2009年 3月 11日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉115 伊藤幸子 「あづさ弓」

 あづさ弓ま弓つき弓年を 経てわがせしがごとうる はしみせよ
  伊勢物語

 
  「むかし、をとこありけり」で始まる「伊勢物語」が大好き。在原業平の恋愛遍歴をつづった歌物語、といわれるがいまだ曖昧模糊(あいまいもこ)とした通説一二五段からなる作者不詳本である。

  中でも不意に、この歌がよみがえる時がある。弓弓弓、と畳みこむ声調の良さが暗記力を助ける。ただしこの歌、聞こえのよさとはうらはらに、実は悲しい男の嘆きがこめられる。

  「男、宮仕へしにとて、三年来ざりければ待ちわびたりけるに、いとねむごろにいひける人に『今宵あはむ』とちぎりたりけるに、この男来たりけり。」ああ、男が単身赴任して三年も帰らなかったので、ほかに、熱心に求婚してくる人に、今宵婚姻しようと約束したその夜に、元の夫が来てしまった…。

  このころ、夫が消息不明で三年もたてば他に嫁しても「並ニ改嫁を聴(ゆる)ス」との令もあり、まさにその三年目の悲劇である。「弓」は「月」にかかる序詞。「長い長い年を重ねて、私があなたをいつくしんだように、これからは新しい夫に親しみ、尽くしてほしい」との歌意。そんなことを言われたって、今まで待ちわびていた女心の辛さ悲しさを何としよう。

  「あづさ弓引けど引かねどむかしより心は君によりにしものを」(私の心は昔からあなただけに寄せておりましたのに)と返すが、「女、いとかなしくて、しりにたちて追ひゆけど、え追ひつかで、清水のある所にふしにけり。そこなる岩に、およびの血して『あひ思はで離(か)れぬる人をとどめかねわが身は今ぞ消えはてぬめり』と書きて、そこにいたづらになりにけり。」(いたづらに=死の意)

  −私の思いが通わなくて離れてしまった人を引き止めることができず、私の身は死んでしまうようです−と、指をかみ切ってその血で岩に書き遺し、その場で死んでしまったという話。いつの世も、宮仕えの悲しさ、単身赴任も致し方ない。「あづさ弓ま弓つき弓ケータイ」を携えて、新年度異動の嵐が吹き始めた。



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