2009年 3月 14日 (土)

       

■ 〈宮沢賢治の盛岡高農時代〉20 小川達雄 賢治の盛岡案内6

     五、啄木のバルコン

  賢治が教会の鐘の響きを、童話「貝の火」で「カン カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と表現したことには、とくに賢治の〔天才〕を感じとってよいように思う。啄木は同じ鐘の響きを、こう記している。

  「軈(ヤガ)て、十二時を報ずるステー
  ションの工場の汽笛が、シッポリ濡れた
  様な唸りをあげる。と、此市(マチ)に
  天主教を少し許(バカ)り響かせてゐる
  四家町の教会の鐘がガランガラン鳴り出
  した。」(「葬列」)

  賢治にはその鐘といっしょに動き出してくる趣があるけれども、啄木のほうは、その鐘は汽笛と並んで聞こえてくる、あくまでも外界の響きにすぎない。

  賢治は啄木とはこのようにちがうが、さてこの日、賢治は四ツ家教会の次に、啄木がうたった盛岡中学のバルコンを目指した。というのは、この翌年、寄宿舎で同室となった新入生・保阪嘉内は、四月二十二日の日記に、こう記していたからである。

  宮沢氏と盛岡中学のバルコンに立ちて天
  才者啄木を憶ひき夕日赤し

  すると、賢治は保阪の時と同様に、高橋秀松を盛岡中学のバルコンに連れて行ったのであろう。それはいわば、自分のふるさと紹介でもあったはずである。

  次に「一握の砂」から、啄木のその有名な歌をあげておこう。

   盛岡の中学校の
   バルコンの
   欄干(てすり)に最一度(もいちど)
   われを倚(よ)らしめ

  この校舎について、啄木は小説「葬列」の重要場面で、こう記していた。

  「我が記憶の世界にあつて、総(スベ)
  ての意味に於て巨人たるものは、実にこ
  の堂々たる、巍然(ギゼン)たる、秋天
  一碧の下に兀(ジツ)として聳え立つ雪
  白の大校舎である。〜自分は、えも云は
  れぬ懐かしさと尊さに胸を一杯にし乍(
  ナガ)ら此の白門に向つて歩を進めた。」

  岩城之徳氏は、「ここへ上るのは上級生の特権であって一種のほこりがあったものだ」という卒業生の談話を紹介した(『啄木歌集研究ノート』)が、わたしはなお、啄木は「懐かしさと尊さ」で胸が一杯であった、と添えておきたいと思う。

  啄木の五年後、明治四十一年卒業の小野清一郎氏は、バルコンにはガラス戸をあけて日向ぼっこに出ることができた、と語っている(『白堊校九十年史』)。文化勲章受賞者の氏は、さすがにゆっくりしたことを云うが、同じ様式のバルコンは、いまも岩手大学農業教育資料館玄関の上にある。

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