2015年 8月の天窓


 2015年  8月  31日 ― 本県の学力向上策は ―
 文部科学省が25日公表した「第8回全国学力テスト」の結果をみて、学力を引き上げるにはどのような教育環境を築けばよいのか、県民はさまざまなことを考えたことだろう。
▼日本海側に位置する秋田県が全国最上位。そのほか福井、富山、石川、青森県の小・中学校も全国上位にランク付けされているのに、なぜ本県は下位に甘んじているのかといった疑問が生じた。そして、小学校は中位であるのに、中学校になると全国最下位の方に転落し、特にも、理科・数学が芳しくないことも憂慮する。
▼全国的な傾向としては「下位の自治体の底上げが進んだ」と文科省が強調しているとおり、低位の県で学力の向上に取り組みを強化したことが実ってきているようだ。沖縄県では上位に定着している秋田県に教員を派遣して授業のノウハウを学ばせる施策をとっている。今回のテストでは小学校の国語、算数、理科、中学校では数学、理科の成績が都道府県別に公表されている。
▼本県は小学校が算数Bを除き、平均を上回ったが、中学校では全て下回り、数学A、Bが45位と低迷している。東北では、宮城、山形、福島でも本県と同じような問題を抱えていることが分かった。本県では、特に中学校のレベルアップに具体的な取り組みを強化して欲しい。

 2015年  8月  30日 ― 敗戦と占領・接収 ―
 戦後70年をさかのぼると「占領」「接収」の文字が浮かぶ。他国の領土を武力で一定期間支配下に置く占領。強制的に所有物を取り上げる接収
▼敗戦国日本は米軍など連合軍の支配下に置かれ、国内各地の旧日本軍施設や民間のビルをはじめ著名な宿泊施設などが接収されている。それら戦後対応の総責任者として赴任したのが米軍のマッカーサー元帥だ。70年前のきょう30日に来日している
▼厚木基地の飛行場に着きパイプをくわえタラップを降りる姿は後々まで映像で伝えられている。厚木基地は旧日本軍の軍用地だが既に米軍先遣隊により接収されていたのだ。元帥の指揮本部も接収した都心の民間ビルに置かれ、そこがGHQ(連合軍総司令部)となる
▼1945年8月に始まった占領体制は、戦争終結を合意したサンフランシスコ講和条約が発効した52年4月に終わり、接収も解消し返還となる。ただ日米安保条約の関連で沖縄をはじめ全国83カ所にある米軍専用基地は、日本の旧所有者に戻ることはなく接収状況が続く
▼今週も厚木基地に近い米軍相模総合補給廠(しょう)の危険物倉庫で爆発があり、倉庫がほぼ全焼する事故が起きている。沖縄が顕著だが爆音や墜落事故、米兵の犯罪など、基地近在の住民は今も占領・接収時代のおびえから抜け出せないでいる。

 2015年  8月  29日 ― 告示された県議選に望む ―
 岩手では知事選は現職の無競争当選になってしまったが、県議選に入っている。盛岡市では市長選と市議会議員選が23日に終わったばかりだが、28日には県議選の告示がなされて9月6日の投票日まで再び選挙熱が高まるだろう。盛岡市議選では 2千票前後が当落の線上に置かれたが、県議選盛岡選挙区では定数10に対し立候補が11人と少なく当選ラインが上がると考え、票の奪い合いが一層激しくなるだろう。
▼問題は有権者の選挙熱であるが、「立候補者そのものを知らない」とか「候補者がどんな政策を考えているのか」などといったような有権者の声を耳にする。このところの低い投票率から察すれば、そんなことが投票所に向かう気持ちを盛り上げていないのではないかと思われる。
▼選挙は、党の公認にこだわって「名前を連呼するだけ」のことが多い。具体的な見識や政策の方針がないから若者を引きつけない。
▼県議選の争点は何か。国政と地方はつながってはいるが、今回は地方自治が問われる選挙であり、議員が何をしたいのかを明確に訴えなければならない。「誰に入れても変わらない」と思わせるようであってはならない。政党の看板や政策を背負うのも重要だが、立候補者個々の地域の振興や発展に向けた具体性のある政見を示した戦いを望む。

 2015年  8月  28日 ― 油井さんが宇宙で大仕事 ―
 台風15、16号に次いで17号の卵発生との情報も耳にする。台風には渦巻きの中心にぎょろりとにらむような目がある
▼地上から400`の軌道を周回中の国際宇宙ステーション(ISS)に、7月から滞在中の宇宙飛行士・油井亀美也さんがその台風の目を撮影。写真を短文投稿サイトで公開した。油井さんは「ぎょろ目」を「恐ろしい悪魔のように見えた」と書いて、祈るように「どうか皆さま、ご無事で」との一言を添えている
▼油井さんは大きな任務をこなしながら、5カ月間滞在する予定だ。最初の大仕事は滞在飛行士たちの食料や水、実験用各種機材などを搬入するため打ち上げられた日本の無人補給機「こうのとり」5号機を、ISS本体に結合させる作業である
▼8月24日19時すぎに10bまで接近した補給機の突起を、油井さんは長い腕を持つロボットでつかみ引き寄せ、夜半にISSへの結合を成功させた。昨年10月以来、米国補給機が2度打ち上げ直後に爆発し、ロシア機も制御不能になるなど米ロの失敗が目立つ
▼それだけに「こうのとり」は過去4回も成功したが、とりわけ今回は評価が高い。陰の支えもあった。米航空宇宙局では先輩の若田光一さんが通信任務を指揮。筑波宇宙センターは補給機制御に尽力する。日本のチーム力が光る壮挙といえよう。

 2015年  8月  27日 ― 夏の総括 ―
 今年は「盆過ぎれば秋風」のいわれ通り、8月末は急に涼しくなったが、盛岡地方気象台によると、盛岡の今夏の最高気温は7月26日から15日間連続30度を上回った。この間の降水量はわずか7・5_。このため、県内各地で行われた夏祭りは好天に恵まれ、多くの人でにぎわった。レジャー関連業者や太陽光発電事業者、冷房機器業者などにとってはプラス材料であったろう。
▼しかし、あまりの高温小雨によって農作物の生育に深刻な影響があったこと、また、熱中症で高齢者や子どもたちが健康を損ねるなど、大変な夏であった。各地のダムが貯水量を減らして水不足などの事態が生じ、節水の指示が出されたところもあったろう。
▼先日、いつも通っている町医者に行ったら、夏にはクールビズを改めて薦められた。こちらはいくら猛暑でも長袖のワイシャツを着て、上のポケットにはネクタイを入れ、背広の上着を抱えていくものだから、見る方は暑苦しいのかもしれない。余りにも強い日差しに腕が焼けてしまうのではと懸念して長袖で通した。
▼今夏の休日は、高校野球で東日本勢が活躍し、テレビの前にくぎ付けになった人が多い。花巻東、秋田商、仙台育英などが勝ち進んだ。猛暑も冷夏も困りものだが、こちらは毎年、熱戦であってほしい。

 2015年  8月  26日 ― 羽田氏の芥川賞作品 ―
 羽田圭介さんの芥川賞小説「スクラップ・アンド・ビルド」を、選考委員の山田詠美さんは次のように評している
▼「高齢化社会の今、読まれるべき。参考にはならなくとも、ある種の光明はさす」(文藝春秋9月号)と。この作品は首都圏在住で資格取得や求職に動いている28歳の孫息子・健斗が、母と共に叔父宅から引き取った87歳の祖父の介護に奮闘する物語である
▼「もうじいちゃんは死んだらいい」が祖父の口癖。健斗の顔を見ると「体中が痛くて痛くて悪くなるばぁっか」と言い「(天国から)早う迎えにきてほしか」と郷里の言葉で繰り返す。健斗はこれまで何十回も祖父を病院へ連れて行き、検査をしても異常はなかったことを思い返す
▼医学的には健康なのになぜ死を口にするのかを思案する。自分は祖父の魂の叫びを聞き流していたのではないかと猛省。祖父の言葉通り受け止め接し方を改める決心をする。娘である母は祖父を怒鳴りつけてばかりいる。痛い、死にたいとの声は健斗にすがっているのだと気付く
▼祖父は苦痛や恐怖心すらない究極の尊厳死を求めている。それを自分が実現させると彼は誓う。このあたりは光明がさす場面だ。だが健斗が試みたのは祖父の日常から動きを奪い楽にさせ、衰弱を早める手法だ。確かにこれは参考にはならない。

 2015年  8月  25日 ― 大都市圏と地方の経済格差 ―
 月例経済報告によると、4─6月期の国内総生産が前期比マイナス0・4%、年率換算ではマイナス1・6%で、3四半期ぶりのマイナス成長になっている。経済は回復途上にあると言われてきたが、ここに来て、景気が失速しているのが現れてきている。
▼これまでは、安倍政権の経済政策効果として「緩やかな回復」に置かれていると発表されてきているが、国民の暮らしには直結していないのではないか。
▼円安、株高で一部の大企業の収益は改善され、大都市の大手スーパーや有名な観光地には訪日観光客が訪れて「爆買い」を誘っているために、ややもすれば全体が売り上げを伸ばしているように受け止められる。しかし、円安は輸入原料の値上がりを招き、地方や中小企業には恩恵が来ず、賃上げも十分に手当てできないために非正規労働者でつないでいるのが実態ではないか。
▼地方銀行などの金融機関では来春の大卒採用給が20万を超えるところが多いとしている。県内の金融機関でも歩調を合わせていく見込みのようだが、一方、製造業やサービス業などではとても高額の採用給に踏み切れない。技術職を採用して技術の継承を図ろうとしても、初任給の大きな差で大都市圏に向かってしまう。そのように格差が大きくなってきているのが現状ではないか。

 2015年  8月  24日 ― 孫世代のふるさと志向 ―
 昨今は都会の若者が積極的に農漁村へ移住するという。実情を調査している小田切徳美明大教授は、特に孫世代が親世代を飛び越し祖父母が住む地域に移住する事例に注目する
▼孫夫妻が祖父母が住む町に移り、町営住宅に入居。二人は就職したほか祖父母宅に通い兼業的に農業を始めたケースも紹介している(全国町村会機関誌「町村週報」2908号)。孫世代が移住先に選ぶのがかつて正月やお盆に訪ねた、祖父母が住む田舎であることにも着目
▼これをUターンをもじり「孫ターン」と呼ぶ。またこのような都会の孫の動きをいち早く描いたものとして、本県久慈市沿岸の海女漁をモデルとしたNHK朝のドラマ「あまちゃん」(13年度上半期)を挙げている。ドラマには一家族3世代の女性が登場する
▼老齢の今も海女として海に潜る祖母・夏。実家を飛び出し東京在住の母・春子。孫で高校生のアキ。アキは夏休みに母と一緒に祖母宅を訪ねる。母はふるさとに愛着はないが海に潜り上手にウニも捕る祖母に魅了されたアキは、自分も海女になると決め高校も転校。祖母の元で修業する
▼一時上京し別の夢も見たが大震災を機に帰郷。迷いを捨て自ら選んだ海女の道を祖母と共に歩む。まさに「孫ターン」だ。現実にアキのような選択をする孫が珍しくないのだろう。

 2015年  8月  23日 ― 短歌甲子園の青春譜 ―
 10回を数えた今年の全国高校生短歌大会(短歌甲子園2015)は、盛岡四が団体戦初優勝を飾り21日に閉幕した。過去、盛岡三が第1回と第6回に優勝し、県勢2校目の優勝校となった
▼盛岡四は文芸活動が盛んで文芸部は全国コンクールなどで名を響かせてきた。6年連続9回目の出場で、これまで準優勝にも及ばず不本意だったかもしれないが、「文芸の四高」が念願のタイトルを手にした
▼古川智梨さん、土谷映里さんら3人で組んだ盛岡四は決勝で水戸葵陵と「願」の題で対戦。1対1で迎えた大将戦、武田穂佳さんの「新しく生まれたい夜/願いこめ/二十枚の爪すべてを磨く」と詠み、優勝を引き寄せた
▼短歌甲子園は石川啄木の顕彰とともに、早世の青春歌人の輝きを若い世代にも紡いでほしいと願い盛岡で始まった。啄木に「ほとばしる喞筒(ポンプ)の水の/心地よさよ/しばしは若きこころもて見る」という歌がある。高校生が今大会の決勝で詠んだ歌や受賞作品からは、ハイティーンの等身大の生活や感性が伝わってくる
▼すがすがしくもあり、ほほ笑ましくもある短歌に触れると、数十年前の制服姿に戻ることも許されそうな気持ちにさせられる。輝きながら、ほとばしる水しぶきのような高校生の可能性。からすことなく成長することを願いたい。

 2015年  8月  22日 ― 岩隈、イチローが大記録 ―
 日本では高校野球が盛り上がっていた頃、米大リーグ邦人の朗報が相次ぐ
▼最初に飛び込んできたのはマリナーズの岩隈久志投手(元東北楽天)の大記録。12日の対オリオールズ戦でノーヒットノーラン(無安打無得点試合)を達成したのだ。岩隈にとっては日米プロ球界を通じて初の快挙となる
▼この試合は116球を投げ大リーグで初完投。今季4勝目を飾る。岩隈は12年にマリナーズに入団。メジャー通算はけがで苦労もしたが、42勝22敗と五分の成績を上げている。ノーヒットノーランは日本人では野茂英雄投手(1996年と01年の2度)に次いで2人目
▼岩隈は18日にはレンジャーズ戦に先発。3対2で勝ちこれで5勝目、日米通算150勝となる。投球術で評価されているのは得点につながる先頭打者対策。今季11試合の先頭打者被安打率は1割3分9厘。この日も6回まで出塁ゼロだった
▼もう一つの朗報はマーリンズのイチロー選手の安打数の偉業。球聖と仰がれるタイ・カップ選手(1961年没)の安打数が歴代2位の4191本。イチローが15日に4193本に達し歴代2位の座も奪う。歴代1位はビート・ローズが持つ4256本だ
▼イチローは19日には一挙に4安打を放ち、着々と王座へと迫っていく。41歳だが怪物ぶりに全米が沸いているという。

 2015年  8月  21日 ― 伊藤幸子さんの著書「口ずさむとき」 ―
 盛岡タイムスの毎週水曜日に8年間、昨年末で416回も1千字ほどの玉筆を寄せていただいている「口ずさむとき」の筆者伊藤幸子さんが、連載をまとめた同名の著書を出版された。
▼分厚い著書をたまわったので早速ページを開いてみると、著名な方々の句や歌の掲出に続いて、作品の解説やその人についてのエッセーを見事に書き上げている。幅が広く、なかなか含蓄のある文で情がこもっている。その描写は、ご自分がお書きになられたのだろうか、いや、句や歌の詠み手や主人公に執筆を依頼されたのかと思わされるほどに迷わされる。ついつい、興味が高まって最終ページまで拝読させられてしまった。
▼選者岡井隆先生のことを記されているのが目に付いた。日経歌壇の選者、NHKテレビで短歌指導をされている有名な先生のことに触れられていた。新聞、テレビで知った歌人である。幅の広い、しかも長い交流の中で培われた文学者の足跡がつづられている。
▼伊藤さんは、著書のあとがきに自分史を述べられている。1964年に北宴文学会に入会され、以来、コスモス短歌会など、文学界のみならず全国に広く多くの方々との交流を重ねて今日があると。97年には歌集「桜桃花」を刊行されている。
▼「口ずさむとき」の旋律は今も紙面で奏でられている。

 2015年  8月  20日 ― 演歌「爺(じーじ)の海」 ―
 昭和のヒット曲「おやじの海」については先週触れたばかりだ。そこへ今度は老いた漁師を歌う「翁(じーじ)の海」と題する新曲が、被災地を中心にファンの輪を広げているという
▼この歌で作詞家デビューをした渡部晃さん(68)が、福島県沿岸の原発事故被災者であることも伝わっているからだろう。大震災時の事故で発生した放射能に追われ、現在も埼玉で避難生活を強いられている。漁業経験はないがふるさとの海が忘れられないらしい
▼今も目を閉じると行き交う漁船や威勢のいい漁師の姿が、ありありと浮かんでくるという。原発事故で郷里のあの活気が奪われてしまったので、渡部さんは港の地名も織り込んで往時の情景を孫に伝える形の歌詞を作ったのである
▼歌は出航の情景から始まる。「あれを見ろよと指さす先は かすむ海原 請戸(うけど)の港」「はるかかなたは双葉の海よ〜太い掛け声波間にひびきゃ 無事でいろよと声がする」と。デビュー曲「孫」で知られる大泉逸郎さんが作曲と歌唱を託され「翁の海」が誕生する(今年5月発売)
▼民謡で鍛えた力強く伸びやかな大泉節が、ときには哀感も漂わせながら福島の海と漁の心意気を歌い上げる。出航で始まった歌は赤銅顔こそ翁の歴史だと告げて、「海に感謝の戻り船」と帰港の心情で結ぶ。

 2015年  8月  19日 ― 南部杜氏の発祥 ―
 日本各地の蔵元で活躍しているのが南部杜氏(なんぶとうじ)である。杜氏は南部、越後、丹後などが有名で、盛岡藩初代の南部利直の時代に盛岡へ移り住んだ近江商人から継承されている。
▼盛岡に城下町が形成され、経済活動も活発化していき、そこで大きな役割を果たしたのが近江商人であった。慶長18(1613)年、村井新七が大手門前の京町、現在の本町通に店を構え、商売繁盛したので多くの近江出身者がそれに続き地歩を固めた。
▼彼らの一人が盛岡の南部に当たる志和、現在の紫波町で造り酒屋を始めた。近世以前、北奥羽一帯で飲まれていたのは濁り酒がほとんどで、当時、澄み酒と呼ばれる清酒はつくられていなかった。地元の雇い人に寒冷地での技法を学ばせ、寒造りのような冬場の酒造りが農閑期の副業として好都合だった。
▼習い覚えた技を携えて藩外に出稼ぎに行くようになったのが南部杜氏の誕生になったといわれる。酒造りは時代と共に変化して、米不足の時代の安価酒時代1級、2級といった区分から、現在は吟醸、本醸造などに分けられている。
▼米を磨く割合が高い順から大吟醸、吟醸、本醸造と区分される。これに原料にアルコールを使用しない純米などがある。本県は全国新酒鑑評会で金賞など上位の銘柄を出している。

 2015年  8月  18日 ― 花巻東が惜敗 ―
 16日の甲子園夏の高校野球大会では、岩手代表の花巻東が仙台育英と対戦。8強を目指す東北同士の熱闘となる
▼強豪ぶりから優勝候補とのささやきも聞こえる仙台育英だ。その意味では今年春の選抜甲子園優勝校・敦賀気比を、本大会2回戦で8対3で破った花巻東も引けを取らない。ほぼ互角と見る人も多い
▼試合では双方とも先発にはエースを使わず仙台育英は百目木に、花巻東は加藤にマウンドを託す。仙台は初回表に1死2〜3塁とし、4番5番打者の連続ヒットで2点を先制。その裏花巻は1死2塁で3番千田がレフトに適時打を放ち1点を返す
▼花巻は2回表からエース高橋が投げたが、出鼻に1点を追加された後は引き締まる。4回裏には4番熊谷が左翼へ本塁打を放ち1点差とする。さらに1死1塁となり仙台はエース佐藤を登板させて抑え、6回表には逆に1点を加える
▼花巻は7回裏に1死3塁で菊地が犠飛。再び1点差に迫る。9回表には仙台が1死1〜2塁で放ったとどめのライナーを左翼手の千田が劇的な美技で捕り、次打者は三振。花巻は9回裏にも2本の安打を放つ。得点はできず4対3の惜敗に終わったが内容は互角だろう
▼「みちのくの国原広く 見はるかす高き城跡」と、同高の校歌を口ずさみながら大拍手で花巻東の健闘をたたえたい。

 2015年  8月  16日 ― 盆に抱くそれぞれの思い ―
 終戦から70周年を迎えた。月遅れのお盆中でもあり、それぞれの年代、人生経路などによって、終戦記念日の8月15日はさまざまな思いをめぐらし、複雑な気持ちを持って過ごされたことと思う。
▼盛岡では毎年お盆の8月16日に花火や爆竹とともにご先祖様に感謝の気持ちを込めて仏様をあの世に送り届ける舟っこ流しが催されている。戦争で亡くなられた方々への弔いも込められる。この日は、旧盆の最後を飾る送り火の日でもある。
▼太平洋戦争の発端は満州事変にあると言われているところから、15年戦争の呼称が用いられた。しかし、その3年前、昭和3年6月に張作霖暗殺事件が起きている。
▼「陸海軍の抗争」もこの時に始まったと言われている。日本の中国進駐は国際間に取り決めがあるから、それを破れば英米と戦争になることを覚悟せねばならぬと警告する軍人がいた。米内光政であった。米国は建国以来、中国市場の獲得を目指して太平洋を西進してきていた。国際情勢の変化、特にも日米関係の悪化が大きな戦争をもたらすに至った。
▼太平洋戦争終結から70年を経たが、その苦い経験が消え失せないうちに、東日本大震災津波の大きな悲劇を被ってしまった。平静を装っているが、お盆に入ってから二重、三重に悲しみがこみ上げてきていた。

 2015年  8月  15日 ― 平和な70年支えた憲法 ―
 近所の学生から何かお薦めの読みものはないか、と問われた
▼そこで憲法全文を読んだことがあるか尋ねると、拾い読みだけだというので夏休み中に全文を何度も読むよう提案。彼も安保法制問題もあるから挑戦すると笑顔で答え、その日から始めたらしい。道で会っても「9条は暗記できます」などと声を掛けてくる
▼国民の甚大な犠牲を経てたどり着いた終戦の日から満70年。領土問題など火種はなくはないのに戦争を仕掛けることも巻き込まれることもなく、対話外交で課題に臨み不戦を貫き現在に至ったことを思うとひとしおの感慨を覚える
▼「戦争放棄」を世界に向け宣言した第9条を軸とする平和憲法の精神を、国民が大切にしてきたからこその平穏な70星霜だったと言えるだろう。だがそれに酔うてはいられない。現憲法が肌に合わない安倍総理は、「わが軍(国防軍)」も持ちたいらしく、改憲草案にもそれを織り込んでいる
▼ただ多数与党でも改憲のハードルは高く越えられない。麻生副総理はドイツのナチスが当時の民主憲法を骨抜きにした手法をまねればいいと放言した。総理はそれに似た解釈改憲に踏み込み、歴代内閣が否定した「集団的自衛権の行使」容認も閣議で決定している
▼先の学生は安倍氏が思想を改めるか総理交代かだと顔を曇らせている。

 2015年  8月  14日 ― 東条英機の思い出 ―
 戦後70年の対談「先人の波濤」を企画した。会場は盛岡市先人記念館で、米内光政の事績を中心に話を進めたが、対照的に東条英機の話題も多く出た。
▼20年以上前に、地元の新聞記者の大先輩に、東条にインタビューした折の話を聞いた。上京し、東条の部屋に通された。開口一番、東条のあいさつは「用件を言え」だった。地元から取材に来たのに、ずいぶんな口ぶりではないかと思いながら、「閣下は盛岡のご出身だそうですが」と切り出したところ、「そんなことは戦争に関係ない!用件を言え!」と一喝されたという。
▼今でも取材現場では似たようなことがある。しかし当時の高級軍人と記者の距離感は、現代からは想像を絶するものだったろう。世間話ひとつ許さない相手を取材する緊張感を思うと冷や汗が出てくるが、その大先輩は「あのときは内心、腹が立ったが、あとから相手の立場を考えると確かに、盛岡うんうんは関係なかった。東条の言う通りだった」としみじみと回顧していた。
▼東京裁判ではA級戦犯として起訴され死刑執行された東条だが、評伝を読むと身内には優しくしながら、職務上のひいきなどは許さなかった。靖国問題などでいまだ、国内外の東条への評価は厳しいものがある。現代政治にも照らし合わせ、戦争と平和の意味を考えたい。

 2015年  8月  13日 ― 危険潜む川内再稼働 ―
 鹿児島の川内市を流れる川内川の河口に、九州電力が建てた川内原子力発電所がある(1号機が1984年7月に2号機は85年11月に運転開始)
▼日本には43基の原発があるが3・11福島第一原発事故を機に、安全確認のためすべての原発は運転停止となった。地元では放射能汚染の怖さを思いホッとする人。発電量を案じる人など反応はさまざまだ。一方電力会社は早期再稼働を期し厳しい規制基準クリアに挑む
▼地震国日本だから厳格に審査すればどこにも安全地帯はない。防災装備や危機管理体制などで最悪事態を阻止し、安全度を高めるしかないなと門外漢も不安を募らせるばかりだ。そんな折に先の川内原子力発電所1号機が、新規制基準に全国で初めて合格したとされ一昨日に再稼働した
▼大事な視点だなと感じたのは合格を決めた規制委員会委員長の言葉だ。冷酷なほどきついことを語っている。《委員会は安全審査をしたのではない。稼働基準の適合性を審査したのだ。だから絶対安全とは申し上げられない》(趣旨)と
▼国会でも原発は安全とは言えないと述べてきたと言う。委員長は審査役に徹し稼働の是非は安倍政権の政策判断に委ねたのだろうか。再稼働の陰に危険が潜む。現地では賛意もあるが反対の怒号が広がる。福島の皆さんも稼働に絶句だろう。

 2015年  8月  12日 ― 地方選挙と民主主義 ―
 地方創生に不可欠な人材が岩手も不足ではないか。これから始まる知事、県議選をはじめ、今年の県内市町村の選挙から感じざるを得ない
▼盛岡では前回無投票の市長選で8年ぶりの選挙戦が確実なのはよいとして、市議選は定数38に立候補を予定しているのがわずか41人にすぎない。知事選に至っては告示間際になって1人が出馬を取りやめ現職が無投票で3選しそうだ。県議選は今回もいくつかの選挙区は無投票になるとみられる
▼議員選挙では定数に満たない議会が今後、数多く出てくると懸念される。首長選挙でも立候補なしという極端な事態が起きかねない
▼立候補者減少もあって議員定数の削減は常に取りざたされる。地方政治においては、首長も議員も直接選挙で選ばれ、二元代表制の中で、議会の機能低下を招く安易な削減は避けなければならない。半面、当選後に問題を起こすような人物が議員になって議会の資質を下げている事実も見逃せない
▼有権者が投票権を行使できない傾向の拡大は、民主主義の行く末に危機感を抱く。定数のみならず、地域に潜在する人材が政治で汗をかく機会を得やすいなど会議日程をはじめ議会の在り方を真剣に考える時期に来ている。実のある民主主義維持のため、住民を巻き込んだ議論へ議員からの働き掛けも望みたい。

 2015年  8月  11日 ― 「おやじの海」余話 ―
 今までに出席した結婚披露宴で、感銘を受けた場面は少なくないが、媒酌人が冒頭あいさつの中で自ら演歌を歌い新郎を励ました光景はその筆頭になる
▼新郎は父の後を継いだ漁師の青年で、父は楽しみにしていた息子の門出を見ることなく3カ月前に病気で急逝。遺言は「挙式は天から見守るから予定通り明るくやれ」と一言だけ。媒酌人はその事情を話し新郎新婦紹介を終えると、「異例ですがここで一曲歌わせてください」と言う
▼シーンと静まる中、響き渡る声で歌い出したのは昭和の大ヒット曲「おやじの海」だ。会場にうなずくしぐさが広がる。「海はヨー 海はヨー〜俺を育てたおやじの海だ」と一節歌うたびに掛け声が飛ぶ。「汐(しお)のにおいがはだ身にしみた そんなおやじがいとおしい」のくだりでは多くの目に感涙が光る
▼結びの《空の入道雲がおやじの顔に似ている つらい時には入道雲をにらんでおやじの苦労を思い出し耐えていく》との熱唱を「二人で頑張れ!」の声援が包む。あれから12年が経過。媒酌人は魚市場勤務だったが今春退職。先ごろ懇談したが若夫婦も一男一女を授かり幸せに暮らしている
▼あの日披露宴で新郎は「おやじの海」を自分の応援歌に決めた。毎年旧盆には父の墓前で静かに歌い空を仰ぎ心を新たにしているという。

 2015年  8月  10日 ― 新渡戸稲造の国際協調 ―
 「不正を知りつつ自国を弁護するな」。盛岡・ビクトリア姉妹都市提携30周年記念として本紙に毎日載っているシリーズ「新渡戸の至言」210回は、こんな要約で紹介されていた
▼盛岡出身の国際人新渡戸稲造は1919年、58歳で国際連盟事務次長に就任。新渡戸基金維持会の藤井茂事務局長の解説によれば、就任時の新渡戸に聞こえてきたのは「日本は好戦国ではないか」とのうわさだった。それに対する稲造の態度は、不正の自国を弁護するのは国のためにならず、逆に誤りと不義の中に放り込んでいることになると、日本を弁明することはなかった。別な形で日本を示すよう努めたという
▼第二次世界大戦終結の年、国際連盟に代わる国際連合が設立され今年で70周年。21世紀に入ってからも戦争や紛争は絶えない。戦争に至らないまでも、領土問題など自国の主張を一方的に押し通そうとする行動は少なくない。国ではない集団・組織による過激テロの止む気配も一向に見えない
▼稲造の時代以上に国際化が進んだ今日の世界では、各国が国益を守る立場から外交に望むのは当然に違いない。しかし、力に任せた一方的なごり押しは当事者間の関係悪化を招き、国際協調の妨げになる。信頼を得る言動抜きには国際協調は進まないと、稲造は諭しているのかもしれない。

 2015年  8月  9日 ― 花巻東の初戦に湧く ―
 高校野球選手権「夏の甲子園」大会が6日に開幕。岩手代表の花巻東高校は2年ぶり、8度目の出場となり初戦を勝利で飾った
▼開幕3日前に組み合わせ抽選会があり、チームには第4日目以降がいいなという遅め期待の雰囲気があったが、佐藤唯斗主将が引き当てたのは第2日(7日)の第1試合。彼が「やっちゃったな」とつぶやいた瞬間に皆の心は「よしっ!」と戦闘モードに切り替わる
▼対戦相手は千葉県代表の専大松戸高だ。春夏通じて初出場ながら県内強豪を抑えて代表となった底力は侮れない。千葉で勝ち戦の軸となってきたのが、プロ注目のエースで4番を打つ原崇だ。試合は花巻東がこのエースを打倒する形で展開。花巻東の左腕・高橋樹也もプロ注目のエースで好打者でもある
▼後攻めの花巻東は2回裏、2死満塁から高橋の2点適時打で先制。3回裏には小松悠哉のタイムリーで1点を追加。4回表には三つの失策絡みで2点を奪われるが、5回裏に熊谷星南の遊ゴロが処理ミスを誘い1点を加え原投手は降板。花巻東は4対2のまま逃げ切る
▼エース高橋は四球一つという制球力を見せ3連続を含む10奪三振で完投。9回表2死からの連打も逆転許さじのドラマを演じて幕を閉じ、場内を沸かせた(花巻東高校の第2回戦は13日の第4試合になる予定)。

 2015年  8月  8日 ― 阿川弘之さんの夏 ―
 阿川弘之さんの訃報に接した。日本の戦記文学を切り開いた作家が、戦後70年の8月に、94歳で亡くなった。代表作「米内光政」の執筆当時はおそらく盛岡にも下調べに来られただろう。
▼米内と静岡県との不思議なゆかりを知り、2003年に旅行した折、伊豆に取材に行った。静岡県議会議長を務めた宮田行正さんが、戦前の米内邸に引かれていた電話番号をまだ使っているというのだ。語呂合わせで末尾4桁を0471(よない)と設定していたダイヤルが、戦後の混乱や1958年の狩野川台風の被災のうちに異動し、宮田さん宅に引き継がれていた。
▼自民党の宮田さんはこの電話を通じて永田町と音信を取り続け、まるで米内が戦後政治に耳をそばだてていたかのような話を聞いた。その際も阿川作品を参考に記事をまとめたことを思い出す。
▼愛国者で鳴らした阿川さんだが、三国同盟に反対し、終戦に命を懸けた米内の思想に着目し、岩手の宰相の生涯を雄渾に描いた。宮田さんも阿川作品をひもとき、海軍時代に仰ぎ見た米内との縁を誇りにしていた。
▼戦後70年の節目にあたり、宮田さんにまた米内の話をうかがおうと電話したが、残念なことに今年、亡くなられていた。今は泉下で米内を囲み、阿川さんと祖国の行く末を語らっているのだろうか。

 2015年  8月  7日 ― 東電の原発事故責任 ―
 大震災で原発事故に襲われた福島は、放射能汚染という重荷を背負い被災者救援も復旧、復興も難渋を極めている
▼今も約11万人の県民が全国各地で避難をしている。除染もままならず「帰りたくても帰れない」でいるのだ。事故処理そのものの難航も指摘され、放射能汚染水がたまり続けていることも判明。それが海に流出することもあるというのだからただ事ではない
▼この夏も広島、長崎と原爆投下の日が続く。原子爆弾は悪魔の武器で原子力発電とは次元が大きく異なるが、ウランなどの核燃料を用いるところは共通する。だから東京電力のように原発事業を進める会社の首脳は、「核の恐ろしさ」を肝に銘じて常に巨大津波なども想定。起こり得るあらゆる事態に備える責務がある
▼東電は08年に「15・7b」の津波発生を試算しながらそれに見合う備えは手抜き。安全神話PRだけは熱心だったのだから罪は軽くない。これまでにも起訴の是非が問われてきたが先月末、東京第5検察審査会が東電元会長ら3人について「起訴相当」と議決
▼今後は東京地裁指定の検察官役の弁護士が3人を起訴。業務上過失致死傷などの容疑で刑事裁判が始まる。15・7bに備えて万全を期していれば、福島県民の不幸はなかっただろう。司法のメスで原発事故の根を断てるといい。

 2015年  8月  6日 ― 米国の原爆投下 ―
 8月6日は「被爆70年」、広島に原爆が投下された日から70年を経過した。9日には長崎に原爆が投下された。この2回にわたる原子爆弾投下と9日のソ連の参戦によって、日本は14日の御前会議でポツダム宣言受諾を決意することになった。15日正午、天皇陛下のラジオを通じた「玉音放送」によって太平洋戦争は終戦を迎えることになった。
▼日本は、原爆投下前に敗戦を決意しなければならないほど悲惨な状態になっていた。日本が降伏しなかった場合、米軍は11月1日に本土上陸することを決定していたといわれている。ただし、これによって米軍は100万人の死傷者を出すことを覚悟していたといわれている。もちろん、日本側の被害は米軍の数十倍の壊滅的な被害を被ったに違いないと思う。
▼米国が日本の降伏を急がなかった理由としては米国と日本の関係だけではなく、2月7日のヤルタ会談における最高秘密合意があったことにもよる。ソ連は中国領内の一定領土と財産を確保することを条件に対日参戦を約束していた。ソ連は参戦して合法的に戦利品を要求できるまでは日本に降伏してほしくなかった。一方、米国はソ連の参戦前に日本本土を占領しようとしていた。
▼米国が使った原子爆弾は、ソ連との政治戦争に使用されたとの見方もできる。

 2015年  8月  5日 ― 玉音放送のあの日 ―
 昭和天皇がラジオで日本の降伏を国民に告げた、玉音放送の原盤が1日に公開された
▼拝聴したがこれまでテレビなどで聞いたお声は複製録音のせいか、やや低めでテンポも遅めに感じたが、原盤のお声は明瞭で響きがあり自然な抑揚も出ている。原盤だから昭和天皇の肉声に近いのだろう。昭和20年8月15日正午の玉音放送は、当方は6歳だったが雰囲気は覚えている
▼当時は北関東の日立製作所工場近くの町に居住。艦砲射撃の激しさから3カ月ほど山奥の村へ疎開したことは前にも書いたが、8月に入り日立工場周辺も艦砲射撃もなく静かだとの情報が伝わり、わが家も疎開から戻った
▼父は戦地だったが町内会長なので14日には「あす正午にラジオで大事な話がある。お宅の庭に全戸が集合し皆で聞くように」との指示がきた。祖父が代行し各戸に趣旨を話し「あす正午までにおらほの庭に来ておくれ」と伝えて歩いた
▼鮮明に記憶があるのは玉音放送後の涙のどよめきだ。敗戦の嘆きだけではない。息子2人が戦死した老母は号泣。「若者が次々死んで」と泣き崩れる人たち。艦砲射撃で母を奪われたK君も涙をあふれさせる
▼「終戦」を喜ぶ前に狂うように悲しむ人々を、わが家の祖母は部屋に上げていたわり続けた。祖母も21歳の長男を外地の前線で亡くしている。

 2015年  8月  4日 ― 暑い季節の水田を眺め ―
 うだるような暑さ、というのは今年の夏の異常な暑さを言うのだろうか。「ゆだる・うだる」とは、「ゆだる」ということでもあるといわれているが、辞書によれば、ゆだるは、湯で十分に煮られるということを言っているから、卵などが湯でゆでられることを指している。ともかく、夏の暑さがまともではなく、高気圧に覆われて異常な暑さのために身体がだるくなることを指している。
▼夏は暑く、冬は寒いほどによいと昔から言われている。それが長い経験から見た豊作の表れであったのだろう。
▼盛岡市郊外の水田は稲株も大きく分けつして既に出穂が見られているが、秋口の台風でもない限り稲作は順調にいくのではないか。7月29日に平年より1日、昨年より4日遅く北東北の梅雨明け宣言がなされた。
▼水田は青々として勢いよく育っているのだが、近くに寄ってみると稲の中にヒエがピョンと伸びているのが目に付く。耕作者が自分の水田に毎日のように出てきてヒエを抜いたり、肥料を散布されるなど手入れをされているところがある。
▼昔のほどには手数はかからないようになったが、稲は88回の手数がかかると言われる作物。年間にどれくらい田んぼに出掛けるのかはさまざまだろうが、米を栽培するに当たっては丹精込めた思いやりが込められている。

 2015年  8月  3日 ― 教えてひげの隊長 ―
 ヒゲの隊長こと・自民党の佐藤正久参院議員(元自衛官)が、電車で隣に座る「あかり」という名の若い女性に、安保法制の必要性を説明する
▼自民党制作のそんな動画がネットで波紋を広げている。動画の主張を引用しつつあかりが逆に、隊長に反論する形に作り替えたパロディー版も登場し炎上している。自民党版の題名は「教えて!ヒゲの隊長」。パロディー版は「教えてあげる!ヒゲの隊長」として、あかりが教える人に変身。隊長を追及する
▼各種世論調査は民意が安保法案に背を向け、安倍政権に不信を募らせていることを示唆しているが、あかりはその民意を吸い上げぶつけている感じだ
▼幾例か要旨を挙げてみよう。「(あかり)今回の安保法制は憲法違反だよね」「(隊長)それは大変」「(あかり)超大変だよ。立憲主義の否定なんて独裁国家って感じ。国際社会に顔向けできない」「(隊長)大事な問題だ。でももしミサイルを撃ってきたらどうする?」
▼「(あかり)撃ってきたら個別的自衛権で対応できるでしょ。それにミサイルを撃たせないようにするのが政治なんじゃないの」「(隊長)近隣問題もあり正しく理解しなきゃねえ」「(あかり)まずは首脳たちに憲法の正しい理解を勧めたいわ」
▼動画騒動でも集団的自衛権ねじ込みの荒業が浮かぶ。

 2015年  8月  2日 ― 8月が来るたびに ―
 8月、葉月(はづき)に入った。灼熱(しゃくねつ)の太陽と言われるように、太陽の直射日光を浴びて、1年を通じて一番暑さを感じる月である。
▼暑さのために疲労が蓄積したり、寝苦しい夜が続き、寝不足になる。健康を損なう原因にもなるので、どのようにしてこの夏を乗り越えていくのかをよく考えて暑さに打ち勝っていかなければならない。食事や夜間の休養の取り方などには十分な配慮が必要だろう。特にも幼児、小児、高齢者や病弱者の日射病、熱中症には万全を期さねばならない。元気な年代では夏季鍛錬といって、海や山にいってキャンプ生活をするのも良かろう。
▼8月はさまざまな行事が並んでいて忙しい。盛岡では1日からさんさ踊りが始まった。そして七夕、花火、舟っこ流しと続いていく。お盆や夏休みには、地元行事への参加、家族旅行など、忙しい日程であろうと思う。
▼15日は終戦記念日だが、今年は終戦70周年の節目の年に当たる。この日は、恒久的というか、永久的に平和を誓った日である。
▼その前に6日はヒロシマ、9日はナガサキの原爆記念の日で、灼熱の閃光(せんこう)が走ったと同時に市街地は焼け野原になり、数十万人の人の命を落とし負傷者を出した。世界最初の被爆であり、人類として忘れてはならない日である。

 2015年  8月  1日 ― 繰り返すなガマの悲劇 ―
 大戦終結から70年目の8月到来に、なぜか沖縄が気になり那覇在住の旧友に近況を聞いた
▼米軍が浴びせた砲弾は約60万発。県民の4人に1人が命を奪われた戦災県だ
▼彼は「沖縄では今も遺骨収集をしている」と言う。沖縄にはガマと呼ぶ洞窟がありそこへ逃げ込んだ住民が、ガマごと爆破された事例もある。当初は遺族が探したが遺体は容易に見付からない。遺族も高齢化し多くが断念。最近はボランティアの人たちの収集が目立つという
▼沖縄では掘る人を「フヤー」と呼ぶ。「ガマフヤー」で洞窟を掘る人の意味になる。これがボランティアの名称になっている。若手が多いが経験を積んだベテランもいる。その一人で61歳の男性の場合は初参加したのは28歳の時。その日に遺体に触れ嫌悪し2度としないと決心
▼だがある雨の日遺族の高齢女性がかっぱを着て必死にガマ跡に向かう姿を目撃。男性は衝撃を受け若者がやろうと発奮。以来今に至り特に若手育成に力を注ぐ。旧友は遺骨収集のほか戦災語り部でも若い男性女性が積極的に受け継ぐ流れがあると指摘する
▼22歳の青年は収集で初めて「ボタン」を発見。持ち主の最期を想像し苦しくなったがその時に、「見つけてくれてありがとう」という無言の謝辞を感じたという。遺骨の収集参加で心も成長させている。

 

2015年 7月の天窓へ