2018年6月の天窓


 2018年  6月  30日  ― 岩手県立大が20周年 ―
 岩手県立大学の1998年の開学前、初代学長の西澤潤一さんに東北大でインタビューせよと。頭を抱えた。相手はノーベル賞もありうる知の巨人。ぼんくらのおつむで愚問し、冷や汗で受け答え、カセットで聞き返してもチンプンカンプン、難解な単位や英語が矢のごとしだったら、どうしよう。
▼会話を新聞活字へ論理的に直すのは骨が折れる。「えーとそのー」を省き、言い回しを整え、分かりやすくしたり、話し言葉を記事にするのは。「んだば、おめはんのしゃべりはどうなんだい」と突っ込まれたら赤面だが。
▼約1時間の西澤インタビューのテープをひたすら起こしてぼう然。話し言葉を聞いたまま打ち込んだだけなのに、もう理路整然とした書き言葉になっている。校正は句読点を微調整するだけ。西澤さんの口頭から、明快な学術論文が立ち上がったのだ。取材経験であのときほど驚いたことはない。これが「ミスター半導体」の世界的頭脳かと。
▼あれから20年。県大はしっかり滝沢市に根を下ろし、岩手の話し言葉で最先端の書き言葉に学問を究める。創立の節目のシンポでは、県大生の長所に課題解決能力と協調性の高さ、短所に押しが弱くおっとりしすぎなどなど。
▼ILC誘致も正念場。「これが岩手の意見だい」と、みんなでもうひと押ししよう。
  

 2018年  6月  29日  ― 男女均等待遇の時流へ ―
 ニュージーランドの女性首相ジャシンダ・アーダーンさん(37)が、21日に第1子の女児を出産した。母子ともに元気だという
▼パートナーと女児を挟んで喜び合う写真を添えた朗報が、世界を駆け巡っている。当日早朝に入院した首相は実務を副首相に託し、6週間の休業を経て首相職に復帰するという。世界で現職トップの出産は1990年に、当時のパキスタン首相プット女史が女児を産んで以来2例目だ
▼今回のニュージーランド発のめでたい話は、当方の地元近隣でも予想以上の反応を耳にする。「前時代的な男尊女卑思想を反映したような、男性主流の日本の政界地図が恥ずかしい」と指摘したのが、前時代派かと思っていた高齢男性だったことにも驚く
▼その場にいた女子学生が感激したらしく大きな声で語り出す。「人口の男女比率を見ても日本は女性の方がやや多いのに、国会でも地方議会でも女性議員は少ないし地方ではゼロも多い」と。さらに「日本からも女性首相の出産という朗報を、世界に発信したいです」と心を込めて言う
▼政府も先月、ようやく「政治分野における男女共同参画推進法」を成立させ施行した。国や地方の選挙の際に男女の候補者数をできる限り均等にするよう、政党に促す法律である。罰則もなく生ぬるいが一歩前進に期待しよう。

 2018年  6月  28日  ― おっさんジャパンの覚悟 ―
 サッカーW杯はおっさんジャパン≠ェきょう1次リーグ突破を懸けポーランド戦に臨む。日本代表はいつの頃からか監督を冠して呼ばれ、今回は西野ジャパンだ
▼開幕前の約半年の代表戦の内容、2カ月前の監督交代という事態に不安が増幅。代表にブレーク期待の若手登用がなく、平均年齢28・26歳が歴代代表の最高齢となったことで勝ち点すら危ぶむ見方さえあった。だが、初戦で強豪に勝ち国民の関心を高めた。平均年齢が悲観要素から一変したのと同じくして躍り出たおっさんジャパンの呼称には今、愛情がこもる
▼揶揄(やゆ)から愛情への転換には伏線があった。この春テレビ放映されたドラマ「おっさんずラブ」の人気だ。深夜帯でサブカル的な要素に事前の話題は少なかったが、放映ごとに話題が沸騰。終了後も人気が高まっている。おっさんの純愛ぶりが共鳴を誘ったようだ。おじさんではなく、おっさんが旬の言葉となった
▼出場32カ国にはアルゼンチンなど日本を上回る平均年齢も数カ国あり、全平均は27・57歳という。Jリーグに来るイニエスタは34歳、メキシコには5大会連続の39歳マルケスがいる。30代選手の多くは最後のW杯になると秘めた覚悟を持つはず。おっさんの覚悟を土台とした純粋なサッカー愛と情熱を推進力に前評判を覆せるか。

 2018年  6月  27日  ― 沖縄の翁長県政 ―
 今月23日の沖縄「慰霊の日」全戦没者追悼式で、平和宣言を読み上げた翁長雄志(おなが・たけし)県知事からは気迫が伝わってきた
▼翁長さんはすい臓がんが見付かって先月に摘出手術をしたことを公表。その病む身を押しての平和宣言だった。そんな経過を見守る県民支持者も宣言を読み上げた姿に安どしたことであろう。同時に闘病ですっかりやせてしまった姿に、いたわりの目も向けているのだろう
▼頭髪もなくなり手放すことがなかった帽子も、慰霊式典では脱いだのだから周囲は驚いたという。この月末にも治療休養をしたとの情報もある。翁長知事は67歳だ。病魔と闘いながら大事な職務にも目配りをしているのだろうから、難儀な日々であろう
▼沖縄には重要課題が多い。県民が苦労し悩む広大な米軍基地もある。そこから派生する事件や事故もあり、騒音などの環境問題もある。米軍基地の沖縄負担縮小と本土への分散移設は、県民の強い願望だが政府側には応じる気配もない
▼国の普天間飛行場辺野古移設計画も、見直しを求め続け拒否され続けている。翁長知事も「辺野古に新基地を造らせないという私の決意は、みじんも揺らぐことはない」と、抱き続ける執念を披歴したことがあるが具体化は見込めない
▼沖縄では日本の政府が他国に見えるという。

 2018年  6月  26日  ― 書家の南奎雲さんの思い出 ―
 盛岡市の書家の南奎雲さんが亡くなった。長年教壇にあり、多くの県民に慕われ、政界や国際交流まで人望厚かった。本紙も連載小説の題字など大変お世話になった。
▼叙勲記念出版「書に道を求めて」に、「戦後の教育を受けて育った成人で、大きく陥没している力を明瞭に示しているのは教師の板書と政治家の書」と喝破する。南さんは為政者が能書家たらんとし、運筆に天下を語る昔を知っていた。
▼といってひたすら墨守の人ならず。3年ほど前、滝沢市の斉藤道廣さんの連載「玄武門のメロディ」の採用を、迷っていたときのこと。とても面白いけれど、中国は唐の歴史小説で、岩手や盛岡とは無縁の筋。何といっても読者には郷土史ものが喜ばれるし、時の領土問題で武威をかざす中国に国民感情が悪化していた。
▼シルクロードのロマンが今頃受けるものやら。題字の相談にあがり、迷いを打ち明けた。粗筋を聞いた南さんは、「このあたりでは異色の作品。面白い」と張り切ってくれた。不安を振り切り連載スタートしたら、やはり新しい読者を得て、墨客の慧眼(けいがん)に感服。
▼たゆまず漢籍の素養を深め、教育者として常に将来を信じ、郷土と世界を見詰め続けた南さん。やがて夏めく南の雲の白さに、あの雄渾(ゆうこん)な筆をさばくのだろうか。

 2018年  6月  25日  ― 地震で倒れた塀が人命奪う ―
 ブロック塀は地震で倒れると、凶器となって人命も奪う
▼40年前に発生した宮城県沖地震がそれを教えてくれた。激しい揺れで倒壊した門柱を含むブロック塀の下敷きになって、亡くなる人が続いたのである。「ブロック塀に注意しなきゃ」と戒め合い、耐震型の青写真を語る声をそこここで聞いたことを思い出す
▼当方はマンション暮らしだから塀改修の楽しみもないが、戸建て生活の親族や近隣を見ても関心はあっても、現実に具体化はなかなか難しいらしい。でも塀の内側を角柱で支えたほか、部屋の天井に、デザインを工夫したネットを張った家もある
▼それにしても先ごろの大阪北部地震で、小学校校庭のプールの塀が倒壊。通りがかった小学4年の女児がその下敷きになり、命を落とした事故はあまりにも痛ましい。許せないのは3年前に防災専門家が、塀の改修を急ぐよう警告していたのに教育委員会も学校も着手しなかったことだ。その罪も重い
▼これからという人生を奪われた女児もご遺族も、どれほど悔しく悲しまれたことか。一方、この地震では毎朝通学路に立ち、黙々と見守り活動を続けていた80代の男性も、民家の塀が倒れその下敷きになり亡くなっている。善意の行動を貫いた人だけに悲しすぎる
▼未来を奪われた女児と併せ哀悼の祈りをささげたい。

 2018年  6月  24日  ― 楢山佐渡150年遠忌 ―
 「花は咲く柳はもゆる春の夜にうつらぬものは武士(もののふ)の道」は、戊辰戦争の末に盛岡藩の責任を負って切腹した首席家老楢山佐渡の辞世の一首。明治維新から今年で150年。盛岡藩降伏後、佐渡は戦犯≠ニして東京に移送、幽閉されていた。斬首の沙汰が下るも盛岡に戻ることができ、切腹の形も認められ、降伏から9カ月後の明治2年6月23日、報恩寺で39歳の生涯を閉じた
▼それから丸149年のきのうの命日は聖寿寺で佐渡の「百五十年遠忌(おんき)」が旧藩関係者らの列席で営まれた。寺境内には盛岡藩士卒戊辰戦死之碑も建立しており、慰霊祭も行われた
▼命を差し出す覚悟があったとはいえ、佐渡は帰郷にどれほど恩義を感じただろう。世は徳川時代から明治新政府統治の時代へ激変しても花は咲き、柳の緑まぶしい春の風景は1年前までと変わらないのに、武士の道は目に映らなくなってしまったと悲嘆した。世の無常を痛感したとも推し量る
▼武士のけじめとしての切腹による自身の最期は、武士の世の終わりという思いが佐渡に去来したのかもしれない。歴史において勝てば官軍の通り、勝者側の記録が正史とされがち。賊軍の汚名を着せられた奥羽越列藩同盟側から描いた著作も少なくないが、佐渡の記録や伝承も埋もれさせてはならない。

 2018年  6月  23日  ― 参考人にヤジ飛ばす衆院議員 ―
 たばこについて当方は、若い頃から受け付けない体質で、今に至るまで喫煙の経験がない
▼だから意見も謹んできたが1度だけ、親友に「やめるか、減らすかしてはいかが」と警告したことがある。彼は3歳上だったが「忠告ありがとう」と言ってくれたものの、「でもやめられない。中毒なのさ」と頭をかく
▼東京生まれで仙台に住んでいた彼は、年に3〜4回は盛岡に遊びに来た。毎回事前に電話がありマイカーで出迎えた。30代で知り合った時にたばこはヘビー級と気付いたが、彼は来盛のたびに車中だけでも幾箱も空にする。年ごとに表情から艶が消えていくことも知った
▼定年退職で東京へ戻りやがて入院となる。彼は医療を受け闘ったが積年の煙害に勝てず大幅に寿命を縮め旅立ってしまう。過剰な喫煙は当人の命を奪うだけでなく、吐き出された煙を吸う病弱者は症状を悪化させ、健常者にも悪影響が及ぶ
▼この受動喫煙をどう防ぐか。国会でも議論が続く。15日の衆院厚労委員会ではステージ4の肺がん患者・長谷川一男氏が参考人として出席。屋外でも極力吸ってほしくないと肺がん患者の心情を語った。同氏の話は続くのだがここで一人の自民党衆院議員が「いい加減にしろ!」とヤジを飛ばす▼国民の多くがこのヤジを同議員と自民党に返したことだろう。

 2018年  6月  22日  ― 東北文学の御三家 ―
 太宰治没後70年の連載を終え、分からなかったのは賢治との関わり。賢治37歳の没年に太宰デビューし38歳まで生き、作家としては入れ替わりの人生だった。
▼賢治は太宰こと津島修治を知らなかったはず。太宰は石上玄一郎や三田循司ら岩手県人との交わりから、賢治の存在や作品は聞いていたと思うが、裏付けがない。犬猿の仲の中原中也が賢治を信奉していたので、それだけで食わず嫌いになったのかも。
▼しかし太宰と賢治は実家と父への畏怖や特権階級の原罪意識など、実に似ている。啄木との相似とはまた別の面で。だから啄木・賢治・太宰の御三家を北東北でもっと結びつける工夫があっていい。
▼少し古い数字だが太宰の新潮文庫の販売累計は「斜陽」「人間失格」「走れメロス」「津軽」の4代表作だけで1150万冊に達するという。角川など他社の文庫もある。賢治の本も同じくらい売れているはず。さらに啄木を足せば、2千万から3千万人が義務的でも一度は3人の文学に接していることになろう。
▼ここから大きな観光需要を掘り起こせる。3人あやかりの旅行商品や、せんべいや酒など土産品を詰め合わせたり、ゆるキャラ化してトリオでPRしたり。「働けど、雨にも負けず、すみません」とかなんとか、うまく観光キャンペーンを仕掛けては。

 2018年  6月  21日  ― 森繁の昭和地震被災体験 ―
 先の日曜日は故森繁久彌が、昭和南海地震に出会う体験も織り込んだ「森繁自伝」(中公文庫)を読んだ
▼森繁はアナウンサーをしていた満州で敗戦を迎え、旧ソ連軍に連行された後の1946年11月に帰国する。昭和南海地震は紀伊半島を震源に翌12月の21日午前4時すぎに発生。震度6で最大6bの津波も襲来している。旅先の四国にいた森繁は旅館で寝ていて、この地震に起こされた
▼そのことも「自伝」に書いている。「午前三時―。暗黒の闇がドシンと大きくゆれたと同時に、寝ている私の頭に異様な物体が落下して来て目がさめた」と。時刻が「午前三時」とあるのは予震への反応だろうか。ともかく早朝に目を覚ましはね起きて森繁は「地震だ!」と叫ぶ
▼梁(はり)が不気味な音をたててきしみ家が倒れそうだ。悲壮感に陥った彼は「真っ暗な中に私は死を待った」とまで書く。自分が居るのは1度しか昇ったことがない建て増しした3階だ。玄関までは迷路のようで「誰かあ」と人を呼ぶが反応はなく、手探りで玄関にたどり着く
▼誰かが「津波だ!山へ逃げろ!」と叫ぶ。腰が抜けた森繁を男がむんずと抱いて山へ走り助けてくれる。その上、役所が避難民証明書を発行してくれ、東京まで無料の汽車で帰って来たのだ。いつの世も被災者救援の心は熱い。

 2018年  6月  20日  ― 不安あおるSNSデマ ―
 18日朝に発生した大阪北部を震源とする最大震度6弱の地震。大阪には不案内だが、大都市圏の建物密集地は阪神・淡路大震災の例もあり、第一報に接した時はどれだけ大きな被害になるのかと考えた
▼公共交通機関が長時間まひした。止まったライフラインも回復途上で、避難所に身を寄せる市民も多数のようで数百人がけがを負い、大阪府内では5人の犠牲者が出てしまった
▼大きな地震後は、余震が続く。16年の熊本地震では最初の大地震が最終的に前震とされた。同程度の大地震が再発すると備えなければならない
▼震度の大きかった地域では、市民が不安を抱えて過ごしている。東日本大震災で如実だったのが、市民が情報を求めていること。食料にしても避難場所にしても、何より家族や知人の安否確認に情報の入手が重要だった。今ほどの普及ではなくとも、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)活用の有益性が認識された
▼大阪の地震ではJリーグのガンバ大阪の選手がインスタグラムで発信した内容に賛否両論が沸き立った。SNSでは「シマウマが脱走」といったデマが拡散。非常時に不安をあおり、関係機関に迷惑もかけている。非常時にSNSの特性が有効に発揮されるため、平時から誤情報のリスクを押さえ込む対策が必要だろう。

 2018年  6月  19日  ― 障害者19人殺害と14歳の目 ―
 もし家族の中に施設に預けた障害者がいて、誰かから「障害者は生きていても意味がないんだよ」と暴言を浴びていたと知ったら、ショックでいたたまれないであろう
▼だが現実には先の暴言を地でいく陰惨な事件が起きている。16年7月26日の未明に神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に、元同施設職員で26歳の男が侵入。障害者の人権を否定するせりふを叫び、当直の職員を結束バンドで縛るなどして拘束
▼持参した包丁やナイフで障害者を次々と襲う。結果的に障害者の死者は男性が9人(年齢は当時41歳〜67歳)、女性が10人(19歳〜70歳)の計19人となる。ほかに障害者と職員計26人が重軽傷を負っている。19人殺害は戦後最悪の殺人事件として特筆されている
▼話は飛ぶが施設「やまゆり園」の近くに住み、園の人たちと交流してきた現在中3の男子生徒(14)がいる。彼は事件のことも含め「人の価値」と題し作文につづる。あの日未明に逮捕され今は被告の男が、障害者の人権を否定したことにも触れ「それは違う」と指摘
▼「相手の価値を勝手に決めず互いに尊重しあえる社会を」と訴える。彼はこの作品を法務省などが主催する「第37回(最新公募)全国中学生人権作文コンテスト」に応募し、奨励賞となり中央大会で受賞している。

 2018年  6月  18日  ― 津島家と太宰のイフ ―
 あすは没後70年の桜桃忌。太宰治はめそめそして嫌いという人は多い。文学的にそうだとしても、実家の津島家は政界一族なので、筋の通った人たち。太宰こと津島修治が左翼や文学や情死に走らず、ちゃんと東大卒業して長生きし、家柄通り保守系の政治家を目指していたら│と勝手に想像してみる。
▼現実には長兄の文治らが国会議員、青森県知事、県議、町長を務めた。家運傾き失脚の時もあり、戦争をはさんだ激動を考えれば、運命のいたずらで弟の修治の当選も全然あり得ぬではない。明治末生まれ、鈴木善幸や北山愛郎とほぼ同世代。戦後、津島修治建設大臣や防衛庁長官が登場したり、派閥の領袖になっていたら…
▼おそらく田中角栄をしのぐ「人たらし」の政略家になっていたろう。黙ってついてこいの親分肌より、むしろ「おれが助けてやらにゃあ」と、配下にひと肌脱がせるやつ。
▼それでいながら日本の命運を大きく左右しかねない、危ないリーダーになった気がする。天の配剤があったなら津島家のうち、世のため人のためになるタイプにはしかるべきポストを、鬼っ子の修治にはバッジより文豪の才と筆名を授けたのか。
▼今年は太宰没後70年もさりながら、角栄生誕100年だそうな。やはり永田町には「斜陽」より「よっしゃ」がよく似合う。

 2018年  6月  17日  ― 「君たちはどう生きるか」 ―
 軍国主義に、覆われた1930年代に、作家の山本有三はせめて次代を生きる少年少女たちには、ヒューマニズムを体得させたいと願い、それを問い掛ける「君たちはどう生きるか」と題する小説を書こうとする
▼ただ山本自身は眼疾発症のため執筆は児童文学者の吉野源三郎に託す。先の題名による吉野著の作品は「日本少国民文庫」の最終巻として、37(昭和12)年に発刊されている。先達の願望に応えるように戦前だけでなく、戦後も今に至るまで少年少女にも大人にも読まれている
▼昨年8月には原作を漫画で再現した羽賀翔一著「漫画『君たちはどう生きるか』マガジンハウス」が刊行され、こちらも登場人物などもリアルに面白く描かれ好評で、既に発行部数は200万部を超え大ヒットしている
▼戦前から読まれ続ける物語の主人公は、旧制中学2年で15歳の本田潤一だ。銀行重役の父が早世し母の弟の叔父が諸事のサポートをしてくれる。潤一は成績優秀で自然界への観察力も鋭く、叔父からコペルニクスにあやかり「コペル君」と呼ばれるようになる
▼彼はあれこれを叔父に話す。それに対し叔父は的確に応えてくれる。友人を裏切り後悔するコペル君には「死んでしまいたいと思うほど自分を責めるのは、君が正しい生き方を強く求めているからだ」と励ます。

 2018年  6月  16日  ― 痛ましすぎる幼児虐待死 ―
 今年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した「万引き家族」は、是枝裕和監督が問いかける家族がテーマ。一緒に暮らす男女がアパートのベランダにいる女児に声を掛け、腕にやけど傷を見付けた女が強引に家へ連れて帰る。万引きではなく誘拐だが、虐待を察して一緒に暮らし面倒を見る
▼東京目黒区で3月に亡くなった5歳女児の父母が今月、保護責任者遺棄致死の疑いで逮捕。虐待の様子が次第に明らかになり、女児の反省文の内容には誰もが哀切を覚えるだろう。都内では足立区で生後2カ月女児への傷害容疑で逮捕された父親が12日に殺人容疑で再逮捕された
▼この種の虐待は、親の不平不満が弱い立場の子どもに向かうことで起きがち。幼子は自分が悪いと思い込み、親に好きになってもらいたくて耐える。逃げ場を見付けられない末に最悪の事態を招く
▼映画では警察に見つかり女児は親に戻される。女児のその後は映画では語られず虐待に戻ったと想像させる
▼都内で起きた虐待は幼児の命が奪われた。女児2人は名前に「愛」の漢字が入る。にもかかわらず親の愛情を受けられず、幼いままこの世と別れなければならなかった。近隣の人々が救えなかったと悔やむ気になるのも無理はない。外と遮断された家庭内の虐待に社会の力が及びにくいのが現状だ。

 2018年  6月  15日  ― 旬のビワに寄せて ―
 今年も千葉県房総の友から届いた旬の枇杷(ビワ)を、おいしくいただいた。とろけるような美味は後を引き3日連続で食べ、絶品なのでご近所にもお裾分けをした
▼千葉の南房総は長崎と並んで日本有数のビワの産地だ。房総でビワ栽培が始まったのは江戸時代で、すでに250年ほどの歴史を刻んでいる。その過程で江戸後期から明治・大正の頃にはこの美味が房総の地から東京湾を渡り、江戸の町民の口にも届けられている
▼一部の栽培農家がビワ販売の商人になり、房総の港から船で湾を超え江戸(東京)の街へ繰り出し、ビワを売り歩いたのだ。そんな開拓を重ねながらも一方では、温暖な気候を好むこの果樹の栽培地としては、千葉が本州北限の地であり続けてきている
▼だが昨今は品種の改良も進み寒冷地向けも相次ぎ誕生させている。例えば「クイーン長崎」と名付けられた新品種のビワは、マイナス10度にも耐えられる上に果実は大きく、甘みは強いという。ビワの栽培地は千葉をはるかに超えた地域へと北上している
▼ところで毎年、友からのビワを味わっているが、昨年は親類宅の広い庭にその種を数粒植えてみた。俳人・小澤實氏の「裏山へ枇杷の種投ぐ疾(と)く生えよ」の句に刺激されたのだ。期待はしなかったのだが3本も芽を出し成長している。

 2018年  6月  14日  ― 米朝首脳会談終える ―
 新聞業界どの社も部数減に悩んでいる。「もっと速いメディアがある」「内容に新鮮味がない」など厳しい指摘をいただく。「紙面に書いてることなんか、分かりきっている」ということなのか。
▼しかし分かり切ったことから重大な秘密を解く手法がある。スパイめいた動きや、人工衛星やハイテクなど使わなくても。日々の新聞雑誌、テレビラジオ、ネットなどに公開された文章を丹念に読み、固有名詞を拾い集めて高度な情報を割り出す。これをオープン・ソース・インテリジェンス、略して「オシント」という。
▼昨年末、盛岡市であった東北防衛局のセミナーに聞いた、防衛省の阿久津博康主任研究官の金正恩委員長に対する分析は、まさに鮮やかな手際のオシントによるものだった。その気になれば誰も読める北朝鮮の公式見解を照らして透かし、金委員長の残虐と聡明の二面性をあぶり出し、恐るべき戦略家なりと警鐘を鳴らしていた。
▼今回の米朝首脳会談の結果を見て、阿久津研究官の明察ぶりに驚いた。トランプ大統領の言葉通り、金委員長が本当に建設的な指導者に変針するなら、非核化はもちろん、日本人拉致の真相を明らかにしなければならない。
▼自国民には「おしん」のごとき窮乏を強いるのはやめる。それを早く新聞紙面から読みとれるように。

 2018年  6月  13日  ― 国民の受難に寄り添う両陛下 ―
 来春に退位される天皇、皇后両陛下は震災などによる国民の受難には、ごく自然に現地に足を運ばれる
▼その振る舞いに「象徴天皇」の在りようが示唆されている。7年前の3・11発災直後には、被災者らの首都圏避難所になった東京武道館や埼玉の高校にも駆け付け、避難者を見舞い励まされている。千葉県旭市や茨城県北茨城市などの被災地も慰問されたほか、月末には宮城にも入られた
▼自衛隊松島基地で県知事らから被災状況を聞き、被害甚大な南三陸町にヘリで移動。現況を把握し惨状を心から見舞う。帰路の機窓からも各市町村の被災現況を再確認。航空機で宮城を離れ東京へ戻られた
▼5月6日の釜石・宮古を見舞う両陛下の旅も航空機による日帰りだった。13年7月4日には遠野を訪問。両陛下は被災者支援の活動家たちと懇談し激励。翌日は陸前高田と大船渡を見舞ったが両陛下は高田では、遠野と同じく被災者支援メンバーを激励されている
▼16年9月末には大槌、山田の役場も訪問。復興状況を聞き大槌のホテルで2泊されている。この後、両陛下は花巻泊を経て10月1日には北上開催の「第71回国民体育大会総合開会式」にご臨席。翌日には盛岡市アイスアリーナで体操競技をご覧になっている
▼両陛下のますますのご健勝を、心から祈念申し上げたい。

 2018年  6月  12日  ― 岩手・宮城内陸地震から10年 ―
 9日は国無形民俗文化財のチャグチャグ馬コが滝沢市の鬼越蒼前神社から盛岡市の盛岡八幡宮までを練り歩いた
▼長らく定着していた6月15日から第2土曜日に変わって久しいが、忘れられない日がある。2008年の祭り当日14日の朝、盛岡駅前の清掃ボランティアを取材していた。撮影ポジションを確保しようと駆け回っていたが、参加者の様子がおかしい。携帯電話を開いて何か確認しているよう。立ち止まって初めて地震の揺れに気が付いた。午前8時43分、マグニチュード7・2、最大震度6強の大地震。馬コの取材に滝沢に行っていた記者は馬コの驚く様子を目の当たりにした
▼馬コは中止されず行われたが、震源だった岩手県南と宮城県北には大きな被害が出た。地滑りや落橋など山間部の崩壊は地震の恐ろしさを如実に示し、17人が死亡、6人が行方不明となった
▼14日であれから10年となる。この間、東日本大震災津波に見舞われる。世界中に伝えられた未曽有の災害に影は薄くなったが、被害の大きかった県人としては忘れることのない自然災害だ
▼炭太祇(たんたいぎ)が江戸時代に詠んだ「橋落て人岸にあり夏の月」は、流失も珍しくない木橋が落ち集まった野次馬が、月の美しさに関心が向くさまか。災害犠牲者の遺族は星になった家族を思慕する。

 2018年  6月  10日  ― ある老人会の会長選出 ―
 地元町内の老人会は、高齢な現会長が強く辞意を表明。7日夜に後任選出の会が開催された
▼他地域は知らないが当地周辺の老人会役員などは、胸にバッジを付け名誉も報酬もやりがいもある政治家と違い、ひたすら会員に尽くす奉仕者といってもいい。だから会長職などにはなかなかなり手がいない。今回も事前に役員が数人に打診したらしいが、皆が「ごめんなさい」だったという
▼先夜の選出本番でも、あらかじめ設置された選出委員会の委員長が進行役を務めたが終始苦労していた。まず「私が」と自ら名乗る自薦を呼び掛けたが反応はゼロ。次いで「あの人を」という他薦に期待したが、これには「委員長のあなたがやれば」という声が出ただけで座は白ける
▼その空気を破ったのは現会長の次の言葉だった。「私の任期中に総会など集会のたびに毎回欠かさず、意見や感想を発表し《この人は真剣に会のことを考えてくれている》と私も感じ皆さんも感じたであろうKさんにお願いしたい」と。直後に「おお!それがいい」と賛同の声が会場に広がる
▼委員長がK氏の前に行き頭を下げる。一瞬ためらいも見せたがK氏は「皆さんの声には逆らえません」と受諾。裁決でも全員が立って賛意の声を挙げ劇的に新会長が決まった。小さな会に起きた大きなドラマである。

 2018年  6月  9日  ― 忘れるべからず石上玄一郎 ―
 盛岡出身の作家の石上玄一郎は太宰治のライバルだと知ってはいたが、中学生には難くてとても読めなかった。
▼その頃まずは太宰と仲悪かった志賀直哉と川端康成が嫌いで嫌いで。近所にあった「みみずく書房」の文庫本の棚を前に、「何が『伊豆の踊子』だ、『小僧の神様』とは笑わせる」なんてブツブツ。そんな本に手を伸ばす人がいたら、「読まない方いいですよ」と声掛けようと決めていた。
▼しかし当時の本屋は、「犬神家の一族」「野生の証明」「蘇る金狼」とか角川のCMがらみで大忙し。古い文豪はもう売れ筋でなく、変な営業妨害せずに済んだ。そのうち石上のことも忘れてしまった。
▼太宰没後70年の連載のため、初めて石上をきちんと読んでみた。鋭すぎる鬼才で、背筋も凍るほどに底知れぬ。おそらく太宰より大作家だが、タレント性は皆無だから人気と知名度が足りない。ともあれ太宰に勝るとも劣らぬ文学なのは間違いない。戦後は神戸に住み、阪神大震災も体験して2009年、99歳まで生きた。
▼残念なのは、こんなすごい作家を岩手や盛岡が忘れかけていること。本は入手しにくいし、公立図書館の蔵書も不ぞろいだった。没後しばらくたつのに、メモリアルはどこにも飾ってない。偉大な先人の遺志が見えるような企画展がそろそろ必要だ。
  

 2018年  6月  8日  ― 親の虐待で逝く女児 ―
 全国各地で幼児虐待事件が相次ぐ。2年前の7月に沖縄で、3歳女児が継父から虐待を受け死亡した事件も忘れられない
▼幼児だから泣くのは自然なのだがこの父親はしばしば「泣きやめ!」と怒鳴りつけた。顔を殴り机の角に頭をたたきつけることもある。その虐待で女児の命は絶たれてしまったのである。母親が狂暴な父の陰で無力だったのも悲しい
▼今年3月に東京・目黒で発覚したのは、母の連れ子の5歳女児が継父と実母から激しい虐待を受け亡くなったむごい事件である。食事も十分に与えられず衰弱して嘔吐(おうと)しても、両親は病院の受診もさせず女児は今年3月に衰弱死してしまう
▼亡くなった時の女児の体重は同年代の平均である20`を大きく下回る12・2`だったという。生前は両親から平仮名の練習を強いられ、毎朝4時ごろに起きて練習をしていた。それでも両親は進み具合にいらだち娘を責め立てたという
▼後日、女児の部屋からは「もっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして」と書いたノートが見付かっている。父親は女児が亡くなる前に彼女を殴りけがをさせた傷害容疑で逮捕されている
▼さらに一昨日には保護責任者遺棄致死容疑で再逮捕され、母親も同容疑で逮捕となった。信じ難い家庭内事件が実に悲しい。

 2018年  6月  7日  ― 軽トラ市の寅さん ―
 今年も軽トラ市が始まった。全国100カ所以上で催されており、発祥の地の雫石町では2005年から14年目を迎えた。
▼当時の町長だった中屋敷十さんが「雫石にいくらでもあるものは」と考え、「軽トラックならなんぼでも」とひらめき、町民とともに思いついた。大型店が増加し、盛岡地域でも商店街の衰退が叫ばれた頃。全国どこの市町村も考えあぐねていた。
▼消費者の足が大型店に向くのは価格や駐車場の広さなど資本的な優位によるばかりでない。どこの支店も同じ間口の全国チェーンは、日常の買い物で消費者に品定めのストレスを与えない。コンビニもしかり。対抗しようと商店街が思いつきで独りよがりな催事をやると、「どこで何を買うの」と顧客を戸惑わせることがある。
▼その点、軽トラはスズキもダイハツもホンダも車両の仕様は似ていて、商店街にズラリ並べば壮観。農産物から工芸品までよりどり、荷台越しに生産者の顔を見て買える。共通のスタイルに各地の商店街が飛びついた。
▼もう一つ全国に広まった秘密はおそらく、行商の楽しみが「男はつらいよ」を連想させたこと。軽トラの運転席の正面に回ると大きな窓とヘッドライトが、渥美清の広いおでこの四角顔に見えたりして。そういやトランク片手に姓は車、名は寅次郎だっけ。

 2018年  6月  6日  ― 「6月の花嫁」は今 ―
 これまでに若い男女のご縁を結ぶ仲人役を、幾組も務めてきた。それぞれお見合いから挙式までの推移だけでも、忘れられない思い出がある
▼6月になるとありありと浮かぶカップルもいる。結婚から17年を超えたK夫妻もそんな一組で、婚約後の両家親族による会食の会話までがよみがえってくる。話題が挙式・披露宴の日程になったときに新婦が語り出す場面も懐かしい
▼彼女は「私、お願いがあるんです。彼にも相談していますが挙式は6月にしたいんです」とはきはきした声で切り出す。一同が耳を傾けるとさらに続ける。「ご存知かと思いますが西洋では《6月の花嫁は生涯幸せになる》という言い伝えがあり、日本でも《ジューンブライド(6月の花嫁)》として普及しています」と
▼新郎も「彼女はただ言葉にすがるのではなく幸せを約束された《6月の花嫁》らしく自分の努力と工夫で、幸せな人生を切り開いていくと決心しているので僕も賛成します」と笑顔であいさつ。親族からも「よし、6月賛成!安心してね!」と激励が飛ぶ
▼あの日から歩み出した2人も今は、1男1女の中高生を持つ中年になっている。夫妻は「6月の〜」の誓いを忘れず、健康とお金で苦しまないレベルの幸せを目指しているという。電話の声はいつも張りがあって安心させられる。

 2018年  6月  5日  ― 人口減少社会で地域の祭り ―
 東北絆まつりが2、3日、盛岡市で繰り広げられた。夏の青空が広がり、熱気に包まれた
▼東日本大震災の特に太平洋側を中心に未曽有の被害を受けた東北地方。東北6県と県庁所在地が手を結び、発災年から始まったのが東北六魂祭。6都一巡から引き継がれたのが絆まつり。六魂祭のスピリットを継承しつつも、楽しみに遠方から訪れる人が増えているのも歳月のゆえだろうか
▼盛岡では5月27日のYOSAKOIさんさから絆まつりを経て9日は伝統のチャグチャグ馬コ、17日は平成とともに始まった大盛岡神輿祭の平成最後のパレードと、大きな行事が毎週続く
▼ところでバブル崩壊後、企業協賛が減り地域の祭りに主催者が苦労した。景気は足取り鈍くもようやく上向きとなったが、近年は地域の人口減少という別な課題に直面している。都市部の大きなお祭りなら一定数の参加や規模拡大も見込めるだろうが、狭い地域、小規模集落の祭りを維持する難しさとの二極化が進行している
▼地域住民以外の祭り好きの参加が容易な性格のものなら手立てはあるが、特に子どもたち抜きでは成り立たぬ伝統行事は各地にあり、一番の危機ではなかろうか。人がいてこその文化。再興は経済以上に難しそうで、地方創生と盛んに唱えられる今、置き去りにしてほしくない。

 2018年  6月  4日  ― 小説「終わった人」 ―
 内館牧子著で15年9月刊行、盛岡も舞台の小説「終わった人」(講談社)は今も読まれている
▼ここでは前半を紹介するが、主人公は東大卒で大手銀行勤務の男性だ。順調に出世を重ねて《このまま退職まで行内中枢で頑張る》と張り切っていたが、49歳の時に予想外の辞令を受ける。子会社への出向を命ぜられたのである。彼は気持ちを切り替えて《1、2年で戻るぞ》と決意する
▼業績も上げ続けたが2年後には、予想もしない「転籍」を告げられる。それは親会社を退職して、子会社の社員になるという処遇だった。もはや戻る可能性はゼロで、このまま雑居ビルにある子会社で人生を終わることになると気付く
▼「ああ、俺は『終わった人』なのだ」ともつぶやき、心が冷えていくことを感じる。転籍から12年が経過し彼は子会社専務として63歳の定年退職の日を迎える。クラッカーと花束と記念品の祝福を受け、最後の日だけの黒塗りのハイヤーに乗り、全社員に見送られ社を去ったのである
▼再読し今回も心に響いたのはタイトルにも使われた「ああ俺は『終わった人』なのだ」というせりふである。ここでは親会社での役目を「終わった人」という意味で用いている。それにしてもこの言葉は《人生の大きな役目を既に終えた人》という意味も含むのだから味わい深い。

 2018年  6月  3日  ― 西野ジャパンの代表選手 ―
 4年に1度のサッカーW杯は14日、ロシアで開幕する。日本の初戦は19日に南米の強豪コロンビアとの一戦。前回大会で完敗したリベンジをというのが組み合わせが決まった時からサポーターを含めた共通の思いだろう
▼しかし、先月31日の代表選手発表前日に行われた事実上の壮行試合、雨中に集まった観衆からブーイングが上がった。ガーナ相手の一戦は、開幕が迫った間際での監督交代からの初陣。不安を覚えながら見たサポータの目にはふがいなく映ったという表れだろう
▼そもそもロシア大会に向けては最初からつまずいた。メキシコ人監督が就任するも過去のスペインリーグでの八百長疑惑が浮上し解除。各国が代表監督を固めた中で契約にこぎ着けたハリルホジッチ氏は、本大会出場を決めるも、その後の戦いでは期待に応えられないでいた。交代話はくすぶっていたが、解任は4月になってから。本大会の戦いぶりでは、どうせ代えるなら腹をくくるのが遅かったと結果的に回顧されるかもしれない
▼西野監督が選んだ23人は以前の監督までに代表経験のある選手。時間的余裕がない中で選手個々の経験値に頼るのは致し方がない。問題は戦術と戦略があってそれを選手が体現できるか。W杯前の強化試合、チーム力を上げ期待感を高め本大会を迎えたい。

 2018年  6月  2日  ― 車生活卒業の後に ―
 高齢ドライバーによる重大事故が報道されると、最近はそのしわ寄せがわが身にくることが多い
▼日本老年学会は高齢者を「75歳から」と定めているが、当方もそこを超えているから自然の成り行きなのだろう。90歳の女性が死者を出す事故を起こし逮捕された時も、近くに住む身内から「免許返納まだだよね。急がないと大事故を起こしたら、あの女性のようにテレビで騒がれるよ」と責められた
▼そんな脅迫めいた忠告を受けなくとも、免許証返納時期は自分の中ではこまめに視力、体力の検査もしスケジュール化している。体調が現状のまま推移すれば4年後に車の運転を卒業すると決めている。今は経験者の先輩から車のない生活の仕方を教えてもらいながら移行の準備中だ
▼一番の課題は食料品などの買い物だが先輩の話によると、車卒業の時流のせいか店による商品の配達サービスが増えているらしい。一方、車がないからドライブ旅行はできないが、昔に返って列車旅行で風景を楽しむことを勧めたいともいう
▼そんな幾つかの助言をしていた先輩は、結論だがと前置きをして言う。高齢者にとって今大事なことは、長期に及ぶ車使用で弱り切った足を強くするためまず歩行訓練をすることだ、と。確かにその通りと痛感し今は極力歩くことに徹し足を鍛えている。
  

 2018年  6月  1日  ― 衣替えとクールビズ ―
 「夏服の風より軽き身のこなし」(稲畑汀子)。きょうから6月。中高生は制服の衣替え。街に白が一層目立つようになる。他の人に暑苦しい印象を与えないことはもちろん、自らの思考や行動に負荷を掛けぬにも我慢は好ましくない
▼衣替えは6月1日と10月1日というのが風習で、この辺りの中高生は一斉に夏服に替わる。ところが近年は、クールビズや省エネから、6月1日以前に夏向けの軽装に切り替える職場が拡大している。音頭取りは官公庁。桜と雪の回廊で観光誘致を図る八幡平では、毎週水曜に沖縄の夏の正装「かりゆしウエア」を職員が5月中旬から着用するかりゆしデーを導入している。県は今年、5月からクールビズだ
▼たしかに大型連休のころに汗ばむ日のあるのも事実。それでも気温の上下が大きく全面的な切り替えは難しい。かつては気温ではなく、中高生と一緒に衣替えして時節の変わり目の儀式としていた1人。だが、ノーネクタイへの違和感ももはや過去のものとなり、ここ数年はフライングしてクールビズを始めている
▼地球温暖化と言われることが多いが、実際は気候変動という環境問題。温室効果ガスは気温の上昇だけでなくオゾン層の破壊など地球環境に影響を及ぼす。6月は環境月間。エネルギーとの付き合い方を見詰め直したい。

2018年5月の天窓へ