する光景も印象に残る。先月26日には日米通算得点で1968点目を達成。元巨人の王貞治さんが持つ最多記録1967点を抜く壮挙も果たしている。

 2015年  5月  1日 ― 陳舜臣と斉藤さん ―
 作家の陳舜臣氏は1月21日、90歳で亡くなった。著名な文化人の訃報に接しては、ゆかりの県人を探して生前の思い出をたずね、関連記事にするものだが、陳氏と師弟関係にあった人が滝沢市にいた。4月から連載の「玄武門のメロディ」の著者、斉藤道廣さんだ。
▼陳氏には電話で何度も助言を仰ぎながら、20年越しで執筆した。もちろん面識はなかった。愛読するうちに自分でも中国史の小説を書いてみたくなった。作家の名鑑で連絡先を調べ、まさに科挙に臨む覚悟で門下をくぐった。文壇の大家であった陳氏が、岩手にあって東洋史に挑む斉藤さんの意気に感じ、じっくり作品を育て上げたことに、大陸的な懐の広さを感じる。
▼「玄武門」の舞台である唐の時代、都の長安には遣唐使をはじめ世界各国の人材が集まり、シルクロードの文化が花開いた。斉藤さんの筆は当時の街並みや民衆の暮らしを生き生きと描き、皇帝や武将たちの権力闘争を史実にのっとってドラマに仕立てた。陳氏へのオマージュも込めて作品を世に問う。
▼折しも中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)は、ユーラシア大陸に「21世紀のシルクロード」を標ぼうしているそうな。日本に対しては何かとこわもての習主席も、唐代の風に立ち返り、世界に懐の深さを見せてほしい。

 

2015年 4月の天窓へ