2009年 4月 22日 (水)

       

■ 〈都市の鼓動〜リレーコラム〉38 中澤昭典 都市を重ねて変わりゆく「フロー」の街づくり

日曜日の朝、散歩がてらに「大通り」まで足を伸ばしてみた。

  モーニングサービスのサンドイッチとアメリカンコーヒーを口にしながら、2階の窓から通りをしばらく眺めてみた。

  久し振りにゆっくり眺めると、大通りの街もひと昔前に比べ、かなり様変わりしてきた。通りに面している店は、衣料品などの「ものを売る」店から、カラオケ店や居酒屋など「サービスを売る」店に変化してきている。夜になると、今ではサラリーマンよりも若者達の姿が優勢となり、以前とは違う活気を見せているようだ。

     
   
     
  盛岡のもう一つの繁華街「肴町」かいわいは、最近年配の買い物客が目につく街になった。

  私が10代の頃には、肴町かいわいは教科書と参考書を取り扱う東山堂があることもあって若者の街であり、川徳と松屋という2つのデパートと老舗の店が軒を連ねる県内一の繁華街だと思っていた。

  大通りは商店街から盛り場へ、肴町は老舗の商店街から近所の買い物街へ、時代と共に変化してきている。

  さて、都市計画は、明確な意図に基づいて、交通計画やゾーニング、施設の配置計画などが行われ、これに沿ってブルドーザーやクレーンがコンクリートを積み上げて都市を形づくる。

  一方、街は必ずしも誰かの意図するところに沿って出来上がってくるとは限らない。ある店や建物の醸し出すムードや、そこから派生する流れによって街の形、空気が作られてゆく。そしてそのような自然発生的に時間と共に積み重ねられてきた街は、人の気持ちを落ち着かせ、そこに人は引き寄せられる。

  大通りも肴町も、今の状況を意図して都市計画がなされたわけではないと思うが、今となってはこの形が街に馴染んできているように思える。

  人も歳を重ねて変化していくように、街も時間と共に、生れ、育ち、歳を重ね、衰え、そして生まれ変わっていくものであろう。

  先の見えにくい今の時代にあっては、これまでのような「計画」を策定してその大きな方向に沿って街づくりを進めることだけではうまく行かないような気がする。

  「店」や「客」や「人通り」や「住民」や「時代」などの個々の動きの積み重ねの中で歳相応の街を動かしてゆく、すなわち、「ストック」ではなく「フロー」の街づくりという考え方も必要なのではないだろうか。
(技術士)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします