2010年 7月 3日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉167 岡澤敏男 西域出土の「壁画の皇子」

   ■西域出土の「壁画の童子」

  これまで触れたように万葉時代には中国、朝鮮はもとより西域、インド、ペルシャからの渡来人が日本にやってきたことは、正倉院の宝物ばかりでなく『日本書紀』にも百済、新羅、唐、トカラ、ペルシャ、インド人の渡来が記録されていることにより明らかです。

  従って奈良の都を多彩な衣装の渡来人がさまざまな肌の色を見せて往還する姿を日常的に見かけたのでしょう。

  トカラ人にしてもルーツはイランの遊牧民とインド人の混血民族であり、または法華経など仏典の翻訳者鳩摩羅什(くまらじゅう)もインド人(父)と中国人(母)の混血として亀茲(クチャ)国に生まれており褐色がかった肌をしていたものとみられます。

  賢治は国際交流のあった万葉時代についてどれだけの知見があったかは不明だが、西域やインドについての関心の深さは詩、短篇、童話作品を通じてよく知られている。

  金子民雄氏は『宮澤賢治と西域幻想』で賢治の西域へのかかわりは「あくまで仏教への憧れ、憧憬の地としてのほかなにものでもなかった」と、作品を通じて読み解いています。

  西域三部作とみなされる童話「マグノリアの木」「インドラの網」「雁の童子」は、コンロン山脈北麓にあるミーランの古代仏教寺院廃虚から英国の考古学者オーレル・スタインが発見した〈壁画の童子〉をモデルとしたもので、西域幻想の原点というべき作品です。

  ところが長篇詩「小岩井農場」パート九の下書稿において、賢治はこの童子をモデルとした発想を行っているのです。
 
  さっきはこゝで〔私は私について来る〕
透明な魂の一列を感じ〔ました。あれはどこの人
たちですか。〕
いまはあなたがたを見たのです。
あなた方はけれどもまだよく見えません。
眼をつぶったらいゝのですか〔眼をつぶると天河
石です、又月長石です。〕
おゝ何といふあなた方はきつい顔をしてゐるので
す光って凛として怖いくらゐです。
羅は透き うすく〔そのひだはまっすぐに垂れ〕
鈍い金いろ、瓔珞もかけてゐられる。
あなた方はガンダラ風ですね。
〔沙車や〕タクラマカン砂漠の中の
古い壁画に私はあなたに似た人を見ました。
 
  しかし本文では「さつきもさうです/どこの子どもらですかあの瓔珞をつけた子は」という2行の他は全部カットしており、この2行から〈壁画の童子〉をイメージできないが下書稿から西域童話の構想のはしりを「小岩井農場」詩作のころに求めることは可能です。

  賢治のインドへの関心の深さは、童話「オツベルと象」「四つ又の百合」「十力の金剛石」にその一端が見られるが、『創作メモ』の「創41」の後段に赤の罫線を引き〈印度、西域、支那、日本、日本、日本〉とメモされているのは何を意味するのか。

  このメモにある「古説三世因果物譚」のタイトルは、どんな新しい仏教説話の試みを構想したものだったのでしょうか。

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