2006年 3月 14日 (火) 

       

■ ギター作りにささげた命 水原洋さんをしのぶ

     
  クラシックギターを製作する水原洋さん(2004年12月、自身の工房で)  
  クラシックギターを製作する水原洋さん(2004年12月、自身の工房で)  
  盛岡市のクラシックギター製作家、水原洋さんが2年間の闘病の末、2月24日に46歳で他界した。約20年前から同市上田堤に構えた工房は、同市の小さな博物館に指定を受けた。そのギターは一流の演奏家たちに愛され、国内外に広まっていた。あまりにも早過ぎる死に、周囲からは驚きと悲しみの声が絶えない。

 水原さんは北海道教育大在学中にクラシックギターを始め、キットを買って第1号を製作。「ギターづくりになる」と、3年間で大学の4年分の単位を取得。1年間は木工技術の習得に専念した。

  卒業後は名古屋のギター職人の元に弟子入り。5年間の修行の後、盛岡に戻り自宅に工房を開設した。

  ギターだけでは生活できず、10年以上は新聞配達で生計を立てながらの苦しい時期が続いた。何点かギターがたまると、車に積んで、東京都内の楽器店への納品を開始。その楽器が一流の演奏家の目にとまり、口こみで広まって軌道に乗った。
  最近取り組んでいたのは、19世紀の古い形のギターの製作。工房には、材料が刻まれた状態で残されていたという。

  「演奏できないやつには楽器を作る資格はない」が口ぐせ。自身、製作の傍ら、一生懸命ギターの練習をしていたという。ピアニストの妻、良子さんは最近「自分の楽器のよさを引き出せるようになってきた」と感じていた。

  2月9日に入院したが、12日には外出許可を得て、雫石町の御所湖川村美術館で初めてのギターリサイタルを開催。デュオなどの経験はあるが、2時間ひとりで弾き切ったのは初めて。これが最後のステージになった。

  27日の葬式に引き続き、葬祭会場でしのぶ会を実施。県内外から訪れたたくさんの演奏家たちが、水原さんのギターはもちろん、バイオリンやリュートなどそれぞれの楽器を演奏。故人を送る音楽は、夜遅くまで途切れることなく続いたという。

  良子さんは「楽器はまだ完成形ではなく、もっと上を目指していたと思う。これから何をしなければいけないかということも本人には見えていたのでは。そこに到達する前の志半ばだったと思う。楽器はいい演奏家に巡り会って弾いてもらうことでキーも落ち着く。夫の真価が問われるのは、100年から150年後」という。

  「夫は裏表のない人だったので、交流が広かった。人間関係を築くのが苦手な自分は、夫からの紹介でたくさんの音楽仲間ができた。夫が残してくれた友達が、自分の財産になった」と思う。

  松本伸さんと田鎖賢彦さんは、それぞれ市内にバイオリンとマンドリンの工房を構える楽器職人。水原さんを加えた3人は年齢も近く、同時期に工房を開設したため、交流が深かった。葬式の受け付けも2人が買って出たという。

  松本さんは「水原さんは今年に入ってから、10年分の材料を購入していた。職人として、やり残したことがあったのかなと思う。盛岡という小さな街に楽器職人が3人もいたのは珍しいことだが、三角形の1点がなくなった感じ。これからたくさんやろうとしていたことがあったので、すごくつらい。今でも信じられない」と言う。

  田鎖さんは「音楽家のように若いころに日の目を見る世界ではない。経験を積み重ねて実を結ぶころになっていただろうに、惜しい。音楽だけでなく、絵画など芸術に関して自分なりに意見を持っていてすごいなと思っていた。いつも勉強していて、興味を持ったことはとことんやる人だった」と話していた。


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