2019年1月の天窓


 2019年  1月  31日  ― 「嵐」が活動休止を発表 ―
 「嵐」活動休止の電撃発表は日曜日の27日、日本中を駆けめぐった。国民的アイドルグループの大きな存在感を図らずも示す機会になった。来年12月31日をもってグループ活動に区切りを付けるという。グループの決断はファンだけでなく、驚きとともに惜しむ声が多かったのも当然だろう
▼不祥事で解散や引退、自粛というのは、芸能人がプライベートをさらけ出されたり、自らSNSなどで発信する時代の宿命ともいえる。だが、嵐は醜聞と無縁の活動休止発表。5人がそろって会見し、公表から休止まで期間的猶予を十分設ける対応を取った
▼日本や韓国のアイドルはグループ全盛時代が続いている。アイドルやスターは1人が大半、せいぜい2〜3人だった時代とは隔世の感がある。10人を超えるような類型には、グループとメンバーの名前を覚えるのも難題だ
▼実は大昔から多人数のアイドルグループがいた。あやかりたいと多くに信望され、化身をわが家にも置いた宝船に乗る七福神。他の神仏とはイメージが違う。アイドルとの距離を縮めたくてライブに行きグッズを手元に置く。ファンであることを通じて喜びや楽しみ、勇気や元気をもらい日々の活力となる。七福神に託す心理に似ている部分と思うのだが…
▼節分が近い。福を呼び、春を迎えに走り出せ。

 2019年  1月  30日  ― 宇宙への長城ILC ―
 先日、万里の長城が宇宙から見えるはずないと書いたら、中国に行った友人に「せっかく見えると信じて感動したのに、物見遊山の夢をぶちこわすな」と文句を言われてしまった。現地のガイドも「宇宙から見える世界唯一の建物」と言ってたと。
▼同様の受け止めをした方がいたらごめんなさい。しかしよく考えてほしい。万里の長城は確かに全長約6千`もあるけど、厚みはたかだか十数bの話。例えば盛岡駅西口の地べたに6bの灰色の糸を張り、マリオスの20階に昇ってそれ見えますか。大きな望遠鏡でも無理だろうし、宇宙から見た万里の長城も同じです。
▼まあ自分も宇宙に行ったことはないので断言できかねるが、森羅万象スケール大きいなぞは尽きない。それを解くのが国際リニアコライダー(ILC)。
▼国際研究者組織はわが国に求めていた国際協議開始の意向表明の期限を3月7日に延期。県ILC推進協議会の谷村邦久会長は日本商工会議所で意義を訴え、先端加速器科学技術推進協議会は都内のフォーラムで誘致に気勢を上げた。
▼日本学術会議は国内誘致不支持の見解を打ち出したが、ILCは産業振興や外交、文化にも及ぶプロジェクト。政府の国策的な判断を待つ。宇宙の果てまで探る億万光年の科学の長城なら、無用の長物のわけがない。

 2019年  1月  29日  ― 大坂選手が全豪初優勝 ―
 全豪オープンテニス女子シングルスで大坂なおみ選手が初優勝、アジア人初の世界ランキング1位となった。大坂選手は昨年の全米で初優勝し、一躍ヒロインに。弱冠21歳で四大大会の二つで女王になった。4大会のグランドスラム制覇への期待が高まるが、応援する側は少し冷静になって彼女の重圧を少しでも和らげたいとも思う
▼全豪の2セットを取れば勝利の決勝。第1セットの彼女はクビドバ選手を寄せ付けず、あっさり先取。第2セットもあと1ポイントで優勝と迫りながら逆転を許し、セットカウントをタイに持ち込まれる。クビドバ選手の諦めない粘りと底力が形勢を逆転させたが、大坂選手の勝利目前の緊張感も大きかったのだろう
▼対戦スポーツには試合の中で流れ≠ニいうものがある。ささいな局面によって流れが変わる。第2セットを終わった時点で流れはクビトバ選手に傾いたと素人目には感じた。だが3セット目に入る前、大坂選手は誰の力も借りず乱れた精神状態を立て直し流れを引き戻した。試合中、思うようにいかぬいらだちを隠さない彼女の癖が決勝でも見られたが、第3セットは感情を制御できていた
▼勝利の瞬間、かがみ込んだ勝者を観衆の万雷の拍手が包んだ。アウェーの全米優勝時と違った彼女の涙。全豪と同じ涙を全米で見たい。

 2019年  1月  28日  ― 小沢さんの西郷流 ―
 小沢一郎さんは昔、明治維新の話を好んだ。「あれだって黒船が来てから15年もかかった」とか言い、自分でこしらえた2大政党制のもと執念深く政権を狙った。
▼四分五裂と合従連衡(がっしょうれんこう)の末、前の小さな自由党に甘んじていた小沢さんが、最大野党の民主党と合併したのは2003年。持論通り確かに平成時代15年目に倒幕派を糾合し、さながら鳥羽伏見の2009年総選挙で民主党の政権交代をなしとげた。しかし首班指名されることはなかった。
▼陸山会の話とか与党になってもごたつく民主党を離れた小沢さん。自民打倒の立役者が、なんだかんだ言われて追われ、まるきり西郷どんみたい。小沢さんも大の愛犬家だが。
▼6年前に民主党を割った小沢さんが、久しぶりに求心力で政局に動いている。今の自由党は前よりもっと小さいので、かつてのインパクトは無いが、国民民主党と合流すれば参院で野党第一会派。立憲民主党も巻き込んで対抗勢力の復縁につなげ、2大政党制を再起動できるのか。
▼もう世代的に自分が総理狙いの政権交代はしんどいだろうから、指南役に徹して。小沢父子2代で耕した政治文化を若い人材に虚心に伝えてください。草莽(そうもう)の師として野に下った西郷流で再合流を。ただし、まだ最期じゃないですよ。

 2019年  1月  27日  ― 沢村澄子さんの「銀河鉄道の夜」 ―
 まるで夜空−書家沢村澄子さんの企画展「銀河鉄道の夜」の会場に入った第一印象だった
▼作家のこれまで見てきた個展の中では本展のもりおか啄木・青春館の一室が最も大きな会場。天井も高い。つないで巨大な短冊にした新聞紙に筆文字が走る。それが見上げる天井から壁へと列を成し並べられる。新聞紙のインクに負けぬ墨の縦書き文字をたどると宮沢賢治のかの作品。文章を追うのをやめると満天というべき夜空に見えてきた。己の体を星座早見表にして遊ぶ
▼会場の作家の文章を読み合点した。新聞紙に書いている時にスタッフから「景色に見える」、搬入業者には「天地左右どっちから見ていいかわからない」と言われ、褒め言葉と喜んだ。「人々の間に流れる複雑な愛と宇宙の真の理(ことわり)。これを大事に書いてゆきたい」
▼仮に書のためのまっさらな紙に書かれていたら、インスタレーション(空間芸術)と言われても書に占有された意識で見ただろう。夜空は見えなかったはず
▼会場には方々から供出された牛乳パック552枚の裁断をそろえず、苦労して建てた立体の「注文の多い料理店」の山猫軒がある。切りそろえたらパックを最初に切り開いた人の個性が消えるからとの理由。不ぞろいの要素が共存している。地上の世も本来は同じはずじゃないか。

 2019年  1月  26日  ― 法隆寺火災から70年 ―
 三島由紀夫「金閣寺」、水上勉「金閣炎上」など優れた小説やノンフィクションの題材となった金閣寺の火災。1950年に起きた文化財史に残る火災は寺の徒弟の放火という大事件だった。放火犯が三島の創作にあぶり出され、水上が小説(フィクション)を是正し真相に迫ろうとした
▼その前年1月26日、7世紀創建の法隆寺の金堂から出火し、国宝の壁画が焼け落ちた。現存する世界最古の木造建築とされる寺の火災だが、金閣寺火災のような名作にはなっていない。だが、相次ぐ文化財の焼失を教訓に55年制定された文化財防火デーは1月26日と定められた。戦後間もないころで美術品なども当座の生活でかなり手放されたり流出されたりしたと想像されるが、貴重な文化財を守る意識を高めようという意図があった
▼金閣寺の放火に対し、法隆寺は漏電が火災原因。人が火を使っている最中や直後ではなく、人の目に入らないうちに火が大きくなるケースだ。出火原因が漏電というニュースを時々目にする。あるいは北海道札幌市で起きたスプレー缶の穴開け中の爆発事故も引火への意識が欠如したといえよう。文化財に限らず、尊い命が奪われる事態を招かないためにも、火を使わない場合での可能性を考慮し、日頃からほこりをためない清掃などを心掛けたい。
  

 2019年  1月  25日  ― 恵方巻の御利益とは ―
 節分を過ぎると、コンビニやスーパーで恵方巻が大量に売れ残り廃棄されているため、農水省は流通団体に需給に見合った販売をするよう求めた。
▼恵方巻の起源は諸説あるが、島根県の松江城を築いた戦国武将の堀尾吉晴(1543―1611)が、必勝祈願に食べてからと言われる。本紙に昨年連載の「九戸墨攻」にも登場したように、豊臣方に加わり九戸の乱に参陣した。盛岡や沼宮内あたりを馬上豊かにのし歩いたのか。
▼堀尾も後世に恵方巻が流行して、善男善女が吉方を向き、黙々と食べて願を掛けるとは思わなかったろう。しかしその揚げ句、食べ物が粗末にされていると知ったらさぞ嘆く。恵方巻のように験を担ぐ商品は明朗なイメージが大事。
▼昨年は徳島市の阿波踊りが主催者側の内紛で運営がうまくいかず、ちょっと陰険な話題が水を差したのか、観光客が大幅に減少したという。恵方巻もせっかくご利益を拝みながら食べるのだから、売り上げのためにも最後までおめでたく。
▼世界にはまだ飢えている人々が大勢いる。こんなことが外国で話題になると、「食べ物が余っているならクジラなんか獲るな」とか、思わぬ方角に飛び火しかねない。「踊る恵方に見る恵方、同じ恵方なら食わなきゃ損々」とかこの際、阿波踊りともども名誉挽回に努めたら。

 2019年  1月  24日  ― 北方領土に南部の血涙 ―
 安倍・プーチンの日ロ会談で北方領土問題が話し合われた。歯舞・色丹返還の現実路線か、あくまで国後・択捉と4島返還の原則論かは重大な岐路。
▼北方領土は古くから盛岡藩と縁が深い。幕府に警備を命じられ、重い負担を強いられつつ大勢の藩士が赴いた。森荘已池「私残記 大村治五平によるエトロフ島事件」を読むと、まさに父祖の血涙が染みた島。ソ連に攻め取られるまで住んだ県人も多い。
▼付き合いは古いが、いまだ分かりにくい隣国だ。恐るべきツァーリズムの支配下に世界最高峰の文学が開花し、底抜けに善良なロシア人が、過酷なソビエト体制のもと侵略戦争する。イメージは矛盾し、広漠として焦点を結びにくい。
▼1807(文化4)年の択捉島事件は日露初の紛争で、藩士の大村治五平が捕虜に。話を読むとロシアはその頃から貪欲に日本の北辺を脅かした。近年のクリミヤ情勢なども、大きな図体でもう少し周りに優しくできんのかと思う。しかし岩大の麻田雅文准教授の「シベリア出兵」によると、ロシア革命後の列国の干渉に対する被害者意識も根強いらしい。
▼両首脳が1956年の日ソ共同宣言に立ち戻り2島返還を優先する考えはあろうが、領有権は政権どころか国の歴史上の選択。だから北方領土問題は、ほっぽり投げられぬ。

 2019年  1月  23日  ― TPP委員会が初会合 ―
 冬の岩手を今年も八重山高の生徒が訪れた。1993年の全国的なコメの不良から岩手県が沖縄県に依頼し石垣島で種もみを緊急増殖したことが縁で、同高と盛岡四高とが姉妹校になり相互訪問の交流が続いている
▼同年の国内作況指数は74で岩手は30。時代が江戸なら大飢饉(ききん)だったかもしれない。当時の盛岡市長が水田を回り不稔の稲に天を仰いだ姿を思い出す。平成の米騒動≠ニも呼ばれる
▼当時の政府はコメの緊急輸入に踏み切る。大口となったのがタイ産だった。他国のジャポニカ米の輸入を考えたが量を確保できず、国内で消費者の不評を買うだけでなく、タイへのしわ寄せが生じる混乱を招いた
▼戦後の昭和、平成と日本は工業製品を輸出し、農林水産物を輸入して貿易を成り立たせてきた。生産者は国内生産を脅かす輸入拡大に抵抗してきたが止めることはかなわず。平成入り後は日本企業の海外生産や新興国の生産拡大で工業製品も多くを輸入している
▼現下では自国産を輸出して輸入を抑制するのは無理だろう。賛否いまだにあるがTPP(環太平洋経済連携協定)の参加国閣僚級の初会合が日本で開かれた。参加拡大を期待し、保護主義をけん制した形。参加した日本は、個別の交渉相手国にはTPP不参加が不利と理解させる手腕が試される。

 2019年  1月  22日  ― 近頃の若い者 ―
 「近頃の若い者は」と繰り言ばかりの年寄りが嫌いだった。高校卒業の1983年ころ「新人類」と言われた僕ら。「非常識のかたまりのテレビゲームとウォークマン世代」呼ばわりされたが、みんな知命の分別ざかり。気が付けばやはり「近頃の」とぼやいている。
▼しかし最近、大いに反省した。岩大の麻田雅文准教授の「シベリア出兵」を読んで。人文社会科学部には本紙連載の三田地宣子先生や三浦勲夫先生ら優れた教授陣がおられたが、俊英の麻田准教授は38歳で中公新書から立派な本を出した。シベリア出兵を取り扱った初の新書。
▼自分も第1次大戦には興味あっていろいろ読んできたが、その延長戦のシベリア出兵については、何となく分かったつもりになっていたので、とても開眼させられた。
▼世界的ジャーナリストのイアン・ブルマ氏夫人の堀田江理氏は40代で、欧米向けに「1941決意なき開戦」を書き、毎日新聞アジア太平洋特別賞を受賞した。文中に盛岡タイムス刊「われら四年卒」から引用がある。本県ゆかりの陸軍良識派の多田駿大将の初の評伝を書いた岩井秀一郎氏もまだ32歳とはびっくり。
▼近代史研究という一学界のことだが日本も捨てたものではなく、他分野でもホープは育っているはず。「近頃の若い者は買いもの」と改めたい。

 2019年  1月  21日  ― 記憶に残る市原悦子さん ―
 アニメ「まんが日本昔ばなし」に少年期に親しんだ一人として、市原悦子さんと常田富士男さんの語り口は主題歌とともに音≠ニしてすぐに思い起こせる。吸収力が高かった頃の覚えとだけではすまされない。両人の声色などがすんなりと受け入れられる魔法のようなものだったのかも
▼小学生には、両人が俳優だとはつゆ知らず。時を経て、個性ある俳優だったことを知る。女優市原さんの最初の強烈な記憶は今村昌平監督の映画「黒い雨」。モノクロで制作され、スーパーアイドルだった田中好子さんの演技が高く評価された。広島に原爆投下後の黒い雨を浴びた田中さん(矢須子)の早親代わりの叔母役だったのが市原さんだった
▼ヒットしたドラマを見ていないため市原さんといえば「うなぎ」とともに今村映画が一番の記憶だが、今村監督と同様にカンヌ映画祭に出品を重ねる河瀬直美監督の「あん」も忘れられない。市原さんは、昨年亡くなった樹木希林さんと施設仲間の役柄。施設はハンセン病の人たちを隔離するためのもの。自由を奪われた中で心では自由を求めながら与えられた境遇で生活する悲しみが切々と伝わる名優2人の演技だった
▼12日に82歳で永遠のねんね≠ノ入った市原さん。18日の告別式で参列した約500人が名優と別れを惜しんだという。

 2019年  1月  20日  ― 元日営業と働き方改革 ―
 今年は年末年始に休む店が全国的に増えたようだ。10年以上前から元日営業が珍しくなくなり、正月も盆もなしになるようだったが。
▼元日営業が始まった頃、労働組合が企業側に再考を求めた際に、「元日休むのは日本の慣習」という主張があった。労組側が日の本の国柄をもって経営側に申し入れるとは、聞いてちょっと意表をつかれ、権利や営利以上に根本的な問題をはらんでいるのかと思った。
▼元日営業は定着したが、毎月のように3連休がある世の中になったこともあり、年末年始の格別感は薄れ、消費者が財布のひもを緩める商機の見極めも難しくなった。そんな平成も終わり、働き方改革のご時勢で労働環境は変わろうとしている。
▼盛岡市のベアレン醸造所が盛岡駅ビル内の直営店「ビア&ヴルストベアレン」の閉店を決めた。前を通るといつも顧客の姿が見え、愛された店と思うが、無休営業で従業員の勤務が長時間になっていたことから、経営判断で閉店するという。
▼その分の力を新メニューや企画につなげるなら英断。ベアレンは岩手の地ビールの代表的なブランド。こくと酔い心地を高めるためスタッフの熟慮がいるだろうし、社員のプライベートも大事。お休みは気持ちに余裕もって、ペアレントに親孝行するのも企業成長に欠かせまい。

 2019年  1月  19日  ― 盛岡の裸参り終盤に ―
 今冬の盛岡はこれまでのところ、雪少なく過ぎている。生活する側にはありがたい。少々の寒さも我慢しておつりが来る。二十四節気の一つ「大寒」をあす迎える。果たして寒さもピークとなるか
▼「大寒と敵(かたき)のごとく対(むか)ひたり」(富安風生)。盛岡地方の年越し行事、裸参りも終盤に入る。裸まつりには種々の形態があり、奥州市の黒石寺に代表される蘇民祭や一関市の大原水かけ祭りなどは動的な祭りで極寒の中に熱気がみなぎる。対して盛岡地方の裸参りは採物(とりもの)を持ち腰みの姿で徒歩の速さよりもゆっくりと歩いて参詣する。こちらの方が寒さを一身に受けるかのようで見る側も震えが来る
▼さて盛岡で裸参りが始まったのがいつかはっきりしない。江戸時代に盛岡市北山の教浄寺で行われるようになったのが最初であったようだが、明治維新後の一時、中断されたらしい。維新後の新体制で神社に重きが置かれ、盛岡八幡宮で行われるようになった。教浄寺でも復活し、櫻山神社など各地で行われるようになって、昭和の戦争で再び中断するところも出たが、今日に至る。雫石町なども含め、似通っているのは、教浄寺の形態が各地で踏襲されたためだろうか
▼雪が少なくては農用水の心配も。五穀豊穣(ほうじょう)の祈願が実るように。
  

 2019年  1月  18日  ― 平成期最後の歌会始 ―
 平成期最後の「歌会始」が「光」を歌題に開かれた
▼天皇皇后両陛下や皇族、招かれた召人(めしうど)のほか、国民の入選歌も披露された。天皇は国民との交流を詠まれている。「贈られしひまわりの種は生え揃い葉を広げゆく初夏の光に」と
▼両陛下は阪神淡路大震災被災地に4度慰問されているが、05年にはお歌にある《ひまわりの種》を皇后さまに手渡す少女が登場する。少女の姉は発災の日に犠牲になる。両陛下は05年1月に神戸での発災10年追悼式に出席され、遺族代表として少女の母親と懇談
▼被災状況を聞かれ「おつらかったですね」と優しく声を掛けられたという。時は移り今59歳になる母は今回の陛下のお歌を耳にし「14年もたつのに」と感動したという。歌会始に戻るが皇后さまは「今しばし生きなむと思ふ寂光に園の薔薇(さうび)のみな美しく」と淡々と詠まれた
▼皇太子さまの「雲間よりさしたる光に導かれわれ登りゆく金峰(きんぷ)の峰に」は即位への心境と拝したい。皇太子妃さまは「大君と母宮の愛でし御園生(ふ)の白樺冴ゆる朝の光に」と詠う。秋篠宮さまは「山腹の洞穴深く父宮が指したる先に光苔見つ」と詠み、お妃さまは「日の入らむ水平線の輝きを緑閃光(グリーンフラッシュ)と知る父島の浜に」と、素敵な情景を詠まれた。

 2019年  1月  17日  ― カードの城 ―
 先日は中国で万里の長城を見たらあまり面白くなかったと書いた。第一あんな程度の厚みの壁が宇宙から見えるわけないし、秦漢の代から宋代まで匈奴(きょうど)、遼、金、元に乗り越えられ、騎馬民族の前に無駄と分かっているのに、何でまた明代に作り直すのか。やはり満州族の清に破られて明は滅亡し、まさに無用の長物だった。
▼昔の中国だけでない。今年は第2次大戦勃発80年にあたるが、仏独国境に築いたマジノ線という長城はドイツ機甲師団の前に無力でフランスはあっけなく敗れた。今から30年前の1989年はベルリンの壁が崩れ、自由を求める民衆が東側をたちまち解体した。
▼トランプ大統領がメキシコとの国境沿いの壁を、何としても相手の費用持ちで作ると息巻いている。米国の議会と政府が混乱し、超大国がそんな原始的なやり口では、不法移民を防ぐと言っても役に立つのか。
▼メキシコはTPPでこれから日本と付き合いを深める国。もとより大の親日だ。北上市に記念館のある利根山光人はメキシコの明るい風土を巨大な壁画に描き、太平洋を越える作品を残した。
▼そんなむきになって壁を作ろうと万里の長城やマジノ線と同じく、しょせん砂上の楼閣では。なんでも英語では、「カードの城」に例えるとやら、トランプ大統領。

 2019年  1月  16日  ― 梅原さんの東北・北海道へのまなざし ―
 30年ほど前の洋酒メーカー社長による熊襲(くまそ)発言の舌禍に触れた当時、12日に死去された梅原猛さんの「日本の深層」を読まれていればと思った
▼仙台市生まれの哲学者梅原さんは日本人とは何か、日本とは何かを探究し続けた。独創的な着想が波紋を呼んだことも一度ならず。だが、初出で万人に受け入れられるような話では希代の哲学者とは呼べまい。半面、一向に同調者が現れないのでは独り善がりにすぎない。最初こそ独創でも徐々に熟成、論証され広く受け入れられていくのが本物だ。歴史に名を残す哲学者は多くがファーストペンギンであり、梅原さんも加わるのではないか
▼「日本の深層」では「東北地方、特に津軽は、昔から文化果つるところではなかった」「かつては数百年のあいだ日本最高の文化を誇った場所」と、縄文後期から晩期は東北が文化の中心と唱えた。稲作伝来から中心が西に移ったが、それ以前の日本の深層に東北で世界へ誇れる文化があったというのだ。梅原さんの同著が劣等感を持つ東北人の多くを勇気づけた
▼特別顧問となった東日本大震災復興構想会議の初会合で梅原さんは「今、文明が裁かれている」との認識を示し「利他的な文明」への転換を説いた。縄文の狩猟文明の良さに着目した梅原さんの遺した宿題かもしれない。

 2019年  1月  15日  ― ケニア人が環境を問う ―
 ポリエチレンに由来する「ポリ袋」という言葉がある。「袋」の一字から中に入っているものを善悪双方で連想できよう
▼今、世界で一番、このポリ袋を活用しているのは中国だと言われている。「ポリ袋禁止」と明確に定めて、袋は自然を破壊すると言い放つのは、ケニア人写真家ジェームズ・ワキビワ氏(35)だ
▼彼は大学でメディア論を学んでいた8年前に、地元の道路や川で使用後に捨てられたポリ袋が、散乱していた現場を見ている。当時、ケニアのポリ袋年間消費量は1億枚を超えていたという。気になって彼はごみ集積場を訪ね、ショックを受ける
▼予感の通りで廃棄された大量の袋が、風で外に飛ばされていたのである。心を引き締めて彼は、行動を起こす。まずは幾つもの環境団体に足を運び支援を要請した。さらに大学内でも賛同者を募り、集積場の移転などを求める署名を集め始めている。建物の移転は政府決済だという。
▼5千人分の署名を添えて、願書を出したのは6年前だというからお国柄なのだろう。写真家が生業の彼はこだわらずに、前を向いていくと決めているらしい。「プラスチック禁止」と書いたプラカードを通行人に掲げてもらいその姿を撮影。ツイッターにも投稿
▼反響が拡大し自国の環境相も見たようで「称賛」の言葉が届いたという。

 2019年  1月  14日  ― 雪かきまた楽しからずや ―
 外国人とよく接する人に聞いた。台湾人が冬の盛岡を訪れ、「雪かきしてみたい」と言ったそう。雪は珍しかろうが、お客さんがわざわざ骨折りとは。
▼しかし分かるような気がする。自分は「三国志」「水滸伝」やら昔から中国の歴史にロマンを抱きすぎていた。北京で初めて天安門を見たら想像より小さくて、万里の長城に行っても、これは始皇帝が作ったのではなく明代の修築で、岩手公園の石垣の古さとそんなに違わないとか、過剰な期待と予習が裏目に出て、名所旧跡はあまり面白くなかった。むしろ一般の商店で何を売っているか興味が湧いた。
▼来日外国人も同じでは。お城や神社仏閣は2、3でいい、むしろ日本の暮らしぶりを見てみたいなら、北国では雪かきも立派な観光になる。
▼民泊法や改正入管法の成立など今後、さまざまな場面で外国人と接することが増えるだろう。台湾、東南アジア、インド、アフリカなど南国の人が雪かきしてみたければ、ただで汗をかいてもらうにせよ、日本人と試しにちょっと力を合わせる良い機会。体験型ツアーでオプションに組み込んでは。
▼住民ボランティアの「スノーバスターズ」にならい、外国人観光客による「エスノ・スノーバスターズ」が公共施設前でも雪かきすれば、互いに素敵な思い出になるだろう。
  

 2019年  1月  13日  ― 新成人は20世紀生まれ ―
 あすは平成最後の成人の日。盛岡広域でも夏の挙行以外の6市町できょう、成人式が行われる。新成人の皆さん、おめでとうございます
▼平成最後に関心が向くが、新成人は1998年、99年生まれの若者。平成と昭和の差は大きくとも、まだ20世紀世代と何か共通項をと探したくなるが、映画化された浦沢直樹さんの漫画「20世紀少年」の時代は新成人には昔話で、大半の昭和生まれとの時代共有は難しい
▼98年は長野で冬季五輪が開かれた。国内で誘致を争ったのが盛岡・雫石だった。その縁で盛岡広域市町村の助役会の五輪視察に帯同した。もし五輪が盛岡だったらと想像しながら、競技だけでなく長野市や軽井沢町の街の様子などを見た。こちらであれだけの競技施設を造ったら、ポスト五輪は重荷になるだろうなと感じつつ、国際スポーツの祭典を肌で感じられる子どもたちに幸せをもたらしたに違いないとうらやましく思った
▼「新しい元号は平成」で有名な小渕恵三さんはその後、首相となり、当時の金大中・韓国大統領と共同宣言を出し、日韓のパートナーシップが深まる始まりをつくったのも98年だった。昨今の両国関係には当時を思い起こしてほしいと思う
▼外国人との交流は当たり前な新成人の世代。世界とのフレンドシップでも皆さんの力が欠かせない。

 2019年  1月  12日  ― 歴史と時代の計 ―
 岩大名誉教授の細井計さんが亡くなった。岩手の史学に大きな足跡を残して。
▼歴史の論者はときに態度が分かれる。現在と未来を論じるため史実を糧にする「温故知新派」。遺物や古文書の分析で実証する「史料をもって語らしむる派」。両者はなかなか折り合わない。前者が後者を重箱の隅をほじくる訓詁(くんこ)学徒と難じれば、後者は前者に対して歴史を借景に独善を吐いているだけと反発する。市町村史の編さんで、そんな委員の考えがぶつかると大変。
▼取材する側にすれば、どちらが正しいか迷う。双方の信念と批判も理解できる。記事の参考や裏付けに開く書物の選択は慎重になる。そこで最も頼りになる本は「図説岩手県の歴史」(河出書房新社)。細井さんを責任編者に8人の専門家が執筆した。年表や図版が詳しく、とても役立つ。編年と紀伝で時代ごとのストーリーがあり、「温故知新」と「語らしむる」のバランスを取った「細井史観」を感じる。
▼自分が不案内な近世史についても、細井さんの解説を聞けばストンとふに落ちた。本紙にトルコや東欧のすてきな紀行文を寄せてくださったことがあり、歴史家の深いまなざしを感じたものだ。
▼その細井さんが平成最後の年の1月2日に永眠した。「時代の計を立てよ」という初夢を岩手に遺して。
  

 2019年  1月  11日  ― 手書きした年賀状 ―
 投函(とうかん)した年賀状は百枚程度だったが、久しぶりに手書きで作成した
▼当初は従来と同じくパソコンとコピー機を使い、手早く仕上げたかったのだが作業中にトラブルが発生。パソコンで文案を決めるまでは順調だったのだが、印刷の段階で4色のインクを装着した際、コピー機の小窓に「黒インクが未装着です」とメッセージが表示されたのだ
▼1年前にコピー機を買いインクも随時購入している店に相談。担当者が来てくれてあれこれ操作したが「未装着」の警告文字は消えない。見た目には他の3色と同じように黒インクも装着されている。だが「未装着」の文字は消えず印刷ができない
▼担当者は本社に相談し「2日ほどコピー機を預かり本社で修繕してきたい」と言い出す。これが12月30日のやり取りだから賀状印刷は無理になる。やむなく手書きを決断。担当者には修繕は後日とし自分も立ち会うと伝えた
▼直後から賀状手書きを始めたが、住所氏名も手書きをすると一人ひとり顔が浮かぶ。懐かしさが募りペンも走る。自然にその人に語り掛けるような言葉を書きつづることができた
▼投函数日後には旧友や親族などから「賀状が届いたよ。手書きがいいねえ。情が伝わるよ」などと電話が相次ぐ。それを聞き世辞を引いても今後も手書きにと決めた。

 2019年  1月  10日  ― ボウイの最後から3年 ―
 クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」については昨年11月の本邦公開後に本欄で取り上げたが、累計興行収入が18年公開の洋画で1位になったという。リピーターも多く、映画館上映が続いている
▼映画は早世したボーカルのフレディ・マーキュリーに重きが置かれ、民族や性的少数者として彼の苦悩が画面から伝わる。エイズ感染の公表翌日に死去となったのも、91年当時の社会的理解の程度を想像させる
▼映画タイトルにグループ最大のヒット曲が使われたのは自然だが、バンドの大ヒット曲としては「アンダー・プレッシャー」も挙げられ、映画でも少し流れた。同じ英国の先輩ロック・スターであったデビッド・ボウイとの共演だった
▼ボウイは今の日本でいうイケメンで、中性的な魅力を演出した元祖ビジュアル系。ロックファン以外でも大島渚監督が男性だけの出演で作った「戦場のメリークリスマス」の将校役を思い出す日本人がいるはず。彼も3年前、最後のアルバム「★ブラックスター」が発売された2日後の1月10日に亡くなった。クイーンと同様、日本びいきで歌舞伎にも学んだ
▼晩年の彼が危惧していたのは情報ネットの進展による弊害だった。トランプ大統領が誕生する前のこと。ボヘミアンが移民や流浪の民の意味でも使われるのは偶然か。

 2019年  1月  9日  ― 苦くて優しいクラムボン ―
 盛岡市の喫茶クラムボン店主の高橋正明さんが亡くなった。69歳だった。県内の美術家に広く個展の場を与え、本紙も取材で大変お世話になった。
▼1970年代から40年以上営む。今は紺屋町の名店として観光客が訪れるが、かつては知る人ぞ知る。八幡町のジャズ喫茶「伴天連茶屋」と並び、盛岡のカウンターカルチャーのメッカで、熱い季節の残り香がした。
▼80年代になってもクラムボンに行けば、常連に議論を吹っかけられそうで困ることも。そんな世代の皆さんすら古希の声を聞き、好々爺(こうこうや)然としてお茶を飲む。高橋さんは店の奥から静かにそれを見守ってきた。
▼美術だけでなく岩手の音楽シーンも高橋さん抜きには語れない。友部正人さんはじめ「ディランズ・チルドレン」と呼ばれたフォーク歌手をライブに呼び、葬儀には野沢享司さんが参列した。気が付けば高田渡、加川良など店を訪れた有名なシンガーも鬼籍に。
▼店名は宮沢賢治の「やまなし」から。読み返せば「十二月」の章で終わり。それを見計らったかのように、高橋さんは1月1日に旅だった。弔辞にあった「苦くて優しい味」のコーヒーを遺して。カウンター越しに大勢の常連の煩悩を、温かく受け止めてくれたクラムボンのマスターに感謝し、お店の発展を祈りたい。

 2019年  1月  8日  ― 岩手医大と本町通 ―
 元旦号で岩手医大の矢巾移転に伴う地域課題を特集した。本町や内丸の危機感は強い。
▼上の橋のたもとに生まれ育った。子どもの頃、中津川を渡ると街の空気が違った。本町側の方が格式高いのだ。料亭の丸竹、いかめしい第一勧銀があり、その向こうに老舗が軒を連ね、四ツ家の教会を仰げば異国の空に見えた。
▼肴町や大通とひと味違う威風があった。昨年の本紙1万7千号特集で橋本屋本店を取材し、見慣れたそば屋さんが創業400年とは改めてびっくり。岩手医専時代から多くの師弟が通い、今も愛されている。
▼しかし本町には同様の事態が過去2回あった。赤十字病院が三本柳、県立中央病院が上田に移転した1980年代も商店街に衝撃が走った。県内3大病院が盛岡市の同じ場所にあるべきでないと言われればやむなしだったが、残った最大のとりで岩手医大移転のインパクトはひときわ大きい。
▼本町の今昔を見比べれば、やはり二つの大病院が去ってから、くしの歯をひくように店が減り、往時の活気はない。それでも名のある老舗は今も信用を大切に、手堅い商売で頑張っている。病院を核に、ちまたの哀歓を見詰めてきた本町や内丸はホスピタリティーの商店街。岩手医大のホスピタルが移転しても空洞化しないよう、官民で対応を急ぎたい。

 2019年  1月  7日  ― ポル・ポト政権崩壊40年 ―
 青森県出身の報道カメラマン沢田教一さんはベトナム戦争中のインドシナ半島で取材をし、米国のピューリッツァー賞を62年に受賞した
▼ベトナム戦争の頃は、ジャーナリストが最も自立した形で戦いの最前線に入れた時代の半面、多くのジャーナリストが命を落とした。沢田さんはベトナム隣国でも戦火上がる中、カンボジアに入国。70年10月、同僚と自動車でプノンペン郊外を移動中に襲撃され死去した。ベトナムでは南ベトナム側の取材はかなり自由で、アメリカ政府に不都合な報道を可能にした。しかし、内戦のカンボジアは取材しにくく、ジャーナリストの危険度が高かった。報道カメラマン一ノ瀬泰造さんも73年に消息を絶ち、後に処刑による死亡が確認された
▼カンボジアは75年、クメール・ルージュが政権を握り、民主カンプチアを樹立。ポル・ポト政権と呼ばれるものだ。共産主義体制に違いないが、粛清と弾圧の独裁政権。秘密主義の中、海外ジャーナリズムが真相を伝えようと入国した
▼40年前の1月7日、ポル・ポト政権が崩壊。大虐殺が明らかになる。沢田さんも撮影したアンコール遺跡群は日本の学術研究者らが中心となって保存活動が進んだ。だが、世界では貴重な遺跡が破壊され、危ぶまれる遺跡がある。沢田さんも心を痛めているだろう。

 2019年  1月  6日  ― 盛岡出身のメジャーリーガー ―
 岩手出身の大谷翔平選手が昨年、県人初のメジャーリーガーとして、二刀流で新人王を獲得した。その活躍を喜ばしく、誇らしく見ていた。今年は初の盛岡出身メジャーに否応なく期待が膨らむ。ポスティングシステムでシアトル・マリナーズへ移籍する菊池雄星投手がその人
▼見前中学生時に非凡な素質を見せ、花巻東高時代は超高校級左腕のエースとして3年生で県勢初の選抜準優勝に貢献。夏は4強となり、けがを押してマウンドに立ち試合後に号泣した姿は躍動感あふれるフォームから放たれる快速球とともに強烈な印象を残した
▼菊池投手のメジャー行きは高校の佐々木洋監督との出会いで、夢ではなく現実の目標となる。進路選択の時期が近付いた頃、メジャー行きを本人も周囲も考えていた。進路を発表する記者会見で、真正面で構えていたカメラのレンズ越しに菊池投手の目から涙がこぼれだした瞬間も忘れられない。涙で目がにじむと後は感情を抑えきれなかった。最後は本人の判断だったとはいえ、メジャー封印を無理に納得させた思いもあったのではないか
▼その後もメジャーへの信念がぶれなかったことを英会話の会見が証明する。菊池投手の影響もあった後輩大谷選手が先に渡米した。雌伏九年≠ニ少し長くなったが、満を持して雄飛する時が来た。

 2019年  1月  5日  ― 備えあれば憂いなし ―
 官公庁などはきのう仕事始め。民間ではあすまで休暇も少なくないだろうが、亥(い)年だからといってお猪口(おちょこ)を持つのもほどほどに気持ちを切り替えて休暇明けに備えなければならない
▼例年なら岩手競馬が年末年始の開催をしているところ。ご承知の通り昨年、競走馬の禁止薬物反応で開催見送りに追い込まれ、岩手競馬ファンを落胆させた。水沢所属厩舎(きゅうしゃ)の馬で続いた後の対策は、水沢偏重で盛岡の対策に疑問符が付いた。達増知事は昨年最後の記者会見でその点を突かれ、検出馬所属の水沢側に「中心の対策を講じるのは合理性がある」と正当性を唱えた。だが、盛岡所属馬で発生の結果が出た以上、弁明と受け止められても仕方がない
▼廃止につながる赤字の危機には及ばないようで、計画通りに春競馬が幕開けすることを望みたい。問題は再発するのではという疑念や心配を取り除いて再起できるかどうか。2カ月半ほどの休み期間に知事のいう原因者が自首するのが最善だが、発生予防の対策も進めなければ、レースの再開に説得力を欠く
▼禁止薬物検出馬が続出する事態となった「猪見て矢を引く」ような後手を反省し、備えあれば憂いなしを実現できるか。ネズミ一匹逃さないとは来年のえとと、のんびりしていてはいられまい。
  

 2019年  1月  4日  ― 平成最後の仕事始めに ―
 元日の本欄で「室町のOA時代」とか変なこと書いていたら、「応永年間もご存じない」とお叱りを受けてしまった。応仁の乱は聞いたことあるが、応永はあるよな無いよな…手に負えなくてすみません。
▼きょうから平成最後の仕事始めの職場も多いだろう。昭和末年の自分を振り返ると、都南村にあった前の会社で印刷工をしていた。当時は写植の活字を印画紙に焼き、コピーで微調整して拡大縮小、定規、カッター、ペーパーセメントで切り貼り。オフセット印刷機はハマダ「L│400」で、エアーの強弱、胴圧の調整、インクの粘度、モルトンの水加減など最初に身につけた仕事は今も腕と指先に覚えがある。
▼印刷物の製作は大変な手間と時間がかかった。それがOA時代の進歩によりパソコンで小一時間あれば手作業よりずっと精密、オンデマンド印刷はカラー鮮やか。
▼会社見学に中学生が来たとき、印刷の仕事を五感で覚えた通り説明すると生徒たちも理解しやすい。半面、すべて電子処理された画面上の作業はもっぱら視覚で会得するため、刷り上げる工程の説明が大変。
▼春になれば職場に新人を迎える。ITからAIへと進化する世界に、技能をどう伝えるか。来たる外国人労働者の皆さんにも、英語で「オーイェー」と分かってもらえるだろうか。

 2019年  1月  3日  ― 新春に父と啄木を思う ―
 「何となく、今年はよい事あるごとし。元日の朝、晴れて風なし」。石川啄木が詠んだこの詩句に初めて触れたのは、遠い昔の中学生の時だった
▼宮司をしていた父は地域の子どもたちに書道を教えていて、この啄木の詩句も教材にしていた。教え子の一人としてその時にも筆で書いた半紙を、自分の勉強部屋に貼っていて、5年後には「下手だなあ」と気づいてはがしたことも覚えている
▼啄木詩句の漢字や平仮名の筆づかいを教えられながら、子どもたちが気になっていたのは上手、下手ではなかったことも思い出すと愉快だ。毎年のことだったが晩秋が過ぎてお正月が近づくと、多くの子どもたちは「本当に元日の朝は晴れて風がないのか」と疑問を口に出す
▼毛筆練習中にも父に質問が飛ぶ。父は「啄木さんの詩をよく読んでごらん。元日の天気予報をしているかい。予報ではなく実際に晴れて風のない元日の朝の天気を喜んで、今年は何となくよい事があるような気がするよ、と言っているんだよね」と語りかけ、皆もうなずいていた
▼さて本年は今上天皇のご退位が決まり、皇太子さまが天皇に即位されることも明らかにされている。元号も新しくなる2019年が始動した。春の統一地方選に夏の参院選など選挙の年でもある。わたしたちも心新たにスタートしたい。

 2019年  1月  1日  ― 平成と応永の平和 ―
 平成31年あけましておめでとうございます。30年以上続いた元号は明治、昭和、平成の3代のみと思い、念のため日本史に詳しい人にうかがった。
▼すると「もう一つオーエー時代がある」。初めて聞く話で、「それはコピー、ファクス、パソコンが三種の神器のOA時代?」と尋ねれば、南北朝後の応永年間(1394―1428)なり。
▼あんまり昔で何があったのやら。最大の事件は応永の外寇。今からちょうど600年前の1419(応永26)年、1万7千人もの朝鮮兵が対馬を襲い、領主の宗氏の軍勢と攻防した。日本側が勝ったが、感心したのはこの戦、朝鮮側が侵略の姿勢を改め、日本側も倭寇の害が原因と気付き、互いに反省するところは認め、うまく矛を収めたこと。元寇の教訓があったという。現代に学びたい。
▼南部氏はまだ青森の方にいた。室町幕府は盛期で謀反を抑え、応永10年から22年まで戦乱は絶え、中世まれな平和があった。外圧と内紛と安定が入り混じった30年余は、平成時代と似ていなくもない。
▼先の三種の神器のOA時代は今の元号とともに人々の記憶へ。次はAI(人工知能)の世が到来しようとしている。テクノロジーが進歩しても、世界に貢献する日本の国柄を大切に。四方(よも)の海、永遠に愛する御代(みよ)を待つ。

2018年12月の天窓へ