2010年 4月 18日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉41 丸山暁 花と命の物語

     
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  昨年の秋に植え替えた球根たちが今花盛り。この球根は5、6年前に10球程度植えたのだが、よほどわが家が気にいったのか、めったやたら増えてしまった。捨てるつもりでわが家のあちらこちらにばらまいたら、それがまたけなげにあちらこちらで花開いている。

  この地に来てからの17年間で、野菜やハーブや花たちを数十種、きっと100種は越えたのではないかと思うが、種をまき、球根や苗を植えて育ててきた。

  その中のいくつかはこの地に根付き、毎年かわいい花を咲かせてくれる。近所の方々が訪ねてきて珍しそうに「これなんだ、この辺にはない花っこだ」というので、いくつも嫁に出し、ご近所の庭先をにぎわしているものも多い。

  花の手入れをするたび思い出すことがある。小学校の3、4年生のころの出来事である。

  何かの授業で花壇の手入れがあったのだが、先生が「花は残して雑草は抜きなさい」と言った。そのことが僕には子どもながら、否、子どもだからかこそ、承服できなかった。

  花壇には、学校で植えた花以外にも、いくつかの雑草の花が咲いていた。多分僕の好きなイヌノフグリ(地面を這い中心が白く周りが青い小さな花をつける)もあったのだと思う。

  「この花もきれいじゃけえ、残しておいてもええじゃろ(広島弁)」と抗議すると、先生は「花はきれいでも雑草です。抜きなさい」の一点張り、そこに命の序列を見た。

  そんな出来事があって僕は、かわいいと特別扱いされるものや、いわゆる命の価値の違いというものに解せぬもの、言うに言われぬ不条理なものを感じるようになっていった。

  人間(宗教にもよる)は牛や豚や鳥は頓着(とんちゃく)しないでうまいうまいと食ってしまう。平和の象徴ハトは食うくせに、クジラを食えば、残酷だと欧米社会では非難の嵐。

  最近子どもの凶悪犯罪、児童虐待、無差別殺人が増え、命の大切さが叫ばれる。しかし、人間は神話や昔話では親殺し、子殺しは当たり前、聖書では人間初の殺人は嫉妬によるカインの弟殺しである。半世紀前までは、命は国家を守るための消耗品ですらあった。

  命、人間の命でさえこのように危ういものである。人間はその危うい命に気づき、歴史の中で苦闘しはぐくんできた人道主義、人間性でかろうじて命の尊厳を守ってきた。

  「命を大切に」を繰り返すだけでは命は守れない。人と人、家族間、人と生き物の物語を紡ぎ、現代科学が見出した命・心について新たな地平から、命の未来への神話を生み出す必要がある。命の物語、神話は身の回りのあらゆる場面で生まれてくるはずです。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

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