2009年 7月 1日 (水)

       

■ 〈都市の鼓動〜リレーコラム〉48 中澤昭典 喫茶店は街が人を招き入れる場所

     
  喫茶店「一茶寮」の店内  
 
喫茶店「一茶寮」の店内
 
  先日、なぜか思い出したようにシャンソンが聞きたくなって葺手町の「六分儀」のドアを開けた。シンプルにレトロな店内の雰囲気でコーヒーを口にするのは、至福のひとときであった。わたしは特にシャンソンが好きなわけでもなく、六分儀も10年間に3度くらいしか訪れてはいないが、ここにこの店が存在しているということが、街の風景を豊かにしてくれているような気がする。

  わたしの住むかいわいには、個性的な喫茶店が多い。

  家庭料理の「ひだまり亭」、蔵のギャラリー「一茶寮」、街の隠れ家「ヌック」と「ダン」、自家焙煎と個展の「クラムボン」、レトロな蔵「車門」、紅茶の店「しゅん」、猫の「シャトン」、大型スピーカーのある「モリタ」、ジャズ喫茶「ダンテ」…。
 
  団塊の世代の最後尾に位置する我々の少年時代には、映画館の幕間には喫茶店の広告が流れていて、「喫茶店」にはある種怪しいあこがれがあった。

  上京して、御茶ノ水かいわいのクラシック音楽が流れる洋館造りの喫茶店で飲んだ苦いコーヒーの味は、初めて都会の文化に触れたような、今でも舌に残る青春の思い出である。

  その後喫茶店にも慣れると、仲間とたむろしながら、政治や社会に対する空論を談じる場所ともなった。

  社会人になって忙しく時間に追われるようになると喫茶店から足が遠ざかっていたが、ブラックコーヒーの味がわかる年になって、また喫茶店が恋しくなってきた。
 
  喫茶店とはコーヒーを飲ませる店であるが、客はコーヒーを飲む目的だけに行くのではない。コーヒーを飲みながらそこに漂う時間と空間に対して代金を支払うのだ。だからコーヒー一杯に400円も払うのである。いや、たった400円でゆったりとしたぜいたくな時間を買うことができる、わたしにとってはお得な買い物である。

  わたしは商店街を歩いていて喫茶店に入るとき、訪ねた家の玄関先から奥の間に通されたような感覚を覚える時がある。

  喫茶店とは、街が客人を招き入れる時の、現代の「茶室」なのかもしれない。
 
  喫茶店にはそれぞれに、絵画が飾られていたり、クラシック、ロック、ジャズなど好みの音楽が流れていたり、本や雑誌や新聞が置かれていたりする。窓からの街の風景を眺められたり、さらには気が合う店なら、さまざまなまちの情報が得られ、時には政治談義もできる。喫茶店とは街角の文化なのだ。
 
  世の中はますます忙しくゆとりがなくなってきているように感じるところであるが、たまにはゆっくりとコーヒーの香りに包まれて、喫茶店の風景を味わう心の余裕を持ちつづけたいものである。
  (技術士)


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