2018年3月の天窓


 2018年  3月  31日  ― 盛岡のリバーズ・エッジ ―
 漫画家の岡崎京子さん原作の映画「リバーズ・エッジ」を見た。売れっ子だった1996年、大きな交通事故に遭った岡崎さん。ペンは途切れたが、作品は読み継がれ、映画化や企画展などが話題になる。
▼若竹千佐子さんが芥川賞受賞エッセーを書いた「文學界」3月号を手に取ると、純文芸誌で岡崎さんの大特集。北上市出身の批評家の斎藤環さんによる岡崎漫画と太宰文学の比較が面白い。
▼岡崎さんの登場人物に、「人間失格」の主人公、大庭葉蔵のニヒリズムを見いだす。「リバーズ・エッジ」も90年代の東京の高校生の風俗を描きながら、太宰と同じく青春のむごさ、大都会の無常をはかなむ。
▼若い頃、東京に買い物に行き、渋谷で道に迷ったことがある。目当てのレコード屋はどこ。街角に小さな画廊があった。絵を見たふりで道を聞こうとしたら、たまたま岡崎さんの原画展をやっていた。ご本人はいなかったが、岡崎さんが旅行先で撮ったスナップが飾ってあり、そこに旭橋から開運橋側への北上川の写真を見つけた。いつか盛岡を歩いたのだ。
▼江戸っ子の岡崎さんは、川をはさんでビルが並ぶ景色が好きなのだろう。ふるさとの山を仰いだ啄木とさかさまに故郷の空を望んだのか。太宰もまた帰郷を夢みた。漫画界に岡崎京子さんの帰郷が待たれる。
  

 2018年  3月  30日  ― 森友巨額値下げ再精査を ―
 財務省が公表が原則の決裁文書など公文書から、知られたくない記述を削除。書き換えもしていたことが発覚した
▼この改ざんされた公文書は、「元の記述」が相次いで明かされ波紋を広げている。そこには複数の政治家や安倍総理夫人・昭恵さんも登場。これらの人たちの名前が公文書に記述された後に、削除されていたことが問題化している
▼昭恵さんは国有地を買収した森友学園(大阪市)で、名誉校長を務めたこともある。26日の参院予算委員会ではその名誉校長就任が、行政に与える影響について問われ安倍総理が答弁している。《学園の信頼性が高まるとの認識があり自分もそう思う。行政がねじ曲げられたとは考えていない》と
▼総理夫妻がそれほど高まいな信条で森友と関わっていたことを初めて知った。同時にそんな思いを抱く昭恵夫人の存在が、森友の国有地取得に法外な配慮を招いたという側面はないだろうか。いわゆる忖度(そんたく)である
▼当初、国側が提示した売値は9億円超だった。それが見つかった地中のごみの撤去費用名目で、8億2千万円もの巨額を値引きする展開になっている。思いたくはないが総理夫妻の信条が国の配慮を招いてはいないか。案じる国民も多かろう
▼取り越し苦労で終わればいいが財務省は経過を精査してはどうか。

 2018年  3月  29日  ― 高梨沙羅選手の偉業 ―
 105戦55勝と勝率5割を超す。勝率5割ラインは、プロ野球ならリーグAクラスの目安となるが、優勝までは届かない。しかし、試合ごとに大勢が優勝を争う個人競技では驚異的な勝率だ
▼そのとてつもない勝率を挙げているのが、スキーノルディック女子ジャンプの高梨沙羅選手。男女を通じてワールドカップ単独最多に1勝と迫った今季は欧州勢の台頭と好調さから未勝利のまま平昌五輪を迎えた。五輪は銅メダルで、今季の最多記録は難しそうに思えたが、残り2戦目に初勝利し通算54勝の歴代単独最多を樹立。翌日の最終戦に連勝し通算55勝で今季を締めた
▼高梨選手はわずか15歳の12年3月にW杯初優勝。フル参戦の翌シーズンから優勝を重ね、これまで個人総合優勝4度という第一人者となった
▼4年前のソチ五輪では金メダル候補として国民の期待や取材攻勢を浴び、高校生の高梨選手に精神的重圧がのしかかったのだろう。表彰台に登れない苦渋を味わった。今季も悩みは大きかったかもしれないが、銅メダルが変化をもたらし最終盤の連勝につながったのだと思う
▼高梨選手には以前から、結果にかかわらず競技後のインタビューで相手の目を見て受け答えする姿に好感を覚えていた。技術向上でも課題に目をそらさず、さらに高みを目指すにちがいない。

 2018年  3月  28日  ― カラオケ大会試みた自治会 ―
 関東の小都市で自治会長を務めている知人から、会員に喜ばれたという試みを聞いた
▼それは決して特別なことではない。この自治会では毎年度末の最終日曜日に総会を開催してきたが、5年前からは会員の要望もあり同日の総会終了後にカラオケ大会を催しているというのだ。総会会場の公民館には以前からカラオケ設備が整っていて貸し出しもしている。愛好者も多く役員会で年1度のカラオケ大会開催を決めたという
▼大会には誰でも出場でき年齢は問わない。大会前日までに自治会の担当者に申し込めば自由に参加できるのだ。このカラオケ大会も今月25日に5回目を終えたばかりという。既に恒例化して地元住民にも愛されている
▼これまではカラオケだけで総会は未参加だった人も、最近は「どちらにも」という人たちが増えて、総会参加者も年ごとに微増しているという。一方、知人は笑いながら言う。「初回のカラオケでは演歌を歌う老齢者ばかりだったなあ」と
▼ところが次回からは老若自由という趣旨が伝わり歌い手は若返った。5年目の今回は若年化を象徴するように今春、狭き門の難関高校入試に合格したばかりの15歳の少年が登場。秦基博が作詞作曲をし自ら歌う「ひまわりの約束」を熱唱した
▼聴衆も涙し知人も初めて聞く歌に感動。泣けたという。

 2018年  3月  27日  ― 「街もりおか」が50年 ―
 杜の都社のタウン誌「街もりおか」が創刊50周年、1月で通巻601号を迎えた。
▼タウン誌は東京の「ぴあ」「シティロード」、大阪の「プレイガイドジャーナル」が御三家で、若者が大都会を謳歌(おうか)するためにあった。みんな廃刊した。そんなタウン誌は盛岡にも多かった。
▼「アキュート」はしっかり続いているが、「マッシュ」があった。岩大卒らが創刊した「RAG」と、盛大卒らの「独断くんと偏見さん」なるタウン誌が張り合っていた。ある種の批判記事が載る「フリーダム」。「地方公論」「リヴァー」は硬派のオピニオン誌で、少し毛色が違った。情報誌タイプはほとんど数年で消えた。
▼「街もりおか」だけはそのまま。「ぴあ」よりむしろ「銀座百点」を理想にしたのが良かったのか。1968年に鈴木彦次郎が創刊。山田勲、遠山美知、松本源蔵、藤原誠市、斎藤五郎さんら街に気心の執筆陣がたすきをつなぎ、紙面に品格を保ってきた。今は作家の高橋克彦さん発行人、斎藤純さん編集人。
▼3月の表紙は緑が丘の松並木。同人の東海林千秋さんは、「暑い夏には旅人に緑陰を与え、冬は吹き付ける風や雪から旅人を守る」と郷土史をひもとく。歴代ペンの並木道に、ふるさとの星霜を見つめる「街もりおか」。ページをめくるは弥生マーチの春風よ。

 2018年  3月  26日  ― 映画「遺体 明日への10日間」 ―
 7年前までは釜石に住んでいて、あの大津波に自宅を破壊された友人夫妻は首都圏に避難。70代になった今も東京郊外に住んでいる
▼先日も電話で近況を聞いたが夫妻はともに元気で、地元の町内会で役員などを引き受け活動しているようだ。「それでも年のせいか」と彼は付け加える。時折あれほどの大津波の惨事が頭から消えることがあり、自身の風化に驚く、と
▼そのため5年前に全国で公開された3・11以後の「釜石遺体安置所」を描いた映画「遺体 明日への十日間」のDVDを購入。夫妻で折々に見て思いを新たにしているという。ジャーナリストの石井光太氏が十日間にわたって現場に滞在
▼そこで見た現状を「遺体 震災、津波の果てに」と題するルポ(現地報告)として発表。これを映画化したのが先の映画だ。遺体安置という厳粛な場での混乱と、そこに途中から関わった葬儀社勤務経験のある民生委員の細やかな気配り
▼多くの人が見たと思うが主役の民生委員を演じた西田敏行はじめ、出演者の熱演が忘れられない。安置所に次々と運ばれる遺体。雑然と置かれた身内の遺体を見た遺族の怒り。遺体に優しく声を掛ける民生委員がその空気を和らげる
▼彼が慣れない市職員らに「生きている人と同じように語り掛け、接しなさい」と諭す場面が印象深い。

 2018年  3月  25日  ― 没後25年の深沢紅子の美術館 ―
 盛岡の代表的景観の一つは川だろう。盛岡駅から中心部に向かう時に目にする開運橋のたもとは、冬を除く大半、ボランティアが手入れする花壇によって魅力を増す。サケがのぼる中津川は、建物群に緑の潤いを与える
▼中津川沿いに建つ白壁の慎ましやかな建物は深沢紅子野の花美術館。盛岡出身の女流画家の作品を常時展示し、夫の省三の作品も折に触れて紹介する。美術館前の河川敷ではワスレナグサの咲く環境づくりに有志の努力が続けられている
▼深沢夫妻は今日まで続く盛岡の美術活動にとって恩人だ。生活の拠点は関東と行ったり来たりだったが、故郷で紅子の美術館設立の話が進み、馬場勝彦氏、菊池直木氏、盛岡二高同窓会らを先頭に市民運動が展開された
▼運動さなかの1993年、紅子は90歳で亡くなる。96年になって野の花と付いた紅子の個人美術館が長野県軽井沢町と盛岡に相次ぎ開館した
▼きょうは紅子の命日。没後四半世紀が過ぎた。美術館本格着工の折に紅子さんの長男龍一さんに取材し、存命中に開館してほしかったと思った記憶がよみがえる
▼建物・設備も経年による不具合も出て修復していると聞く。軽井沢の美術館は明治末期創建の下見板張りの洋館を活用。盛岡も市民の思いがこもった美術館と周囲の景観を長く受け継ぎたい。

 2018年  3月  24日  ― 国有地は国民の土地 ―
 国有地格安取得の森友問題に似た売買が、もう一例ある
▼売り買いされたのは山梨県甲斐市内の国有地で、面積はおよそ6566平方メ―トル。この土地を売却した窓口はもちろん財務省だ。同省の手厚い減免措置を受けて2016年5月に、当初評価額の7分の1以下という1008万円で入手したのは「日本航空学園」だ
▼この学園は空を飛ぶ日本航空とは無縁の学校法人である。妙なことにこの学園は半世紀以上も前から先の国有地の中にある。それだけ長期間なのに無断でしかも無料で使い続けてきたという。官庁と事業者のあうんの呼吸だろうか。それとも何か裏取引があるのであろうか
▼無断で無料などと教育機関としては恥ずかしくないのだろうか。監督官庁の財務省は任務の遂行に抜かりのないよう願いたい。某紙には次のような記事があった。「学園が田畑などを買収し滑走路などにした際、農道や用水路だった国有地の部分も無断で使用し始めた」と
▼財務省と航空学園は手厚い減免措置で国有地を売り買いした仲だろう。互いにうまみがあって成り立つ取引なのか。森友も航空学園もそろって大幅な格安の恩恵を受けているが、多くの国民には乱売と映ろう。国有地も本質的には「国民のもの」にほかならない
▼まずは官僚の皆さんの意識の転換をと願う。
  

 2018年  3月  23日  ― ソ連中国ロシアの旗じるし ―
 若い頃へそ曲がりでソ連のロックを聞いていたと先日書いたら、ある人に「ソ連にロック?禁止だったでしょ」と聞かれた。実はブレジネフ時代から米英のロックに寛容で、エレキを買う余裕と、バンドを組むくらいの自由はあり、国営レーベルからLPが多く出ていた。
▼岩手教育会館にもバンドが来たことがある。西側の音に比べノリの悪さがご愛きょう。何かと窮屈な国。ガス抜きに許していたのだろうが、体制維持の点でまずかった。若者が共産製のUSAにかぶれ、「やはり壁の向こうで本音に生きるが人の世」と悟ったのだ。
▼ソ連崩壊から27年。政治経済軍事面で難しい説明はあるが、最大の原因は国の旗じるしにもはや世界の理想なしと、思想の酔いから覚めたこと。赤い旗にしらけて瓦解した。
▼中国はその点したたか。紅旗はもっぱら人権抑圧に用い、日本をしのぐ経済大国となり、米国を超える軍事大国を狙う。習近平は国家主席の任期を撤廃し、民族の本能に大中華復権を唱える。こちら、やわな音楽を聞いたくらいで覚めはしない。
▼ロシア大統領選もプーチンの長い強権政治を追認して終わり、何だかまた中ロ似たように独裁的な国になってきた。朝鮮半島や日米その他も指導者たちが悪ノリして、ろく(ロック)でなしの世界にならぬように。

 2018年  3月  22日  ― 森友と国政結ぶ陰の動き ―
 各社の世論調査で内閣支持率が急落している
▼財務省は公表が原則の「決裁文書」などを改ざん。知られると都合の悪い人物や事柄を削除したり、書き換えたりしていたのだから、国民の怒りが調査に反映したのであろう
▼森友学園に対する国有地売却についても、当初価格から契約後発覚した「地中のごみ処理費用」として8億2千万円もの巨額を値引きしている。この取引も理解しがたい。それでも同省は「価格を提示したこともない」「いくらで買いたいと希望があったこともない」などと国会で弁明をしている
▼同省は「決裁文書」も国会に提示したが朝日新聞は今月2日付で、その「文書」も書き換えられた疑いがあると報道。《取引をめぐる「決裁文書」にはもともと「価格提示を行う」などの文言があった》とも指摘している
▼官僚といっても一部だろうが彼らはなぜすぐばれる悪さに手を染めるのだろう。上部に気遣いをしすぎるという側面もあるようだ。チェックを恐れ文書から不都合な表現を削除するのもその一端だろう
▼一方、総理大臣夫人は森友学園理事長が営む幼稚園で講演し、取得前の国有地を理事長らと視察するなど動きが大胆だ。それが森友に国政の目を引き寄せているかに見える。公文書から昭恵氏の名が消えたこともニュースになっている。

 2018年  3月  21日  ― 太陽の塔の内部公開 ―
 大阪万博の1970年ころは科学技術の発展著しく輝く未来への期待が高かった。万博に行った伯父からパビリオンの様子を聞き、近い将来の実現が約束されたと感じたものだ。半面、高度成長の日本で環境や健康が脅かされている現状には無頓着で公害は進級してから学んだ。環境や健康に関する科学の研究が求められ、科学万能の神話は崩れている
▼万博施設の多くはすぐ撤去され、万博公園に残る太陽の塔が生き証人。その塔で48年ぶりに内部公開が始まった
▼岡本太郎の唯一無二の世界観から生まれた塔は外観で十分にインパクトを持つが、込められたメッセージは内部に触れてこそ伝わるのかもしれない。地球の太古からの生物を連鎖させた「生命の樹」が核心だったと推し量る。進化した生命の一つが人類だが、その延長線上に太陽の塔の外観があると見れば、人間のおごりへの警鐘ともとれまいか
▼岡本の審美眼は東北を捉えた。岡本の岩手巡りに同行した盛岡出身の故村上善男は東京に出ず土着しての創造を岡本に勧められた。村上の現代美術に荒々しさを覚えるのも縄文・エゾの系譜か。個性尊重といいつつ出る杭はいまだ打たれる。突出を恐れぬ岡本はデジタル社会の人間の画一・平準化をも予見していたのかも。なまの命を営んでいるかと自問させられる。
  

 2018年  3月  20日  ― 終戦直後の葬儀の思い出 ―
 大正昭和初期の俳人・原石鼎(せきてい)に次の句がある。「彼岸会のお日のくもりもありがたや」
▼春の彼岸法要を詠んだ句だが《暑さ寒さも彼岸まで》と言われるように、春彼岸あたりから陽気は暖かくなる。この俳人は島根県出身だから例えば、実家に親類縁者が集う彼岸法要を想定してみると、扇風機も冷房装置もない時代では外の陽気の暖かさは、室内では暑さになるのかもしれない
▼そんな想像をしてみると「くもりもありがたや」という表現が実感として伝わってくる。ところで私事になるがこの句を口ずさむたびに、当方は6歳の時に初めて人の死を見たことを思い出すのである。同居していた高齢のひいばあちゃん(曽祖母)が亡くなったのだ
▼敗戦翌年の暑くなり始めた初夏のころだった。自宅での葬儀を広間で行い、終戦直後の当時は火葬の習慣がないし自動車もなく、遺体を納めた棺をリヤカーに乗せ菩提寺まで徒歩で運んだ。全参列者も同行し棺を当家墓地に埋葬したのである
▼忘れられないのはあの日の天候だ。先の俳句のように太陽は隠れ曇り空で涼風まで吹いたのだ。リヤカーを引く父と祖父は汗にまみれていたようだが、参列者は皆が「家の広間も埋葬往復も涼しかった」と感嘆していた
▼以後の回忌法要のたびに聞かされたことも思い出す。

 2018年  3月  19日  ― 内助の功か内緒の功か ―
 ちょっと前の話。ある人が東京で全国の集まりに出席したら、急に安倍昭恵さんが見に来るの来ないのという話になり、主催者が大慌てだったという。どこに姿を見せるか、あちこちで忖度(そんたく)するほど、盛岡弁で「どごだりさ出はる人」のようだ。
▼総理の父、安倍晋太郎氏の生前、当社刊行の「安倍一族」の序文を書いてもらおうと、だめもとでお願いした。自民党幹事長の頃。忙しくて地方の出版物などは無理かな。
▼ある朝、会社の電話が鳴った。受話器を取ると「安倍晋太郎の家内でございます」。上司がたまげていた。お話によると、宗任の末えいであることを誇りにしていて、安倍氏の本ならふたつ返事で引き受けると。お墨付きで良い本ができた。大政治家と賢夫人のおかげだった。
▼取材現場でよく国会議員の家族を目にしたが、夫人も家門を守るため地元を回り東京と往来し、参勤交代並みに大変だと思う。まさに内助の功が外に出るくらいでなければ、政治家夫妻は勤まらない。
▼前九年の軍記「陸奥話記」に、「人倫の世にあるは妻子のためなり」と、一族の信義をもって源氏に宣戦するくだりがある。財務省と森友学園と昭恵さんに何がありや。総理は身内の話を国会と国民にきちんと納得させねば。内助がもし「内緒の功」なら、話があべこべだ。

 2018年  3月  18日  ― 震災犠牲者ゼロの洋野町 ―
 3・11津波が襲来した岩手・宮城・福島の3県沿岸市町村で、死傷者・行方不明者ゼロの町が一つだけある
▼岩手県北の洋野町だ。あの日はこの町の沿岸にも最大15メートルの津波が襲来している。それでも建物倒壊は79棟もあったが、犠牲者は一人もいなかったのだ。いずこも同じで洋野町の場合も、その成果の背景には日ごろの防災活動がある
▼本県最北端の沿岸部にあった旧種市町と合併した洋野町は、歴史的にはその種市沿岸は大津波の常襲地だった。明治三陸津波(1896年・町の犠牲者254人)、昭和三陸津波(1933年・同214人)など大被害も経験している
▼町の防災アドバイザーを務める庭野和義さん(元消防分署長)は住民の防災意識を高めるため、08年に町内初の「自主防災組織」を自身の居住地域に設立した。それは大震災発生の3年前である。文字通り住民が自主的に防災活動を進めるこの「組織」は、町内の他地域にも設立されている
▼この組織の活動は「津波では絶対に死なない。地震が起きたらすぐに高いところへ避難する」という分かりやすい言葉を、地区総会や敬老会で繰り返し伝えることを基本にしている。住民は高台への避難路の草取りや除雪なども行う
▼町民のそんな地道な活動が洋野町を「犠牲者ゼロの町」にしたのである。

 2018年  3月  17日  ― いたましい財務局の悲劇 ―
 財務局という役所は一般の人にあまりなじみない。財務省の下に各地方の財務局、県ごとに出先があり、岩手県は盛岡財務事務所。県市町村と序列的な関わりは薄く、中二階的な機関にも見えるが、国の財政にまつわる地方の金融経済をつかさどる。
▼財務省と言えば今回の一件のように、いささかごう慢なエリートを思い浮かべる人もいるだろう。しかし財務局や事務所への配属は、優秀で気さくな人が多い。以前、盛岡事務所勤務で亡くなられた所長さんがいた。土日の取材現場。あっちの店この催し、あそこの記念館など、ばったり出くわしたものだ。
▼あとで職員に「所長は岩手、盛岡の経済がどうあるべきか、どうすれば良いか、いつも一生懸命考え、休みはいろんなところを見に行っていた」と聞かされ、温顔をしのんだ。どこの任地でも地域経済を思う気持ちは一緒だったのだろう。
▼先日、近畿財務局で森友学園の国有地売却を担当した職員が自殺する、いたましい事件があった。財務省が安倍政権に不都合な部分を隠した問題で、メモが見つかったという。金銭や権力の圧迫と、組織の板ばさみになり自殺する人の話を聞くにつけ、やりきれない思いだ。
▼くだんの財務局職員に限らず、本来は無罪の人が追い詰められるような政治であってはならない。
  

 2018年  3月  16日  ― 改ざんに走った財務省の小心 ―
 国が森友学園への国有地売却の際、9億円超の当初価格から、8億円余も値下げしていたことが発覚したのは昨年2月だった
▼多くの国民から「何か裏がありそう」などと疑念の声が上がったことを記憶されている方も多かろう。だがこの売却を担当した当時の佐川宣寿財務省理財局長は、陰の値下げ交渉を否定していた
▼ところが連日報道されているように森友への売却に関する国側の決済文書など複数の公文書原本から、森友とかかわりのある安倍総理夫人や複数政治家に関する記述などが、全面的に削除され修正されていたことが判明。財務省も大幅な改ざん(書き換え)を認めている
▼何か裏があるとの国民の当初の予感が結果的に的中したことになる。財務省は原本には客観的な事実を書いたのだろう。それがあるべき姿なのに何を恐れたのか。政界筋からの怒りと仕返しにおびえたのか。せっかくの公文書に私情を混在させてしまった
▼改ざんという卑劣な手法で史実ではなく、恥を残しただけではない。上司の命令で改ざんという作業をした一人の部下が「書き換えをさせられた」という趣旨をメモに書き自ら命を絶っている。まじめで正義感あふれる人だったのだろう。今回の改ざん事件で最も悲しいニュースだった
▼財務省の諸氏も故人の無念に応えてほしい。

 2018年  3月  15日  ― 電動車いすの高校生 ―
 「みんなと一緒に高校生になる」は、今年度の全国中学生人権作文コンテストで内閣総理大臣賞に選ばれた兵庫県在住の3年生大原佳乃さんの題名。作文を読むと難病の先天性表皮水疱(すいほう)症と闘う彼女にとっては「決して簡単なことではない」と分かる
▼行きたい高校を見つけて受験し合格して入学というのは、大半の中学生が思い描き成就に向けて努力する流れ。だが彼女は現実の厳しさを思い知らされる。何校かの高校を見学して進みたい思いが強まった一方、中学校で受けられているサポートは難しいことや設備の問題などで、高校側の受け入れたくない本音を感じ取った
▼この日本でこれまで行きたくても、病気に限らずさまざまな理由で進学できなかった中学生は少なくないはず。しかし資金面でも施設面でも人材面でも、かつてに比べ願いをかなえる環境は整えられてきたと感じてはいるが、彼女のような切なる願望に悩まず応えられるような水準には届いていないようだ
▼きょうは県内公立高校の合格発表の日。受験生の受験校を選び高校生活を想像して努力したことが報われる日でありたい。大原さんには前例がないという壁があった。「私自身が前例を作ります。『電動車いすの高校生』にみんなと一緒になりたいです」という彼女の成就も願う。

 2018年  3月  14日  ― 釜石と石巻大川小の津波対応 ―
 小中学校が児童生徒在校中に、大地震津波が発生したら校長はじめ教師はどう対応すべきか
▼東日本大震災津波から7年が経過しこの課題が改めて浮上している。7年前には大津波接近に対し釜石市で学校管理下にいた約3千人の児童生徒が、教師の「逃げろ!」との声に全員が個々に日ごろの防災訓練を実行。即駆け出して高台に全員無事に避難している
▼これが「釜石の奇跡」として全国的に高く評価されたことはご存知の通りである。釜石ではその震災大津波発生以前に、防災論の専門家である群馬大学の片田敏孝教授を招き、8年間にわたり子どもたちを教育している。同教授は理論だけでなく先の「逃げ方」の実践まで教えている
▼一方で7年前の大津波は隣県の石巻市立大川小学校の校庭にも襲来。大地震発生で校舎のガラスが割れて散乱したため、教師らが児童を裏山でなく校庭に誘導。そこで点呼を取り安否の確認もしている。避難先の検討を始めたのはその後だ
▼校長が不在でそのせいか悠長である。津波を恐れ真っ先に高さのある裏山への誘導を決断すべきだが、決めたのは裏山とは別のコースでそこへ移動を始めた直後に大津波が校庭に来襲。児童78人中74人が、教職員ら13人中10人が命を落とす
▼この「大川小の悲劇」も釜石市とともに重い教訓となる。

 2018年  3月  13日  ― 3月11日の士魂 ―
 今年は2月に入って中屋敷町のガス爆発、3月は1日から中央通のビル解体現場の足場崩落など盛岡市内に事故が相次いだ。その夜、近くの交差点を通りかかると、大きながれきを投光器が照らし、東日本大震災当時の緊迫がよみがえった。折からの暴風雪による事故で、人的被害を免れたのは不幸中の幸い。しかし中屋敷町の方は故意の人災なら許しがたい。捜査の進展が待たれる。
▼大きな災厄は警察、自衛隊、海保も主力になって出動するが警察官は防犯、自衛官は国防、海上保安官は警備という一方の重い任務がある。消防士は天災、火災、事故を専門に先陣を切らねばならない。先日の現場での活躍も頼もしかった。
▼毎年明けに県内各署の代表を弁士に消防職員の意見発表会が盛岡市であり、何度か取材した。最前線の若い人材が日常業務から発想して創意工夫し、県民生活をより安全にしようと心を砕いているのに感心した。
▼沿岸各署の消防士は、震災前から津波対策には熱心だった。その後は貴重な教訓を踏まえてさらに充実し、実地の防災に役立てられていることだろう。
▼7年前の3月11日は各県の消防士が身をていし、消防団を含めて殉職者が出た。警察官も、のちに自衛官も。あの十一の日から、救援に尊い命を捧げた士魂は、国民不忘のものだ。

 2018年  3月  11日  ― 復興ソングの「花は咲く」 ―
 7年前に発生した東日本大震災は、20都道県に被害が及び死者行方不明者は1万8千446人に達している(昨年3月10日時点)
▼仙台出身の詩人・岩井俊二さんは震災で亡くなった人たちは今、あの世で地上の故郷をどう見ているだろうと想像し「花は咲く」と題して歌詞を詠む。これに同郷の作曲家・菅野よう子さんが曲を付け12年5月に発売。復興ソングとしてヒットしている
▼店頭に出てから歳月が経過したが花咲く季節を迎えて、改めて口ずさんでみた。歌は「真っ白な雪道に春風香る」と始まる。雪国の先ごろの風景が重なる。《私は懐かしいあの街を思い出す》《あの街にはかなえたい夢もあった》と続く
▼この歌詞が地上で暮らす人の回想ならいいのだが、これは先の詩人が言うように今は亡き震災被害者が天国から、「地上のあの街」を懐かしんでいる場面である。つまりこの書き手はあの世の人なのだ。天上から大震災犠牲者の誰かが、地上のあれこれを眺めている形で描いているのである
▼大震災発生の翌年に、物心両面にわたる復興のため制作された「花は咲く」は、チャリティーソングでもある。この歌曲はNHKが大震災支援プロジェクトのテーマソングとして使用している。だから随時この曲を流している
▼耳に慣れて上手に歌える人も多かろう。

 2018年  3月  10日  ― 政府のUFO答弁書 ―

 日本で昨年公開されたSF映画「メッセージ」は地球に着陸した数機の宇宙船の地球外生命体との意思疎通を試みる話。共通言語を持たない両者にあって敵か否かを人間が見極めていく。武力衝突もあり得る展開となった
▼この宇宙船の形状が日本で告知されると、菓子の「ばかうけ」に似ていると一部で話題に。ドゥニ・ビルヌーブ監督がネットでばかうけに影響を受けたとジョークを発信するUSO(うそ)のような逸話が残る
▼政府が2月27日の閣議でUFO(未確認飛行物体)についての答弁書を決定したのも、うそではなくホントのお話。中身は「地球外からわが国に飛来した場合の対応について特段の検討を行っていない」という面白みのない淡々としたものだが、国会で質疑応答される場面を見たら面白いに違いない
▼「政府として存在を確認したことはない」という答弁も、UFOたらしめる答弁で、確認済みならばUFOの前提が崩れる
▼働き方改革の関連法案で裁量労働制に関するデータの不適切が確認され、政府は裁量労働制の全面削除を余儀なくされた。財務、文科両省が、ないとしていた文書の存在が確認された事案とは異なる対応に感じた。たとえ虚偽ではなくとも、ごまかしや隠ぺいは国民にうそと受け止められる。公開性は民主主義を担保する。
  

 2018年  3月  9日  ― 運転免許証返納の課題 ―
 私事だが老齢世代になって以来、周囲からよく言われるのは「自動車運転免許証自主返納」のことである
▼そこで必ず出るのは高齢者運転の車による事故の事例だ。嫌というほど聞かされたのはブレーキとアクセルの踏み間違いで、コンビニなど店舗に突っ込んで壊し複数の人に重軽傷を負わせ、自分も大けがをしたというケースだ。そうならないように早めの返納をと迫るわけである
▼善意のアドバイスだろうから素直に耳を傾けているが、そう助言する当人も大半が車を運転している75歳に近い友人知人だ。だから「年齢を問わずお互いに注意しましょうよ」と返し、笑い合って終わっている。後はその重い課題が自分の中に残り「返納の時」をにらんで慎重運転を続けている
▼自動車教習所が主催する学科・実習も行う高齢者講習も受けて「継続OK」を確認。今もほぼ連日のように普通に運転をしている。それでいてもしも、「返納したら困ること」を思い巡らす。それを近所の同年代仲間とも語り合っている
▼近くにスーパーがない。この「買い物に困る」のテーマだけで「配達をする店はあるか」「OKでも配達は無料か有料か」と議論が連鎖。配達料やタクシー代などに行政の支援はあるか等々、この項目だけでも「自主返納」に伴う課題の深刻さに気付かされる。

 2018年  3月  8日  ― 団塊の世代の決断 ―
 東京商工リサーチ盛岡支店の調べによると、県内の個人企業の休廃業が前年の倍以上に増えている。70代の経営者の断念が目立つ。気力体力の限界や資金繰りもあるだろうが、後継難で諦める人が多いのだろう。
▼堺屋太一命名の「団塊の世代」が、70代に達しつつある。「学生運動をやりギターを鳴らし、卒業後はバリバリのビジネスマンや官僚になった威勢の良い皆さん」というイメージの人々だ。しかしヘルメットをかぶりワッショイやっていたのは、頭数の多い同輩のあくまで一部。ほとんどは平穏な暮らしを夢見て、堅く世間の一員になった。それは前後の世代と何も変わらない。
▼団塊の世代はアメリカナイズされた消費生活で国産の自動車、家電などのブランドを誇りにマイホームを持ち、核家族を再生産した。その点においては初の世代が、老いて後継を諦めるのは、子や孫には違う人生観をと思うのか、あるいは自分らの来し方の延長に明るい将来は見通せなかったのか。
▼近ごろ盛岡では、まさに団塊が社会人となった1970年ころ建った街の一角が次々解体されている。今まで見慣れたビルの外壁が、断崖のように崩されているのを見ると、何だか切ない。
▼まるで崖っぷちの世代の団塊になってしまわぬよう、昭和の元気で高齢化社会を引っ張って。

 2018年  3月  7日  ― 復興住宅での孤独死防止を ―
 東日本大震災で住居を奪われた被災者は、避難所で暮らした後に仮設住宅に移り、公立の復興住宅が完成するのを待った
▼新築ではあっても震災時まで住んだ「わが家」の雰囲気には及ばないのだが、それでも多くの被災者は今、その復興住宅で暮らしている。入居者の中には地震や大津波で家族を失い一人住まいのまま、近隣との触れ合いもなく老いていく人が少なくない
▼悲しいことだが誰にもみとられずに生涯を閉じる高齢者も増えている。テレビなどでも「復興住宅で増える孤独死」と報道していたが、岩手・宮城・福島の3県を合わせて昨年末までに97人の孤独死が確認されている。これをどう防ぐか。小規模団地化した復興住宅の自治組織確立も大事だ
▼かつて阪神・淡路大震災発生時に現地に居住し今は東京在住の友人と先日懇談。彼が震災後に携わった孤独死防止の活動を聞いた。阪神でも復興住宅での自死を含む孤独死が続発。死後、1年8カ月後に発見された事例もあったという
▼彼は自治会役員として自身が住む1棟の65歳以上の高齢者17人を担当。徹して会話し励まして全員と親しくなり特に健康状態を把握。既に半数は他界したが各葬儀も見守り、担当を退任した後も生存者を励まし続ける
▼今は自ら達成した「1棟孤独死ゼロ」を後輩に訴えている。

 2018年  3月  6日  ― 感謝と復興の発信は ―
 五輪男子フィギュアスケート連覇の羽生結弦選手が2月27日の日本記者クラブの会見で「被災地の方々の笑顔のきっかけになれば良いと思っていた」と発言していたのに、ほっとした
▼平昌五輪は日本の冬季最多メダル獲得もあって沸き、日本勢の活躍を喜んだ1人だが、東日本大震災が話題に上る機会を期間中に見聞きすることがなく、これが7年の歳月なのかと実感した。大震災翌年のロンドンでは選手も報道するマスコミも大震災に多く触れた。14年の冬季ソチも宮城県出身の羽生選手の金メダルもあり話題に上ったが、16年リオは次回の東京開催の演出が閉会式になければ、平昌と等しかったかもしれない
▼20年東京開催の決定には、大震災が生々しい当時の状況下で復興の姿を見てもらうのと、海外からの多大な支援へ感謝を表す意味合いも一因と言えよう。復興五輪とも呼ばれるくらいで、国は被災県へのホストタウンを促す取り組みを進めている
▼ならば東京の2年前の平昌では、つなげる位置付けをもっと生かせば良かったのにと思える。安倍首相が開会式に出席したものの、北朝鮮や慰安婦のことに意識が占有されていたと映った。平昌パラリンピックが9日に開幕する。11日は大震災から丸7年。風化が言われる中、もっと発信できないものだろうか。

 2018年  3月  5日  ― 続発する振り込め詐欺 ―
 振り込め詐欺など特殊詐欺が、全国的に続発している。昨年は全国で1万8千201件も発生し前年比で29%も増加。今年1月のデータも公開されたが前年比で、80件多い984件の特殊詐欺が発生している
▼この詐欺は前世紀末頃に一部の詐欺犯が、被害者宅へ電話を掛け「オレだよオレオレ」と息子を装い、その家の母親などに語り掛けたことから「オレオレ詐欺」と呼ぶようになったという。だが04年には警察庁が改めて「振り込め詐欺」と命名する
▼以後これがあれこれ理屈を言っては、大金を指定口座へ振り込ませだまし取る行為の総称となる。次第に手口が巧妙になって「成りすまし」「還付金」「融資保証金」「架空請求」などの詐欺が現れたため、これらの「総称」にもなった。許しがたいこの詐欺は今も続いている
▼先月29日に佐賀県の男性宅に、「ネット料金など未納金があり、本日連絡なき場合は法的手続きに移る」とメールが届く。電話をすると全ての未納金を支払うよう金額も示され、男性は急ぎ複数個所へ全額を送金。後に詐欺と気付く
▼今月1日には東京の70代女性が息子を名乗る男から「母さん食事に行こう」と電話で誘われうれしくなり、金を無心されると息子の同僚を名乗る男に4百万円を渡してしまう。詐欺は脅迫と優しさを巧みに使う。

 2018年  3月  4日  ― 岩手の弘前か青森の盛岡か ―
 盛岡人の自虐に「青森県盛岡市に間違われた」論がある。それだけ街の存在感が薄いということだろうが、青森県側にも「岩手県弘前市と…」論を聞く。全国の主要都市の中で、弘前と盛岡は混同されがちだ。
▼両市には相通じるものが多い。北東北の内陸にある20万から30万人の城下町。リンゴおいしく、片や石割桜、片や観桜の城が名勝。仰ぐは残雪の岩手山と岩木山、極めつきは啄木と太宰という、よく似た早世の天才を看板に、文学の街を売りにしていること。
▼これだけ似通った印象が重なると、あやふやもやむなしか。東北人が九州の小倉と博多の区別を付きかねるように。
▼啄木も太宰も選良意識の強い神童だった。屈折して少年時代から厭世、あこがれて上京。啄木は借財、太宰は情死と麻薬の醜聞にまみれ、蕩児(とうじ)が左翼がかり、天下に叛(そむ)いてみせた。偉大な文才は世渡りを妨げ、オーバーな苦悩と望郷は逆に読者をくすぐる哀しき道化。だがそれが愛すべき東北人の一典型を物語ってきた。
▼だから盛岡市と弘前市は東北自動車道で観光や文化にもっと手を携えよう。ダブルイメージを利用し、相乗効果を狙う。ただしそれには双方もっと存在感を上げ、ハードソフトの充実を図らねば。行ってみたら「まったくダサイ」とならぬように。

 2018年  3月  3日  ― 福島原発事故 東電は猛省を ―
 3・11大震災発生から7年が経過した今も、東京電力福島第一原発事故は「防げたのではないか」という疑念がくすぶっている
▼東電首脳の業務上過失致死傷罪を問う裁判も続いている。先月28日にも勝俣恒久元会長ら旧経営陣3人の第4回公判が東京地裁で行われた。問われたのは東電首脳が巨大津波の襲来を予見できたかどうかである。今回の法廷では東電の子会社である「東電設計」の社員が重要証言をしている
▼同社員は「東電設計」が事故発生の3年前、同原発に巨大津波が襲来する可能性があるとの試算をまとめていたことを証言。東電側との協議に基づき1896年の「明治三陸地震」級の地震が、福島県沖で起きたとの想定で試算し同原発に15・7メートルの津波襲来の可能性があると警告していたのだ
▼同社員は08年3月にこれを東電担当者に報告したが「計算の条件を見直し津波が小さくならないか」と再計算を依頼されそれを断ったことも明かしている。法廷闘争は続くが今回の第4回公判の論述だけでも、東電の首脳が巨大津波襲来を予知していたことは隠しようがなかろう
▼彼ら首脳が襲来を予見して即堅固な防波堤構築に動けば、原発事故は防げただろうし過失致死傷罪も消える。毎日夜、広域の電化生活を支える東京電力の正直な猛省を望みたい。  

 2018年  3月  2日  ― 巣立ちの季節を迎え ―
 3月に入った。きのうは寒さも緩み春の訪れを感じたものの2月に襲った大雪は、いまだ路肩に厚く残る
▼盛岡地方気象台が公表している気象旬報の2月中旬の状況を見ると、盛岡の降水量は41aで平年比202%と多く、平均気温も平年より2度も低い氷点下3・3度だった。今冬はまとまった雪に何度か見舞われ、気温が低いせいで雪が解けず、市内の排雪場のうち下の橋下流が許容量に達し閉鎖された。会社も雪かきした山が大きくなり、排雪せざるを得なかった
▼「ゆく雲の遠きはひかり卒業歌」(古賀まり子)。きのうは卒業式という県内の高校が多かった。実社会に飛び出す若者、進学を目指す若者、それぞれ新たな人生のステージが待っている。少子高齢化や人口減少に直面する日本で、全ての若者が個性を伸ばし新たな形の国勢発展の力になってほしいと願うばかりだ
▼来春に向け大学3年生ら対象の企業説明会も解禁された。岩手は今も若者の県外流出が多い。地元に残りたくてもという消極的な人もいるだろうが、大都会に憧れて故郷を出る人も多いだろう。この春、地元に就職する若者には地域の活力として期待する。一方で岩手を出る若者が、卒業式での感慨を忘れることなく故郷愛を育んでくれることを願う。離れても故郷に暖かな風を送ってほしい。

 2018年  3月  1日  ― 差別否定の憲法と肯定の諸法 ―
 日本国憲法は昭和21(1946)年11月3日に公示し、翌年5月3日に施行した
▼13条には《国民は個人として尊重され生命、自由及び幸福追求に対する権利は国政上最大の尊重を必要とする》(趣意)とあり、14条には《国民は法の下に平等で人種、性別、身分などで差別されない》(同)とある
▼ところが現実には差別濃厚のハンセン病患者強制隔離を規定した「らい予防法」が、旧法改定の形で制定されたのは新憲法公示後である。この差別法を「強制隔離」批判の高まりで廃止したのは1996年だ
▼明治期制定の「北海道旧土人保護法」はアイヌ人を土人と呼ぶ論外の差別法だが、廃止は97年で「らい予防法」より遅い。さらに多くの女性を苦しめた「優生保護法」も生命尊重・差別否定の憲法公示からわずか2年後に制定している。賛同した国会議員は憲法を読んでいないのだろう
▼この優生保護法を根拠に「不良子孫出生防止」を迫られ、不妊手術や中絶を強制されその理不尽にどれほど多くの女性が泣き怒りに震えたことか。この悪法も96年に廃止され新たな「母体保護法」では「不良子孫〜」の文言も消えた。だが強制手術被害者は全国で1万6千人を超える
▼60代女性が仙台地裁に全国初の国家賠償請求訴訟を起こしたが、今春はその輪が広がりそうである。

2018年 2月の天窓へ