2010年 6月 9日 (水)       

■ 〈口ずさむとき〉190 伊藤幸子 四ツ白の馬

 金木つけ吾が飼ふ駒は引き出せず吾が飼ふ駒を人見つらむか  日本書紀
 
  私には数年来の宿題がある。春、馬の祭りになると思い出し、先人の書を読みあさり、自分で構築したストーリーを検証、再録する。その一つに「馬の四ツ白は凶相か」という謎がある。「四ツ白」とは、鹿毛(かげ)、栗毛(くりげ)をとわず馬の四ツ脚の蹄(ひづめ)から脛(はぎ)にそって白い毛並の馬のことで、ごくまれに誕生する。

  これが不吉、馬の大凶相というのである。時は平安時代末期、平清盛20代のころ。ひとつ年長の遠藤盛遠(後の文覚)、また源ノ渡(わたる)は清盛の5歳上、さらに佐藤義清(のりきよ・後の西行)は2歳年長。これら同年代の青年達の晴れがましい加茂の比べ馬の祭りの日。ここには各自自慢の持ち駒が引き出され披露される。人馬と熱気にむせ返る草萌えの馬場だ。

  そこにみごとな下毛駒(しもつけごま)の青毛馬(あお)が登場する。すぐさま鳥羽上皇のお目にとまったのだが、いかんせん四ツ白馬の忌み事がたちはだかった。

  この時、同僚の源ノ渡がどうしても青毛の調教をしたいと申し出て、彼に預けられる。これが悲劇の始まりというべきか、彼の美人妻袈裟ノ前を、やがて朋輩遠藤盛遠が殺めて、その首をふところに熊野山中を彷徨する話は現代の吾々にも背筋の寒くなる一巻である。

  してみれば、やはり、四ツ白の馬は凶相か。掲出歌は大化改新の舞台、孝徳天皇と中大兄皇太子との確執の時代までさかのぼる。白雉5年(654年)「日本書紀」に記される天皇の御製と伝えられる。「金木つけ吾が飼ふ駒」とは「厩舎の戸に横木をさして大切に飼う馬」との意、学者研究者達はこの馬を、間人(はしひと)皇后のことだと解説される。わが愛する人を他人が見るだろうか、誰にも見せたくないとの本意はよくわかる歌。

  「書紀」には四ツ白の馬の表記はないけれど、時代が下がった「平家物語」のころには、俄然四ツ白迷信が生彩を帯びて輝きだす。夥(おびただ)しい権力闘争のあけくれに、ついと都のはずれに出れば捨てられた骸(むくろ)や乞食の群がたむろしている。

  そんなに遠い過去ではないのに、村でも馬を見ることがなくなった。馬は姿態の美しさ、賢さはもとより軍馬にも農耕馬にもなった。今年もチャグチャグと鈴を響かせる大行列に、「吉相」四ツ白の名馬を見たいと期待している。

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