2009年 4月 29日 (水)

       

■ 〈都市の鼓動〉39 安藤昭 「都市の秩序3『都市とは何か』」

 かなり多数の都市を含む国や地方における都市の人口規模とその大きさの順位とのあいだには、都市の順位・規模法則(rank-size rule)と呼ばれる法則(明確な秩序)があることについては既に都市の秩序Tにおいて述べた。

  都市群の間にはどうしてそのような秩序が存在するのかを問う前に、ひとまず、都市の秩序Vとして〓都市とは何か″、つまり、都市の定義について述べる。

  従来から、都市については多くの著名人の定義があるが、そのいくつかを列挙すれば、以下のように示される。

  @神は田舎を創り、人は都市を創る(ダンテ:Dante A)

 A村落のうち、周囲に城壁をもつものを都市という(マウラー:G.Maurer)

  B市場、堡塁(ほうるい)、司法権、政治的独立、種々の特権─こうした特徴のすべてが都市を構成する(ペロー:Charles Perrault)

 C都市の経済的本質、それは市場に立脚した集落である(マックス・ウエーバー:Max Weber)

 D都市とは市民の使用に供する一目的物である(ル・コルビジェ:Le Corbusier)

 E2000人以上の住民をもつ集落である(国際統計学会議)

  @は、中世と近世の橋渡し的性格の都市であるルネッサンス時代(13世紀頃)の都市に対する詩人ダンテの都市の定義である。この都市の定義には、当時の都市の見方が端的に表われていて、人間は都市づくりの主体であり、人々の自由で強い精神が都市を創造すると喝破している点興味深い。

  Aは、城壁という、都市の重要なひとつの立地因子に着目して都市を定義しているのに対しBは、都市の複数の立地因子に基づいて定義したもので、ペローの定義はマウラーの定義より詳しいものになっていることが解る。

  また、CとDの定義は、それぞれ経済学者と建築家の都市の定義であり、専門的見地からの独善的な定義であるようにも思われる。

  一方、Eは人口規模に基づいた都市の定義であるが、この値はそれぞれの国の事情によって大きく異なることが考えられる。

  以上のように、著名人の都市の定義には時代背景や専門的見地が色濃く反映しているものが多く、3000年にも及ぶ記念碑都市(歴史のある時点において記念的な役割を果たし、その痕跡を内に含みつつ生存しつづけた現存の都市またはその一部をいう)の盛衰を都市デザイン史学的態度をもって時間的、空間的に把握し、その本質を記述したものは少ないといえる。

  ところで、筆者は、これまで、約4万年前において既にその進化を止め、既述の記念碑的都市の成長発展の潜在力と駆動力となってきた人間の脳に着目し、人間の脳機能と心と都市機能のアナロジーの検討から、螺旋(らせん)階段的な「都市の胎生的進化モデル」を描き出し(1984年)、これを基に、都市の本質と存在原理について検討してきた(注1)。

  筆者が、「都市とは人間(集団)の真の存在のための胎生的進化の過程における風土の様相である」(注1)と定義するのは、既述の都市の胎生的進化モデルに基づくところが大きい。ここに、胎生的とは子供が母体内で養分を受け、ある程度の発達を遂げたのちに生まれるように、古代の都市から中世の都市が、中世の都市から近代の都市が、ある程度の進化を遂げたのちに生まれることを意味し、風土の様相とは自然的・歴史的・文化的土地の状態、つまり地・人一体の有様を意味している。(北海商科大学教授、工博)

  【参考引用文献】(注1)安藤昭・赤谷隆一:感覚統合理論による都市景観設計の体系化、土木学会論文集No.653,W-48,2000


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