2009年 7月 28日 (火)

       

■ 〈保阪嘉内の短歌〉43 望月善次 おやぢいの眼はなんとなく

 おやぢいの眼はなんとなくおそろし
  や、銭を呉れゝば四度見てもよし
 
  〔現代語訳〕(父親とも呼ぶべき大空の)その親父の眼は何となく恐ろしいのです。(この何となく恐ろしく見える親父も)小遣い銭でも呉れるのなら、(三度ならず)四度見ても良いですよ。

  〔評釈〕「大空がまったく晴れておそろしや」三十二首〔『アザリア』第二輯(盛岡高等農林学校アザリア会、大正六年七月十八日)〕の十六首目。晴れ渡った大空と話者との対話は続いている。「大空の眼」には、色々な可能性があることについては、既に触れたところである。十三首目の「今見たるこの青き眼は大空のおそらしき眼ににらめかえさる」においては、「青き眼」から、「空全体」を「眼」としたいとしたが、「眼」ということからすれば、可能性の内の一つとして、大空の中に輝く太陽を想定することもできよう。

  いずれにしても、その眼を「なんとなくおそろしや」とし、(恐ろしいから見たくないことを示唆しながら、)「銭を呉れゝば四度見てもよし」と転じている。「銭を呉れゝば」にこもる以外さと親しさについては、抽出歌の前の十五首めにおいても触れた。結句の「四度みても」の「四度」については断定できないところもあり、〔現代語訳〕では「(三度ならず)」と逃げた。
(盛岡大学学長)

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