2010年 7月 11日 (日)

       

■ 〈早池峰の12カ月〉53 丸山暁 苦しみの循環理論

         
    photo    
         
  今年の雷雨はすさまじい。天空にわかに掻(か)き曇り、風がうなりを上げ、バケツでぶちまけたような雨が振り出すと、ゴロゴロピカピカバキーンと次から次へ雷が谷間に鳴り響く。

  そんな日が数日続いた梅雨の晴れ間、ふと窓辺に目をやると、黄色い萎(しぼ)んだ風船がそよ風に揺れていた。風の又三郎の置き土産かと思えば、神樹(以前桑の替わりに蚕の餌にしたそうだ)の葉っぱが、突風に吹かれて窓辺の蜘蛛(くも)の巣にひっかかっていた。

  この谷間では6、7000年前の縄文時代から人々が暮らしていたが、決して暮らしやすい豊かな地ではなかっただろう。集落の家々の裏手や畑のあちこちに天明、天保、新しいものでは明治・大正と刻まれた墓碑が幾つも折り重なり、幾つかはいまも立っている。

  北国の小さな谷間の暮らしは、時代や国の政策に翻弄(ほんろう)され、働くことが生きている証のような時代が長かっただろう。それでも、人々は、自然の恵みを得て、子供の成長や家族団らん、たまの祭りに幸せな時を見出し、谷間の暮らしを受け継いできたのだろう。

  そんな谷間にヒョッコリやってきて18年が経った。そして、「早池峰の12カ月」を書き始めて今回でちょうど丸1年。本欄には、この地の暮らしでの、出会い、驚き、喜びなど、肯定的なことを書いてきたが、人生、どこで暮らしてもそんなに甘いものではない。

  見知らぬ土地で安定した収入もなく、不安がしのび寄り眠られぬ夜を過ごしたこともある。のんきに見えても、胸のざわめきが収まらないことが何度もあった。

  そんな時、まず、胸がモヤモヤし始め胃がキリリと痛み出し、あげくの果てに下痢となる。そんな日がしばし続くと、手足に力が入らずしびれたような感覚になってくる。それらが収まると、今度は頭に綿が詰まったように感じたり偏頭痛がしてくる。そして急に心臓がどきどきしたり、圧迫感を感じたり、ストレスも極限に達する。

  しかし僕の経験上、それが一巡すると、知らぬ間に心が穏やかになり、いつしか体の不調も収まって来る。そういう身体的状況を、僕は「苦しみの循環」と呼んでいる。

  苦しい時、苦しみをはねのけようと、何を考えても何をしても、どうにもならない時がある。そんな時は、じたばたしないで、苦しみの中にどっぷり浸かっているしかない。

  「苦しみの循環」は、僕がこの谷間の暮らしで見出した身体論、生きる知恵である。さて、これからも「苦しみの循環」は幾度となく巡ってくるだろう、それを受け入れることが人生。ちょっと辛い話で1年目の「早池峰の12カ月」を終えるが、次週またお会いしましょう。

  (丸山暁建築・空間工房、大迫・外川目在住)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします