2009年 11月 4日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉149 伊藤幸子 「ふるさとに生く」

 落人かそれともわれは陸封魚一生(ひとよ)山峡にありて悔いねど
山内義廣
 
  ふるさとに居ながらにしてふるさと讃歌。さきごろ、岩泉町の山内義廣さんの歌集「北の陸封魚」の出版祝賀会が某ホテルで行われた。ことし5月出版のこの本は「歌林の会」代表の馬場あき子さんの覚えめでたく、岩田正さんの「序」文に飾られ、粒だつ471首から成っている。歌を始められて12年とのこと、氏の天分は新聞やNHK歌壇、各種文芸雑誌でもめざましい活躍ぶりである。

  いつの世も貴種流離譚(たん)にみる落人伝説は、常にその末裔の誇りであり支えであろう。「花の季めぐりて来ればふと思ふ佐藤義清北面の武士」みちのくに何度もきている義清(のちの西行)の生涯は今でも歴史好きの者たちの胸をくすぐる。義経伝説またしかり。

  ここで山内さんのふるさと観にふれてみたい。「ふるさとを出奔せずに住み古りてデラシネのごと峡に生きたり」「ふるさとを誰より愛しふるさとを誰よりも憎みふるさとに生く」「ふるさとに生くるは辛き日々にして序列のごとき居場所あるなり」いずれも真正面からふるさとを詠んでおられる。因みに、一巻の中に「ふるさと」キーワードは10%ぐらいかと思ったら17首あった。普通は他郷に出た者が恋しがるパターンであるけれど、作者はデラシネのように山峡に生く、と詠む。デラシネとはふるさと喪失とか根無し草といった解釈か。しかも、ふるさとを愛し、憎み、辛いという。そしてついに「序列のごとき居場所」にゆきついた。そこに到達された今だから言えるのであろう。

  「楢(なら)の樹の落葉すすめばゆうらりと月のやうなる蜂の巣の出づ」「カメムシの飛ぶ音そして晩秋の日溜りに妻の豆を打つ音」「老いてゆく母は長閑(のどか)に透きとほり繭ごもるごと物縫ふしじま」集の後半に据えられた「繭ごもる母」のなんというかそけさ。岩田正さんは「ふるさとに生れ、ふるさとに歌い、ふるさとに果つ」と帯文に書かれた。「霜月の小春日和にたつ市の露店のぞきて鋸を買ひたり」私の一番好きな歌。還暦は現代ではまだ人生なかば。比類なきかそけさの中にも、鋸を必要とする峡に生くる日々のさらなる研鑽を祈りたい。

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