2010年 4月 21日 (水)

       

■ 〈風のささやき〉20 重石晃子 仏様の手の中で

     
   
     
  昨年まで、NHKの川柳の選者であった万迷多さんは、残念ながら亡くなられたが、私が初めて赴任した市川市日の出学園の同僚であった。

  同僚と言っては失礼だが4つか5つは先輩であり、偶然にも同じ岩手県の出身だったから、学生気分の抜けない私を横目でにらんでいたかも知れなかったと、今にして思うのである。

  彼はお父様が倒れられたとかで、間もなく郷里の宮古にお帰りになってしまったし、私も日の出学園を3年間で退職し、アルバイト生活に入った。子どものために全力を使わなければ、小学校の教師は務まらないと純粋に思ったし、絵を描くことに生活のすべてを賭けていたから、小学校にいては子どもたちに申し訳ない気がした。今考えると子供恐怖症のような少し病的な考え方をしていた。

  家で絵を1枚集中して仕上げると、次の構想がすぐに待っている。一つ終われば次が始まるのである。そんな暮らしの中で、万迷多さんのことは忘れるともなく忘れていた。

  あれから50年近く過ぎて私は深沢紅子野の花美術館長になって盛岡にいた。美術館の仕事は、今までやってきた仕事の集大成のようなもので、創造力と体力が必要な仕事であった。

  思いがけなく、万迷多さんが野の花美術館にひょっこり現れた。昔と変わらずひょろりと背が高く、白髪混じりになったが縮れ毛の頭髪は相も変わらずであった。「やーお久しぶり」長く小学校の教師をし、今は川柳を創っているよ、と簡単な話をしてお帰りになった。

  川柳については相当な積み重ねがあったはずなのに、何も語らずじまいであった。万迷多さんとの接点はたったそれだけだが、学習院生と同じ様な制服を着た都会的な日の出学園の生徒の姿を懐かしく思い出した。

  地方の山の子どもたちを育てながら、万さんは新しく川柳の世界を見いだしたのであろう。彼のおかげで、何十年ぶりかで日の出学園のかつての同僚が、会うことになったのである。万さんの追悼会である。人生の終わり近く、誰もが相当走り回って生きたつもりなのに、実は仏様の手の中にあっただけかもしれない、と気づくこのごろである。
(おわり)


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