2009年 4月 21日 (火)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉6 望月善次 春来れば疎林に

 春来れば疎林に草は萌ゆるべし、あわ
  れ(ママ)寂しも君はとほ行き
 
  〔現代語訳〕春が来たので、落葉のため見通せた林にも草が芽を出すでしょう。(それにつけても)ああ寂しくてたまりません。あなたが遠くに行ってしまい。

  〔評釈〕「春日哀愁篇」十七首〔『アザリア』第1号〕の五首目。「疎林」は、一般的には「木がまばらな林。落葉して奥まで見すかせる林。」〔『広辞苑』〕の意。季節の変わり目、特に春のそれは、どんな地域に住む人間にとっても色々な思いを持たせるが、北国に住む人間にとっては、一層切実なものがある。「萌ゆるべし」の「べし」の中には、話者のそうした思いもこもっていると読んだ。「あわれ」は、一連の作品が、文語調で作られていることからすれば、「あはれ」の誤記だろう。さて、一首の内容からすれば、春が来たことによって感じる思いの核心が何であることこそが重要である。抽出歌においては「君はとほ行き(遠行き)」という表現によって、「君」が遠くに行ってしまったことによる寂しさが、その具体であることが明らかにされる。なお、この作品では具体的に言及されていないのであるが、話者と「君」との関係次第で読者に与えるものが異なって来ることも考えられよう。

  (盛岡大学長)

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