2009年 4月 23日 (木)

       

■ 〈北Gのライブトーク〉84 北島貞紀 壮絶なプロ魂

 昔大阪でバンドマンをやっていたころ、美空ひばりのバック演奏をするということは、ひとつの勲章であった。毎年、梅田コマ劇場での定期公演があったが、その経験者の話によると、とにかく音に敏感で厳しく、リハーサルもピーンと張りつめた緊張感の中で行われるということだった。歌の女王と呼ばれたが、われわれ演奏者にとっても「別格」であった。

  沢木耕太郎の「不思議の果実」を読んでいたら、美空ひばりの話が出てきた。沢木がラジオ番組のために、美空ひばりのインタビューをするのだが、その組み合わせ自体が不思議に思えた。

  そのインタビューは、彼女の死の5年前(45、6歳のころ)で、それにまつわる文章が、ちょっと切ない気持ちにさせるものであった。その文章はさておき、美空ひばりの話の中に興味深いものがあった。

  日本武道館での芸能生活35周年記念コンサートの話である。

  「何しろ、出っぱなしの歌いっぱなしでしょう。50曲と決めてしまってから、ああ、えらいことをしてしまった、1回公演だと思っていたけど2回あるのだった、と後悔したけどもう遅くってね。…昼の部と夜の部を合計すると100曲。でも本当は150曲だったの。

  本番の前に舞台稽古をするのだけど、私はリハーサルも気合を入れて歌っちゃう方でね。

  音合わせのときに、鼻歌みたいに軽く流すのは嫌いなの。それはバンドの人たちに対して負けちゃうことだから。私がしゃんと立って、力を入れて、体を張って、ウワァーと歌うから、バンドの人たちも、あっ 、この人相当怖いぞ、うっかり変な音はだせねぇぞと感じてついてきてくれるんだと思うんですよ」

  歌い手としての力量、音楽に対する矜持(きょうじ)、まさにプロフェッショナルである。天分のうまさだけではなく、そこに彼女の思い魂が乗り移って、美空ひばりの歌たり得たのだと思う。

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