2018年2月の天窓


 2018年  2月  28日  ― 金子兜太の師弟愛 ―
 20日に亡くなった俳人の金子兜太さん。海軍から戦後は日銀そして文人の生涯は、「戦艦大和ノ最期」著の吉田満と同じ。吉田は日銀盛岡支店に勤務したことがあるが、金子さんに師事した盛岡の人に、山田一夫さんがいる。
▼岩手自動車販売社長を務め、大変お世話になった。MOSSビルの新築など地域経済の発展に尽くした。経営に春秋を重ねつつ、透き通った句作である意味、異色の経済人。財界においてリーダーシップや求心力を発揮するより、静かな存在感を放ち、黙っていても頼りにされた。
▼山田さんの遺稿集「追憶」に、金子さんの序文がある。「まるで磨かれた石面のような、水滴はついても、すぐするすると流れおちてしまう。あとは、青空を映すのみ。山田の長い期間の作品は、すべて、そういう資質への回帰を示しながらつづいている」。
▼山田さんが社業で扱った名車のように、俗塵(ぞくじん)を払えば、滑らかにボディーきらめく、そんな句が並ぶ。師は弟子の「おれにある水や空気のきれいな帰郷」を褒め、弟子は師の「風樹をめぐる托鉢に似た二三の子」を詠嘆する。
▼俳壇の巨匠は、悲惨な戦争体験と金融の知見をもとに、98歳まで日本の国柄を憂えていた。来世で師弟再会し、互いに浮き世のかぶとを脱ぎ、句をひねっているだろう。

 2018年  2月  27日  ― 俳人・金子兜太さん逝く ―
 大戦の気配が漂う1940年以降に、戦争を風刺した俳人らが検挙された「新興俳句弾圧事件」が起きている
▼20日に98歳で亡くなった俳人の金子兜太(とうた)さんは、開業医で俳人でもあった父親の影響もあり、旧制高校在学中に友人に誘われ句会に参加する。そこで「白梅や老子無心の旅に出る」(1937年)と詠んでいる。これが初めての句作とされる
▼以来、本格的に句を詠み始め全国学生俳誌「成層圏」にも参加。やがて俳壇を背負い現代俳句協会会長なども歴任する。戦後の社会性俳句運動や前衛俳句運動でも理論・実作ともに中心的な役割を果たしている
▼戦前の弾圧事件当時は東大在学中で、先輩の俳人から検挙され両手の爪をはがされるなど拷問を受けた体験を聞かされ、爪のない両手も見せられた。弾圧に便乗し仲間を裏切り権力側に迎合して加担する者も現れ、人間の醜さに暗たんとしたという
▼敗戦1年前には召集令状が届き自身が人と人が殺し合う戦場・トラック島へ赴く。島では仲間の餓死が相次ぐ。金子さんは敗戦により1年余の捕虜生活を経て、島を去る船上で詠む。「水脈(みお)の果て炎天の墓碑を置きて去る」と
▼近著「あの夏、兵士だった私」(清流出版社)は遺書となる。俳壇の発展に尽力した生涯をしのび哀悼の意を表したい。

 2018年  2月  26日  ― 五輪で見せた匠の技 ―
 韓国の平昌で開かれていた冬季五輪がきのう閉幕した。自国での長野大会を上回る獲得メダルに国民は沸いたが、岩手県人としてメダルまであと一歩に迫ったスノーボード女子ビッグエアの岩渕麗楽選手とノルディック男子複合団体の永井秀昭選手の4位には惜しみなく称賛を送りたい
▼片や34歳で男子複合チームの兄貴的存在だった永井選手、片や16歳と今大会の日本代表女子で最年少の岩渕選手。それぞれが年齢相応の心持ちで試合に臨んだように感じた。ジャンプ男子の小林潤志郎、陵侑兄弟。2人はまだ若手で妹と弟もジャンパー。4年後に4人そろって五輪の舞台に立つのも夢物語ではない
▼日本の金メダルはいずれも感動的で印象深いがスケート女子パシュートの日本チームを見て16年リオ五輪で男子4×100bR銀の日本代表の走りが重なった。強豪国の選手に体格的に劣る日本人がバトンのアンダーパスを磨き極限までロスをなくし世界のトップで戦った。パシュートも体格の異なる3人がスケーティングのリズムを合わせ間隔を短く保つ滑りを習得したことで頂点に立った
▼両者の共通点はチームワークを重んじる日本人気質に裏付けされていること。まさに日本の匠。気が早いが2年後の東京で匠の技に興奮する日を待ちたい。県人の活躍も期待しつつ。

 2018年  2月  25日  ― 震災下102歳の自死 ―
 3・11の大震災から間もなく7年になる
▼大地震に加え原発事故が発生した福島の場合は、これだけの年数が経過しても放射能汚染地図を見ると、それは同県を覆い隣県にまで侵入している。福島県内ではその汚染がらみもあって、他県を上回る自死者が出ている
▼汚染下の村で酪農を営む男性が牛乳が売れなくなり絶望。妻子をフィリピンの妻の実家へ行かせ、「原発さえなければ」と遺言を書いて自ら命を絶ったことは数年前に書いたが、ここ数日同じく原発事故で自死した102歳の男性をめぐる裁判が話題になっている
▼この高齢者は飯舘村で暮らしていた大久保文雄さんだ。孫8人、ひ孫6人にも恵まれていたからなのか、誰に言われても拒否するのが、「この村、この家からの移転」だった。ところが原発事故による放射能汚染発生から1カ月後の4月11日、国は飯舘村を計画的避難区域に指定する
▼もはや避難拒否はできない事態である。衝撃を受けた大久保さんは絶望し自ら命を絶つ。ショックを受けた子息夫妻ら遺族は、原発事故が原因だとして東京電力に損害賠償を求め告訴していた。その判決が今月20日に福島地裁で出ている
▼それによると地裁は原発事故と自殺の因果関係を認め、東電に1520万円の支払いを命じている。7年を経ても深刻さは続く。

 2018年  2月  24日  ― 泰明小学校の標準服が物議 ―
 東京銀座の公立の泰明小の校舎は建築の専門家や愛好者によく知られる。1878年の開校当時は赤れんがの2階建て、1912年築の木造モルタル3階建ては23年の関東大震災で全焼。復興小学校の一つとして建てられた3代目は鉄筋コンクリート造で29年に完成、45年の大空襲で被災も構造は被害が少なく復旧工事により昭和初期の意匠を現代に受け継ぐ
▼木造校舎の郷愁が琴線に触れるが、こちらは昭和初期のモダンな趣が特徴。アールデコ調を取り入れた雰囲気に時間の流れがゆったりと感じる
▼盛岡には銀座の柳の子孫が啄木新婚の家など数カ所に植えられている。縁は朝日新聞社の校正係をしていた石川啄木だ。函館では07年に代用教員として弥生尋常小に勤務した。その後の34年大火からの復興計画で38年に完成した弥生小のモダンな4階建てモルタル校舎。以前、関心があって見に行った。今は解体され新校舎に外壁の一部を継承するだけだが、解体前校舎からは泰明小と同じような時代の風を感じた
▼「春の雪/銀座の裏の三階の煉瓦造に/やはらかに降る」は啄木歌。西欧文化を表す建造物が建つ当時の銀座で、れんが造りの泰明小も目にしたか。同校が標準服のデザインを高級ブランドのアルマーニに頼んだことに金に苦しんだ啄木なら何と詠むだろうか。
  

 2018年  2月  23日  ― 中学生棋士の強さ ―
 寒冷の日が続く2月ももう下旬。フィギュアスケートの羽生結弦に次いで、スピードスケート女子500メートルで小平奈緒が金メダルに輝く
▼そんな韓国発の五輪報道に熱中していたら、日本の将棋界からもビックニュースが発信されていた。中学生の天才棋士と称される藤井聡太さんは、16年10月1日付で四段に昇段しプロ入りしている。彼は先輩棋士・加藤一二三氏が持つ昇段年齢記録を5カ月短縮して、14歳2カ月で四段になっている
▼その彼が今月1日付で、五段に昇段したのだから目を見張るばかりである。中学生での五段昇段は史上初という。さらに驚嘆させられたのは彼がその五段昇進から、わずか17日後に「六段」に昇段したことだ。彼は史上初を重ねながらさらに飛翔していくのだろう
▼その棋風について周囲からは、《角の使い方が独特》《現代将棋は玉を堅く囲う戦い方が主流だが、藤井さんは囲いは薄いままで、スレスレの所を読み切って勝つ》などが挙げられている(日本将棋連盟サイト参照)
▼東大出身の女性棋士で将棋ライターの渡辺弥生さんは評する。《藤井さんは双方攻めたり受けたりの接戦を、分かりやすい一手勝ちの局面に持っていくのが実にうまい》と。先日近所の中2男児と将棋を楽しんだが、その強さに藤井六段の影響を感じた。

 2018年  2月  22日  ― 川端康成と長いトンネル ―
 川端康成も本県と縁が深い。初恋の伊藤初代は岩谷堂の人。盛岡出身の作家の鈴木彦次郎とは東大の学友。初代の父をともに婚約に訪ねるほどの仲だったが、先方の翻意で破談になった。奥州市の向山公園に川端の碑が建つ。
▼太宰メロメロの文学少年だった頃、文壇で対立した川端と志賀直哉が大嫌い。ノーベル文学賞と「暗夜行路」だから作品はともかくとして、性格が悪い人はだめだと。しかし渡部芳紀中央大名誉教授に、川端が実は太宰をかばい、見苦しい手紙を長く秘密にしていた経緯を教わり、思い込みを捨てた。
▼あんな時期の太宰から芥川賞落選に逆ギレされたり、必死の泣き落としにかかられたりでは、川端でなくてもかなわない。悲恋の手紙といい哀訴泣訴の私信といい、大作家の賢明で度量の広い人徳あってこその話であろう。
▼この際せっかくなので、川端に奥州市のため一役買ってほしい。ILC誘致で国際化が求められている。ノーベル賞とゆかりある岩手をアピールできるように。啄木賢治そして川端と、世界的文学と奥深いコモンセンスを育む風土だと。
▼あの世の川端は、「そんな話にわたしもか」と、ぎょろり目をむくかもしれぬが、「国境のないトンネルを抜けると、そこは星国の果て」とか何とか、うまくフレーズを奉れば大丈夫だよ。

 2018年  2月  21日  ― ライバル即親友の情 ―
 激しく競い合う現場では最大のライバルなのに、そこを離れるとはた目にもまぶしく見えるほど仲が良い親友になっていく
▼勝負の世界などではそんな「ライバル即親友」とでもいうような姿をよく見掛ける。韓国で開催中の平昌(ピョンチャン)冬季五輪でも勝負決着後に、ライバルが抱き合い励まし合う光景が見られ感動を広げている。それはスピードスケート女子500bで金銀に分かれた2人によってもたらされた
▼前評判は五輪に2連覇し世界記録(36秒36)保持者で、五輪女王とも言われる開催国韓国代表の李相花(28)選手がやや先行。彼女に肉薄していたのがワールドカップ(W杯)15連勝中の日本代表・小平奈緒(31)選手だった。結果はご存知のように小平が金メダルに輝き、李は銀に泣いた
▼小平選手の大健闘を改めて称賛しておきたい。ただメダルの色は分かれても2人には五輪開幕以前からの友情が続いている。お正月以前から「来年はファイトしよう」「良いレースがしたいね」などと語り合っている記録もある。李選手が「彼女(小平)のスケーティングが好き」と述べたこともある
▼五輪の決戦で2位に落ちたことが悲しくて、涙に暮れる李の手を小平が握り、2人で語り合いながらスケートコースを一周したという。光景が目に浮かぶようだ。

 2018年  2月  20日  ― 藤井聡太棋士が六段に ―
 将棋の中学生棋士藤井聡太さんが最年少の棋戦優勝、六段昇格の報に家族が「漫画を超えた」と即答した。人気コミック「3月のライオン」は大友啓史監督が実写映画化し、なじみの県民も多いだろう。主人公桐山零は中学生棋士となった逸材だが、六段昇段は高校生になってからだった
▼おととし10月のプロ入り以来、将棋ファン以外の注目も集める藤井さんは公式戦29連勝の記録を昨年作り、今月1日に五段に昇格したばかり。1カ月もたたぬ間、中学生で六段とは。史上初の永世七冠を成し遂げ国民栄誉賞の羽生善治竜王との公式戦初対局となる準決勝を勝っての朝日杯将棋オープン戦の優勝。かつて天才少年棋士と称されトップ棋士の羽生さんに肩を並べる将来の活躍を期待せずにはいられない
▼きのう触れたサラリーマン川柳の優秀100句に「AIよ俺の上司の指示わかる?」「AIに翻訳させたい嫁の機嫌」というのもあった。人工知能の進歩に驚くばかりだが、この2句は今のAIに不得手な難題を投げかける。AIも人の心理や機微も読み取れまい。データの傾向と対策では誤回答で話をこじらせかねない
▼将棋界でもAIソフトが広がるが、心理戦を伴わないAIとの対局は勝負に大切な要素の欠落を感じざるを得ない。生身の人間の勝負に感動がある。

 2018年  2月  19日  ― 18年サラリーマン川柳発表 ―
 今春も見られようが新入社員は、あいさつ一つにも初々しさがある
▼今年もサラリーマン川柳百句が発表されたがそこにも次のような作品がある。「遅れてもはっきり寝坊と言う新人」と。先輩からは笑いが起こるだろうが当人は涼しい顔をしている。もちろん、今風に「相談は上司先輩よりネット」と、気になることは検索して納得するまで集中してしまう
▼落とし穴もあり「間違えた!上司へライン『愛してる』」と、大変なへまをやらかすこともある。入社当時には「この仕事は天職だ」と感じて張り切っていたのに、そんな失敗を機に転職を繰り返すケースもある。「天職と言って転職繰り返す」と
▼今回も家庭詠が目立つ。「俺ん家(ち)も長期政権嫁一強」と相変わらず「強い妻」が登場。一方、父は肩身が狭い。「禁煙しそれでも家で煙たがれ」と。たばこの煙を断ったのに家族から煙たがられるパパは切ない。「ままごともパパが買い物行かされる」も日常の反映だ
▼「何事も妻ファーストでうまくいく」が知恵なのだろう。妻が詠む「記憶にない夫のどこにほれたのか」も笑える。「見栄を張り現実を知る試着室」も経験者が多かろう。「社内エコ無駄を無くせと配る紙」とやりかねない無駄への風刺も詠まれている
▼「老後にと米寿の父が貯金する」も面白い。

 2018年  2月  18日  ― 平昌の「口笛」騒動 ―
 若い頃ロックを聞く人は多いと思うが、それはほとんど米国と英国のバンドであろう。自分は昔からへそ曲がりだったので、わざとソ連と韓国のロックを聞いていた。それぞれ東京に1軒ある小さな専門店からLPを取り寄せて。
▼友人たちは「そんなの聞いて面白いか」とばかにする。赤いモスクワや、まだ少し貧しかったソウルでヒットのバンドと言っても、日本のアマチュアレベルの曲ばかりで、実にやぼったかったが、「そこに味がある」と、じょっぱった。そしてソ連と韓国に挟まれた北朝鮮にポップスがあるのか、とても気になっていた。先々代の奥寺一雄社長が訪朝団に参加したとき、土産にカセットをもらった。平壌の流行歌「口笛」。
▼昭和30年代歌謡さながらの音で、さすがに鼻白んだ。ハングルが分かる人に歌詞を聞くと、「きょうの作業計画の3倍達成を、あの娘に笑顔で打ち明けたい」。恋人を口説くにも「イズム」があり、うなった。
▼のち北朝鮮の国民歌謡となった「口笛」のせいで、平昌に騒動だ。例の美女軍団がその曲のイメージのお面をかぶったら、金日成の顔に見えて韓国民が反発しているという。
▼普段の行いが行いだから、そんなたわいないことも変に取られる。舞台裏はすっかり「政治の祭典」と化し、逸話に事欠かぬ五輪になりそう。

 2018年  2月  17日  ― 施政方針演説改善へ ―
 昔の話になるが東京で記者修業をしていた頃、数人の仲間と国会での総理施政方針演説は、なぜつまらないのだろうと議論したことがある
▼当時の総理は誰だったか忘れたが、演説がうまかった田中角栄氏以降の誰かだったように思う。言い出したのは仲間の一人で「政策の羅列で心に響くものがない。原稿の棒読みで殺風景だよ」と指摘。改善策を述べる友もいた
▼「国民の声を入れるとか、足を運んだ地域の名を挙げ住民の創意工夫を紹介するとか、国民が親しみを覚える逸話を織り込むといい」と。修業中の記者だけでなく心ある多くの国民が、同様の感想を抱いていたであろう
▼中には官邸へ投書をした人がいたかもしれない。そういう経過は平成の各政権も反省材料にしたであろうし、改善への努力は今も続いているのであろう。先月22日の安倍総理の施政方針演説も、気のせいか以前より工夫があり聞きやすかったような気がする
▼冒頭には明治開幕の時、政府は敵陣の白虎隊にいた山川健次郎の能力を生かすために、陣営に迎え入れたことを紹介。ほかにも岩手の大槌高校を訪ね復興に真剣な生徒たちの声を聞いて、強く後押しをしようと決意を新たにしたことに触れている
▼高齢者や育児で仕事を辞めた女性、障害者や難病の人などへの配慮の言葉も添えている。
  

 2018年  2月  16日  ― 平昌五輪出場の県人選手 ―
 14日のノルディックスキー男子複合NHに八幡平市出身の永井秀昭選手が出場。これで本県出身の全4人が競技に臨んだ。これまでに小林兄弟の弟陵侑選手がジャンプ男子NHで7位に入賞した
▼開会式直前の本欄でも触れたが、岩手からこれだけ選手が出る五輪は初めて。県人選手はできるだけテレビ観戦したいと思っている。先日のジャンプは運良く見られた。ただW杯の成績からエースとなった潤志郎選手には風が不運だったようだ
▼スキーほど気象条件の影響を受ける五輪競技は夏冬を通してもそう多くない。コース環境は人為でも、自然がもたらす雪質そのもの、風の強弱や向き、降雪の有無や強弱そして気温のわずかな差が記録を左右する。98年長野五輪でアルペン会場に着いたら、気温が上がってガスがかかり視界が悪かったことを思い出す。日本が金を取ったジャンプ男子団体も試合途中にとんでもない雪が降り2回目が危ぶまれた。93年世界アルペン盛岡・雫石大会は天候に泣かされ日程変更続出。取材中、雨まで降りスノーブーツの中まで水が染み込む不測の事態を経験した
▼平昌も気象条件、特に風が物議を醸す。モーグルやスノーボードもジャンプがある。風の運不運は受け入れるしかない宿命だが、選手のけがを招くような判断は避けてほしい。

 2018年  2月  15日  ― 老友の孫娘が早春賦歌う ―
 立春はすぎたものの一歩外に出れば、震えるような寒さに襲われる
▼それでも2カ月休んだ日課の散歩は今週から再開。往復90分のコースを歩いている。以前は一人だったが一年前にコース沿いに住む70代の親友が加わり、以来会話を楽しみながら足を弾ませている
▼彼には高校3年と1年の孫娘がいる。歩きながらよく孫姫賛辞を聞かされる。先日も「かわいいのさ」と情を込めて言うから、こちらも遠方の孫娘を思い出してしまう。彼は「二人ともピアノ演奏も歌も上手なんだよ」と続ける。それを聞いて「いつかぜひ聞かせてよ」と頼んでしまった
▼彼はその日、帰宅すると二人のお嬢さんに「歌を聞きたい人がいる」と伝えたという。姉妹は各種演奏会などにもよく出て場慣れしているらしく「いいよ」と即了解。「じいちゃんと同じ年代の人ね。じゃあ立春直後だしじいちゃんが好きな『早春賦』を歌うよ」と曲まで即決したという
▼そんなわけで5日前の日曜日には、彼のお宅を会場に姉妹の演奏会が実現。こちらは心づくしのチョコセットを手土産に姉妹に初対面。感謝を申し上げ姉のピアノ演奏、姉妹の斉唱に彼と並んで耳を傾けて「早春賦」に新たな思い出を刻んだ
▼「春は名のみの風の寒さや 谷の鶯(うぐいす)歌は思えど 時にあらずと声も立てず…」と。

 2018年  2月  14日  ― もりおか時めぐりの発見 ―
 昨年から新連載「もりおか時めぐり」を開始した。盛岡市の1945年の空撮と、国土地理院の2008年の航空写真を対比している。
▼年配の方は73年前の写真を懐かしむ。しかし1964年生まれには肴町の東側が田畑だったとか、青山地区は原野だと言われても驚くばかりで、むしろ新鮮。逆に現代の写真の方が、10年前の撮影だから懐かしい建物が見つかる。第2回掲載の肴町かいわいの写真には、おととし解体された盛岡バスセンターがくっきり映っていた。
▼今昔の写真を比べると建物の影の長さが違う。1945年の盛岡市内で高いビルは松屋デパート、県公会堂、岩手医大くらいだった。低い軒並みに日が注いで朝昼の風は薫り、光っていたのではあるまいか。ただし終戦の年だから、夜は灯火管制だったし、道路に自動車は見当たらず、人心の明暗までは分からないが。
▼現代の写真を見ると、盛岡の街路は高いビルの影に覆われ、地上から仰いだ空がいかに狭くなったことか。同じ街並みを写した2枚の写真からまさしく、光陰が透けて見える。
▼この貴重な写真を入手、提供してくださった横山空間情報研究所(横山隆三社長)に感謝申し上げたい。写真をもとに市民の皆さんの記憶を集め、盛岡の過渡期をめくる「もりおか時めぐり」でありたい。

 2018年  2月  13日  ― 五輪現場の北朝鮮の動き ―
 古代ギリシャで紀元前9世紀ごろに始まった古代オリンピックは、4年に一度の当時では最大級の競技会だった
▼その意味では現代のオリンピックに重なるのだが根本的には大きく異なる。競技会場となるオリンピアには祭神ゼウスの神殿があり、主催者も参加者も宗教的神聖な思いに満ちた人として競技会に臨んでいたという
▼そんな敬虔(けいけん)な態度から現代では予想もできないアイデアも生まれた。競技会に参加すべき地域が、近隣地域と戦争中の場合は一時的に「聖なる休戦」とし、双方が競技会参加を最優先にすることが慣例になっていたのである
▼目を韓国で白熱開催中の平昌冬季五輪に向けると、核武装を進め諸国から制裁を浴びた北朝鮮の幹部が、五輪現場の韓国に乗り込み巻き返しに動いているようにも見える。隣国としての交流ということなのだろうがどうも気になる
▼文在寅韓国大統領が就任以来におわせる北との友好路線に北が甘え、あるいは図に乗る形で五輪に便乗しているのであろう。五輪開会式に出席した安倍総理は9日に文大統領と会談。「(北朝鮮の)ほほ笑み外交に目を奪われてはならない。五輪後が正念場だ」と指摘している
▼笑みに渋面も交えた北朝鮮幹部の自国防衛の動きは古代の「聖なる休戦」に照らしても恥ずかしい。

 2018年  2月  12日  ― 一票の格差に思う ―
 「一票の格差」訴訟で高裁判決が相次いでいる。本県など東北5県の住民が昨秋の衆院選の無効を求め、仙台高裁は合憲判断だったが、この運動どこまでやるの。
▼原告は全選挙区の投票価値を限りなく均すべしとの主張のようだ。都道府県の人口分布から現実的に無理。それでも定数0増6減で、岩手県の小選挙区は4から3に減り、県民の選択に大きな影響が出た。過疎に悩む他県でも。しかしなお国会の是正努力が足りず、地方に傾斜した議席配分でわれわれが不当に優遇されているというのか。
▼原告側は極めて優秀な法曹団がいるので、「あなたがたが不当でない。投票価値の平等が損なわれているのだ」と理路整然と主張してこよう。高度な法理の話になるともうお手上げだが、かつて衆参の選挙をあまた報道した側から言えば、こうした運動は行き過ぎると投票率低下につながる。
▼すると、「それは次元の低い筋違いの話」と反論してくるだろう。しかし「違憲の選挙」とか耳元で繰り返されれば、有権者だって気が引ける。政治は合理性のみによって成り立たない。頭でっかちになるとそのリアリズムが見えない。
▼法律家としての優れた頭脳と使命感は、別の方に振り向けてはどうだろう。一票の格差より、隠された社会の影に苦しむ人は大勢いるはずだ。

 2018年  2月  11日  ― 三陸縦貫道の早期開通を ―
 宮古市から三陸縦貫自動車道に乗り入れ、また驚いた。基本2車線で、高速道路が開通し、山田町まで約15分。行けるものなら仙台まで飛んでいきたくなった。
▼盛岡市から同心円上に見ると、県内の沿岸5市はほぼ等距離、一般道では車で2時間前後。だから5本の指のように仲良しかと思えば、そうでもない。
▼例えば大船渡にいると南隣の陸前高田は日常的に意識するが、北隣の釜石には縁がなければさほど目が行かない。まして宮古や久慈は、盛岡よりずっと遠い街に感じる。洋野町の人が盛岡の会社に就職し、出張で大槌町に初めて行ったということはありうる。一口に三陸と言っても、南部と伊達で南北の気質や風土は違うし、やはり道路事情による壁は高い。幹線の国道45号は地形に沿って湾曲し、隣町はなかなか遠い。だから三陸自動車道は長年の悲願だった。
▼以前は余計な公共事業視する中央の無理解もあり、「千里の道も一歩から」の辛抱を強いられた面がある。それが東日本大震災では、部分開通区間が被災地の生命線になった。現在は復興の背骨として着々工事が進む。
▼沿岸市町村の交流人口を増やし、社会資本や地域経済を補完しあうことで岩手は再興し、盛岡地域の発展につながる。千里の道が三陸を早く結ぶよう、県を挙げたい。

 2018年  2月  10日  ― 三陸近し「盛岡港」を ―

 久しぶりに国道106号を走り、宮古盛岡横断道路事業の進み方に驚いた。盛岡市の川目から区界方面にかけて、立派なハイウエーが通っている。県内最長約5`の新区界トンネル工事も貫通し、2020年度までに全体の約3割が開通する見通し。沿岸と東北自動車道を結ぶ復興支援道路約100`は、被災地再建の大動脈となる。
▼宮古市長時代の熊坂義裕さんと懇談した際、盛岡市に対して港湾の活用を求められた。県都からもっと海を見よと。「盛岡の人には、盛岡港と呼んでもらって構わない」とまで言われ、恐縮したものだ。
▼東日本大震災以前のことで、宮古港の活性化に懸命だった。車で2時間も走れば水平線が見えるから、新幹線で上京することばかり考えずにと、熱っぽかった。
▼横断道ができれば盛岡宮古間は優に1時間台。首都圏でも東京港や晴海埠頭を利用するため1、2時間かそれ以上かかる人は多いだろう。仙台港だって新幹線を降りて小一時間かかるのでは。それを考えれば、宮古港は盛岡市にどんどん近くなる。
▼6月には宮古室蘭を結ぶ本県初のフェリー定期航路が北海道へ就航する。運輸旅客の期待は大きい。三陸のみならず、盛岡市の太平洋への窓口が広がる。海を見よと、熊坂さんに言われた「盛岡港」の機運を生みたい。 

 2018年  2月  9日  ― 原敬の生い立ち ―
 きょうは盛岡の生んだ大政治家原敬の生誕日。1856年に生まれた。盛岡市本宮に残る生家は屋敷こそだいぶ失ったが、敷地跡には記念館本館や別邸、別荘から移築した建物が建ち、盛岡藩でも上位な家柄の武家だったと想像できる。現存する母屋は敬の祖父直記が家老加判となり増築した当時から4分の1程度だ
▼明治維新により没落武士は多く原家も例外ではなかった。父直治は兄恭14歳、敬10歳の時に病死した。残された母リツが苦労して7人の子を育てる
▼リツは敬を旧藩主が開いた東京の共慣義塾に送り出す。このとき資財を切り崩したと容易に想像できようが、なんと実家が泥棒に遭う憂き目にも。実家の仕送りが不可になった状況に原は自立の覚悟を決め神学校に進み学問を続けた。この選択は開明的で国際情勢に洞察力のある政治家に大成する分岐点だったとみる
▼原の生家には「戴き桜」という老木がある。江戸から盛岡城に移植したものを藩主からたまわり接ぎ木したと伝わる。賊軍とされた旧藩出身から首相に上り詰めた敬だが、苦学を経験した生い立ち母を大切にした報恩は偉人伝としてもっと子どもたちに読まれるべきと思う
▼将来への可能性が広がる若者は受験シーズンさなか。逆境にも諦めず前進するためのステップ。まずは桜を咲かせたい。

 2018年  2月  8日  ― 平昌五輪あす開会式 ―
 1992年2月8日、フランス・アルベールビルの冬季五輪が開幕した。忘れられない記憶が三ケ田礼一さんがメンバーだったノルディック複合団体の金メダル。日本にとって冬季五輪では札幌の70b級ジャンプ笠谷幸生さん以来20年ぶり、二つ目の金メダルだった
▼三ケ田さんは八幡平市生まれ。あす開会式の平昌五輪代表に同市からジャンプで小林潤志郎、陵侑兄弟、ノルディック複合に永井秀昭選手と3人も選ばれた。国内スキーは施設も恵まれている北海道や長野が代表を多く輩出している印象が強いだけに快挙といえよう
▼ジャンプとクロスカントリーの組み合わせによる複合の勝者はキングオブスキーとたたえられる。アルペンに限らずノルディックも伝統的にヨーロッパ勢が強いが、ノルディック複合は一目置かれる。そこに割って入ったのがアルベールビルで三ケ田さんと一緒だった荻原健司さん。個人のメダルはかなわなかったがW杯3連覇の偉業を成し遂げた。日本の強さにルール改正したとも言われたほどだ
▼平昌の代表は荻原さんらの活躍に刺激を受けたスキー競技界の土壌から成長した世代となる。三ケ田さんの長男泰良選手、小林兄弟の三男龍尚選手がテストジャンパーとして参加。こちらは今年の経験を4年後への飛躍台としてもらいたい。

 2018年  2月  7日  ― 災厄払う春を待つ ―
 節分の3日、盛岡市中屋敷町でガス爆発とみられる大事故があり重軽傷3人、家屋30軒に被害が及んだ。住民は市が開設した避難所で不安な一夜を過ごした。けがをしたり、寒空のもと被災された方にお見舞い申し上げ、早く災厄を払いたい。
▼同じく盛岡西署管内で毎年、立春の声を聞くと思い出す。2007年2月に行方不明になった盛岡市の児童の滝村隆規君のこと。あの日の現場も寒かった。館坂橋たもとから姿が見えなくなった当時7歳。もう18歳になるのか。
▼先日、車に友人を乗せて橋を渡ったら、「隆規君はどこに行ったんだろう」と助手席でポツリ。実は館坂橋交差点にさしかかると、車内で同じようにつぶやくドライバーが多いという。今年も発生の5日、お母さんらが滝村君を探すビラを盛岡駅で配った。やはり市民がいつも記憶にとどめ、元気で帰ってくれるよう願い続けることが、家族の希望になるはず。
▼滝村君のときは水難の可能性も考え、現場の皆さんが数日にわたり、寒中の北上川を下流まで捜索したが、見つからなかった。今年はガス爆発事故で、警察消防は火災の危険を防ごうと一斉出動。
▼文字通り水火も辞せず365日、曜日を分かたぬ尽力によって、地域の安全が支えられていることに感謝しつつ、市民の平穏を取り戻したい。

 2018年  2月  6日  ― 憲法論議に市民の目を ―
 盛岡市が憲法講演会の今後の開催の在り方を検討していることに先日、社民党と労働団体が異議を申し入れた。その主張通り、やった方がいい。
▼参加者減などによる事業見直しなど、市の行政判断があるのは理解できる。政権へのいわゆる忖度(そんたく)でないとしても、憲法が国民的論議になろうとする年にやめるなら、いかがなものか。むしろ時宜を得た催しではないか。
▼確かに講師選定や、当人のお話は大変だろう。自治体の催しは公平性が第一。政治的に生臭い話はせず、憲法改正する場合の衆参の議事日程と国民投票までの流れ、改憲に反対なら廃案にするためどんな選択肢が用意されているか、制度的な説明だけでも、知りたい人は多いはず。
▼安倍総理の考えから、デリケートなテーマではある。ただ改憲と言えば「軍靴の響き」と短絡したり、護憲と聞いただけで「自虐史観」とかいきり立たず、当面は国政選挙もあるまいから、冷静な議論の環境を。
▼そのためには主催者が参加減に悩まないよう、講演会を開くならもっと市民は耳を傾けて。よく老舗が閉店すると、「残念。閉めないで」と大勢押しかけるが、ほとんど最後の一見(いちげん)さんだったという話を聞く。やめるとなってあわてて騒がないよう、忖度ではなく、国民の選択の問題だ。

 2018年  2月  4日  ― 地方消滅か復活か ―
 新年から朝日新聞が「平成とは」の連載を始め、面白い記事があった。「地方消滅」の増田論に逆行する現象が、離島や山村に起きている。岩手と仲良しの石垣島など、都会から移住者が増え、国内で最も縁辺の集落が人口増に転じていると。「薄れる消滅可能性」の見出しがあった。
▼沖縄の人のこんな話を思い出した。那覇出身で東京の会社に勤め、出張で半年、盛岡に住み、「本土の人の沖縄話に合わせるのが疲れる」と。
▼「みんな何で沖縄の離島にばかり行きたがりますか。那覇の人間は福岡や大阪や東京に出ようと思っても、波照間島とか南大東島とか行きません。何もないから。那覇生まれは沖縄県内でも、僕らだけちょっと違うと思ってるんです。それは半年住んだだけで、岩手県の盛岡生まれの人に同じものを感じます。自分だけは少し都会だと。だから聞いたこともない沖縄県内の話を振らないでよ」
▼本土の人は「バーチャルうちなー」だと言う。確かに沖縄は南海の楽園でも、政治闘争だけの島でもない。大方の県民は普通の日常を営んでいる。しかしその「普通」に憧れて移住者が増えているなら、地方消滅の真因は、やはり大都会のうちに潜んでいるのだろう。
▼しかし那覇生まれの率直なぼやきには、盛岡人もうなずけるものがあるなはん。

 2018年  2月  3日  ― 鬼の面を外すと福 ―
 代表する郷土芸能が鬼剣舞の北上市の鬼の舘を訪ねると、日本には実に多種多様な鬼が伝わっていると実感する。角があり虎柄の腰布を着けた姿が広く浸透するが、強面ばかりではなく愛きょうのある仲間もいる
▼数ある妖怪の中で最も有名な鬼を、単に鬼というだけでは説明不足なのかもしれない。人に恐れられ、敵視される鬼の立場はほぼ共通する。要するに悪いやつと一方的に決めている。したがって太平洋戦争時に鬼畜米英なる言い回しが広がり国民の敵がい心をあおったともいえる
▼軍隊などで部下を徹底的にしごく上官を鬼軍曹と呼ぶ。転じてスポーツ界でも厳しい練習を課す指導者も鬼軍曹と称される。プロ野球界では広島の元コーチ大下剛史さんが近年では有名だ。実績を見れば若い選手を鍛え名選手に育て上げ、愛情のないしごきやいじめとは異なった。最初の東京五輪で鬼の大松(博文監督)はバレーボール女子代表を東洋の魔女に化けさせた
▼今日のスポーツ界では鬼軍曹の指導は批判の対象になり得る。体罰は論外だが、言葉もハラスメントと問題になる。愛情から上達させたい、強くさせたいと思っていても強く出られず葛藤する指導者もいるのではないか
▼きょうは節分。鬼と福の両面をバランスよく持つ指導者や上司は成長を促すと思うのだが。
  

 2018年  2月  2日  ― プロ野球キャンプイン ―
 プロ野球は1日、12球団が一斉にキャンプインした。花巻東出身の大谷翔平選手がメジャーへ移籍したが、岩手から入団した選手が目白押しで関心に事欠かない
▼以前なら活躍する岩手出身選手は珍しい年が多かった。しかし近年は様相ががらりと変わった。その端緒が盛岡中央から楽天に入団した銀次選手だった。菊池雄星投手は花巻東から西武にドラフト1位入団。盛大附からソフトバンクに入団した松本裕樹投手も1位指名。花巻東から広島の高橋樹也投手、富士大から西武に進んだ山川穂高選手、広島に進んだ中村恭平投手ら1軍で出場機会のある選手も多い。復活が待たれるヤクルトの畠山和洋選手は専大北上の出身だ
▼朝倉和江さんの俳句「水仙の葉先までわが意志通す」には小さな命の精いっぱい生きる美しさが感じられる。肉体をフルに使うスポーツ選手もプロの世界は、手足の指先まで微妙な働きを行き届かせる体の動きと脳の働きができるかどうかの差で結果に明らかな違いが出るものかもしれない
▼昨季覚醒し絶対的エースへの飛躍が期待される菊池投手、中軸定着の地盤固めに重要な今季となる山川選手、1軍でのフルシーズン登板が待たれる松本投手らそれぞれ注目だが、盛岡大附から育成1位入団の比嘉賢伸選手がプロとしての成長も楽しみだ。

 2018年  2月  1日  ― 冬季五輪の夢いずこへ ―
 安倍総理が平昌五輪の開会式出席を決めたのは良い判断だ。わがままな話ばかりで、国民の対韓意識の悪化もあろうが平昌五輪は、ちと盛り上がりに欠ける。オリンピック特に冬季五輪そのものが国際社会で持てあまし気味になりつつあるのでは。
▼東京五輪招致ではトルコのイスタンブール、スペインのマドリードとの争いだった。両国はありがたい親日国。一度やったお江戸は譲りゃんせと思えばスペインは経済危機、トルコは政情不安と乱世の雲行きで、やはり東京となったようだ。
▼欧米では一度挙手した都市が市民の反対で断念するケースも。今の世界5年10年先は見通せない。いささか落ち目ではあるが、まずは何でも安心して任せられる国は日本ぐらい、というなら寂しい。
▼1998年の冬季五輪は盛岡市も名乗りを上げ、長野市に敗れた。長野は戦前からの長い努力が結実したのに、盛岡はスキー場などのアピールばかり。人で負けたと言われた。
▼平昌には八幡平市出身の小林兄弟ら県選手が続々。2026年冬季五輪は札幌市が立候補しているが、こんな時勢ならまた日本開催はあり得るから、盛岡も過去の招致運動や世界アルペンなどを教訓に、五輪の夢は持ち続けて。ただし巨額の負債を残すリゾート開発型の投機的発想でなく、人を育てるときに。

2018年 1月の天窓へ