■ 〈早池峰の12か月〉46 丸山暁 寄り添うこと、小さな支え

     
  photo  
     
  山に入り、山菜が出ているかどうかの目安になるのがエンレイソウである。木々の新芽がほんのり色づいているものの、落ち葉に埋もれた薄茶一色の山の中で、一際鮮やかな緑色の大きな葉っぱのエンレイソウを見つけると、どこかに山菜も出初めているはず。

  いろいろ珍しく貴重な山野草もあるが、エンレイソウは僕の気に入っている山野草である。群生する赤紫色のカタクリの花がお祭りのお嬢様たちとすれば、エンレイソウは凛(りん)とした孤高の貴婦人というところ。たまに写真のように2輪寄り添うものもある。

  ちなみに演歌にある「2輪草」は、一本の茎の葉の付け根から花が2輪飛び出している。

  僕の山菜フィールドはなぜか誰も立ち寄るもののない谷である。場所によっては45度、見た目にはもっときつい傾斜もある。そんながけの上の方に山菜の群生を見つければついよじ登りたくなるのが人情である。

  まだ山菜採り初心者のころ、けっこうな斜面を山菜に釣られて上へ上へと登って気づいたら、目の周りに支えになるものが何もない。危ないと思ったが時既に遅し、数b滑り落ちたことがある。それ以来がけや急斜面では、必ず手の届く範囲に何か支えを見つけてから上り下りするようにしている。

  元気な内は、急斜面でも力強く地面を踏みしめ、滑りそうになっても足場を固め、斜面にへばりついてでも何とか体を支えられる。しかし、疲れてくると、足元がぐらついたり、ちょっと滑っただけで一気にずり落ちてしまい、一巻の終わりである。

  そんな時、急斜面なら立ち木やしっかりした枝や蔓(つる)が支えになり、ほんの一瞬なら、草の束や草の茎、葉っぱ一枚でも支えになる。ズルッと滑り落ちそうになった時は、手が切れると分かっていても、カヤの葉をグット握り、手の平に切り傷をつけてしまうこともある。肉を切らせて骨を絶つ(身を守る)の極意である。

  いずれにしても滑り始めが肝心である。滑ると感じた瞬間なら、ほんのちょっとの支えでも踏みとどまれるが、勢いよく滑り始めれば危険も増し大きな支えが必要になる。

  人間も同じ、心身共に元気な時は少々の苦難もはね退けて進んでいけるが、疲れてくるとちょっとのつまずきでこけてしまう。そんな時、少しの支えで元気になれるもの。疲れ切って倒れそうな時は、誰かに寄りかかればいい。それをはねのける者は少ないはず。孤独もいい、自己責任がはやりだが、1人で生きられる人間なんてたった1人もいやしない。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします