2009年 4月 15日 (水)

       

■ 〈都市の鼓動〜リレーコラム〉37 藁谷収 失われた盛岡らしい景観

     
   
     
  岩手大学キャンパス西端の国道46号から小道をぬけ、森の中に入ると、春にはマンサクの黄色の花、紫のスミレと続き1年を通して多くの花を観ることができ、カッコウやリスにも出会うことのできる岩手大学附属自然観察園はここにある。

  古くは宮沢賢治が学び、ここで、2首の短歌を詠んでおり、賢治と学生5人の写真プレートが整備されている。

  自然観察園の前身は盛岡高等農林学校時代の植物園であり、その歴史は創設時(1902年)までさかのぼる。園は農学部から学芸学部(現在の教育学部)に移転用地として提供され、初めは農学部の管理下にあったが、その後教育学部の管理下となり現在は岩手大学まるごとミュージアムとして位置付いている。

     
   
     
  植物園時代からの樹木・灌木がそのまま残されていたところから、自然観察園(通称「学芸の森」)として多くの市民と学生に親しまれてきた。園内施設として教育学部附属教育実践総合センター(1979年)と教育学部3号館(1981年)が相次ぎ竣工し、自然観察園の管理も、できるだけ自然に任してきたが、台風(1981年)等の直撃もあって、多くの樹木を失う被害も受け、園の様子は大きく変わってしまった。
 
  昭和40年代この園に、一人の画家がキャンバスに向かって立っていた。

  画家の名は小笠原哲二。

  小笠原は、二戸市生まれ、盛岡に住み、盛岡をこよなく愛し、多くの透明感のある風景作品を描き続けた。移り変わる四季折々の空気をその場で感じ小笠原独自の色彩で、画布に丹念に描き込んでいき、1980年に筆を置くその日まで、小笠原の姿は寒い朝の街角や、夕暮れに染まる公園で、よく見かけることがあった。

  透視図に精通した技量を基に置いた構図は、今でも見るものを盛岡の懐かしい思い出に誘う。ボナール、マチスに啓発した色彩は輝くばかりの空を紫色に染め、公園の石垣、街角に残った銀行、教会や岩手の山々を確かな厳しい目で、何度も繰り返し表現していった。
 
  数ある風景画の中に、園内(自然観察園)からのぞいた作品が残されている。砂利道であろうか46号線が画面を横切りその向こうには畑が広がる。主題の教会はポプラを脇に描かれている。季節は晩秋、長閑な西下台風景であり、宝石のような作品である。

  小笠原が立った位置を探し求めて園内を歩く。フェンス越しの風景はマンション、スーパーマーケットや新しい住宅が立ち並び、絵から伝わってくる臨場感は全く感じられない。朽ちかけたニセアカシアが時間の経ったことを伝える。40年余りの時間の中で、街は便利な開発を成し遂げて行った。しかし失われた思いは計りしれない。

  これから盛岡らしい景観はどこに行くのであろうか。画家が立った場所は間もなくキクザキイチゲの花が咲く季節を迎える。

(岩手大学教授)

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  自然観察園の概要(Hiこちら岩手大学vol.1 文責 藁谷収 2005年より引用)
  図版出典 追想の小笠原哲二展実行委員会 1981年

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