2009年 3月 7日 (土)

       

■ 〈啄木の短歌、賢治の短歌〉135 望月善次 聴覚から誘発される涙

 【啄木の短歌】

  遠くより笛の音(ね)きこゆ
  うなだれてある故やらむ
  なみだ流るる
     〔『一握の砂』57〕

  〔現代語訳〕遠くから笛の音が聞こえます。(私が)うなだれているためでしょうか、(悲しくて)涙が流れるのです。
 
  【賢治の短歌】

  風ふけば
  草の穂なべてなみだちて
  汽車のひゞきの
  なみだぐましき。
    〔「歌稿〔B〕」178〕

  〔現代語訳〕風が吹いたので、草の穂は全て波立って、(聞こえる)汽車の響きも涙ぐましいのです。
 
  〔評釈〕聴覚による涙誘発作品を抽出した。話者の聴覚に働きかけているものは、啄木作品では、「笛の音」、賢治作品では「汽車のひゞき」である。もともと、笛の音や汽車の響きに涙を導く要因はない。話者の内部に涙を誘うものがあるので、笛の音や汽車の響きがきっかけとなっているのに過ぎないのである。啄木歌の場合は、詩歌などにおける常とう手段の一つである「たわいない疑問形」(抽出歌に即して言えば「うなだれてある故やらむ」)が示されているが、それが「なみだ流るる」の真の原因ではないことは言うまでもない。賢治作品は、「歌稿〔A〕」の「風ふけば岡の草の穂波立ちて遠き汽車の音もなみだぐましき」から抽出歌の形となったもの。「風ふけば」と「なみだぐましき」は、厳密な因果関係をなしていないことは啄木歌の事情にも通じよう。それにしても「風」による場面転換は、「注文の多い料理店」など賢治文学の特徴ともなることは周知の通りである。
(盛岡大学長)

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