2009年 7月 31日 (金)

       

■ 〈古都の鐘〉36 鈴木理恵 街の小さなお菓子屋さん

 お菓子屋のことをドイツ語でコンディトライと言う。大抵はお茶が飲めるスペースもあって喫茶店になっているところが多い。お菓子の大好きなオーストリア人のこと、コンディトライは、ここの人たちにとってなくてはならないものの一つであろう。

  ウィーン20区というと町外れの印象がぬぐえないが、そこに一粒の真珠のようなコンディトライがあり、その名をフェルヒャーと言う。

  まわりの少々すさんだ町並みのせいか、そのピンク色の外観からはここがそんなに素晴らしいお菓子屋だとは一見信じられない。

  以前この近所に住んでいたわたしも、長いこと敬遠し横目に通り過ぎるだけで足を踏み入れることはなかった。それがふと目にしたグルメ雑誌にこの店のことが紹介されており、この店が地元では知る人ぞ知るおいしいお菓子屋だということを知ったのである。

  友人に聞いてみると、ディートマール・フェルヒャー氏は有名な菓子職人で、彼のレシピは多くの雑誌に出ていると言う。

  半信半疑で店を訪れ、お菓子屋ならどこにも大抵は置いてある、もっとも基本的なアップルパイ(アブフェルシュトゥルーデル)を注文した。一口食べてそのうわさが本当だとわかった。おいしかった。

  その味は、ガイドブックに載っている有名どころのようなツンと取り澄ましたものではなく、かといって家庭的を売りにするというのでもない、きわめて丁寧に誠実に作られた、あいまいなところのない確かな腕の味であったのである。値段も実に良心的である。普通老舗と銘打つ店なら、倍の値はつけるだろう。

  それ以来、引っ越してからも機会を見つけてはこの店によく行くようになった。そして、いつ訪れても大変満足した気持ちで帰って来る。

  店の感じは少々古くさいのは否めないが、わたしなどにとっては、今どきのインテリアの店よりもこういう方がむしろのんびり落ち着ける。

  掃除はいつも行き届いて清潔であるのも好ましい。給仕はフェルヒャーさんの奥さんと娘さんの二人でなさっているようだが、いつも本当に心のこもった言葉遣い、物腰で、こちらの気持ちを和ませてくれる。忙しいときにはご主人のフェルヒャーさんもショーケースのところに出てきて、気さくに持ち帰りの客にお菓子を売ったりしている。

     
  マリーレンクヌーデルというオーストリア名物のアンズの入ったお団子、フェルヒャーさんのは、大きいのが3個もついてくる。味はうわさにたがわず素晴らしかった  
 
マリーレンクヌーデルというオーストリア名物のアンズの入った
お団子、フェルヒャーさんのは、大きいのが3個もついてくる。
味はうわさにたがわず素晴らしかった

 
  レジの奥に厨房があり、フェルヒャーさんと年若いお弟子さんたちが、バニラソースを泡立てたり、小さなお菓子に飾りをつけたりしているのが、そのドアのすき間から見えたりする。

  この店は曜日によって作られる特別のお菓子があって、木曜日はマリーレンクヌーデルというアンズの入ったお団子のようなものである。

  これはフェルヒャーのがウィーン一番と太鼓判を押す人も多いそうで、ある夕方6時、わたしもそれを目当てに訪れた。が、残念なことに閉店の看板がかかっていた。店にはまだ明りがついており、どうやら店じまいしたばかりのところだったらしい。

  わたしと友人の、がっかりした様子を見たのだろう、奥さんが中からドアを開けてくれた。ごめんなさいね、せっかく来てくださったのに。聞けば、例のお団子はもう無理だけれど、ほかのものなら持ち帰りはできると言うので、アブフェルシュトゥルーデルとトプフェンシュトルーデルというチーズパイのようなものを一つずつ包んでもらうことにした。

  マリーエンクヌーデルを食べに来てくれたんですか。きょうはねえ、60皿も出たんですよ。ご主人の仕事を誇りに思っているのが嫌みなくほほ笑ましい。奥さんはチーズパイを一切れおまけにサービスしてくれた。奥ではご主人が黙々とお菓子を作っているのが見えた。今度はもっと早い時間に来ますと店を出る。また来たいという気持ちがわき起こる。

  名の知れている店なのに、うぬぼれなどはみじんも感じさせない。世の流れにとらわれることなく、しっかり地に足をつけて、地元で誠実に仕事をしているのが感じられる。それを家族が愛情豊かに支えているのが見える。

  毎日のことだから大変なことだろう。しかしおいしいお菓子を作って、それを人々に提供して、わたしたち客はそれを喜んで享受している。単にビジネスではない、需要と供給の幸せな関係があっていいなあと思う。そこにはこころがある。仕事をして生きて行くならわたしもこうありたいなと思う。
(ウィーン在住、ピアニスト)

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