2009年 11月 22日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉20 丸山暁 早起きは3文以上の得

     
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  朝霧立ち昇る谷間、役目を終え静かに佇(たたず)むハセカケの杭(くい)列(ハセカケとは刈り取った稲を干すための構造)に降り注ぐ陽光。こういう情景、春夏秋と実りをはぐくんだ大地、その大地を耕した人々の労をねぎらうかのように降り注ぐ太陽の輝きを見ていると、無神論者の僕でも神の慈愛を感じてしまう。

  太陽、特に朝の陽光は、本当に神のようなものである。朝日を全身に浴びると、少々眠くても、徹夜ボケでも一瞬にしてしゃんとするものだ。たとえ、前日までの苦しい日々があったとしても、今日一日は、という気持ちにさせてくれる。

  朝日を浴びて元気がなくなったり、なえててしまう人は、ドラキュランの親せきかもしれない。一度ルーマニアのドラキュラ伯爵のDNAと比べてみるといい。これは、太陽光に特異な反応をする方々を揶揄(やゆ)するものではないことをお断りしておきます。

  都会での、まだ若き独身時代、銀座、新宿飲み歩き、野宿の帝王とうそぶいていたころのこと。飲み仲間は去り、飲み屋も閉まって電車がなくなり、ひとしきり街をふらついた後、ビルの谷間にもぐり込み、時には遅刻すまいと会社の植え込みで寝たこともあった。

  あるときは、橋の下で浮浪者(今はホームレスと言うべきか)と寝場所を取り合ったこともある。「ここはいつも俺が寝ているところだ」と年季の入ったオッサンに言われれば、新参者はスゴスゴ引き下がるしかない。公園のトイレで風を除け、児童公園の滑り台のてっぺんの小さなドームで朝を待ったこともある。

  そんな野宿は自由気ままに見えるが、けっして楽なものではない。アルコールの残っている宵の口はまだいいが、明け方には酔いもさめ深々と冷え込んでくると、どこで横になっても眠れるのではない。その上空が白んでくるころには、すっかり自己嫌悪に包まれる。

  そんな時でも、ビルの谷間の一角から輝く光が刺し差し込んでくると、涙が出るほどうれしくなる。朝の陽光が冷え切った体を温め、落ち込んだ心に活を入れ、始発電車の駅に向かわせる。時には、そのまま電車に乗って家に帰り爆睡ということもあったが。

  太陽は田園でもビルの谷間でも大地と人の心に活力を与えてくれる。近年、太陽の紫外線は発がん性がありシミそばかすの原因になると、目の敵にされているが、たまには体いっぱい心いっぱいに太陽を浴びるのは、決して悪いことではないだろう。この時期ちょっと早く起きて、日の出を待つのは、3文以上の得ではないか。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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