2010年 7月 13日 (火)

       

■ 〈夜空に夢見る星めぐり〉259 八木淳一郎 イトカワとはやぶさの夢

  広大な宇宙の中で、行方不明の危険に何度もさらされながら小惑星イトカワに着陸し地球に帰還した探査衛星はやぶさの活躍ぶりは、まだ記憶に新しいところです。単なる物体や機械に過ぎないものであっても、みんなが心を寄せれば魂が宿るのだということを教えられました。テレビの映像を通して、地球に戻ってきたはやぶさのけなげでいじらしい姿に、多くの人が目を潤ませたのではないでしょうか。

  小惑星イトカワの名前の由来は、知る人ぞ知る日本のロケットの父と呼ばれる故糸川英夫博士をたたえてのものです。長さ500bのピーナッツの殻の形をしたかわいらしい小惑星は、1988年にマサチューセッツ工科大学のリンカーン研究所で発見され、2003年、イトカワと命名されました。

  ところで、糸川博士の最初に手掛けたロケットはペンシルロケットと呼ばれるもので、全長23aの文字通り鉛筆のような小さなものでした。今から55年前のことです。

  水平方向に飛びながら一定間隔に立てられている紙を次々に突き破っていく実験の様子が、後にテレビや雑誌で紹介されました。

  そのころの小中学生の間では、それに触発されたかどうかは定かではありませんが、小さなロケットを作るのが一種のブームになっていました。

  例えば金属製の鉛筆サックにセルロイドの下敷きを細かく切ったのや、接着剤やその他企業秘密めいた怪しげな物?などを詰めて、サックのお尻をペンチでつぶして平らにし、火をつけるかまきストーブの上で熱して飛ばすのです。

  思えば危険この上なく、今同じ事をやれば、教育委員会やマスコミで連日、上を下への大騒ぎとなったでしょう。

  オールウェイズ、昭和の古き良き?時代のひとこまです。一人の人間にとってやんちゃな少年時代や青春時代が一度きりであるように、日本の社会にこの先二度とやってこない時代が通り過ぎていきました。

  糸川博士はやがて、ベビーロケット、カッパロケットなど、秋田県の道川海岸を舞台に、次第に大きなロケットの打ち上げやエンジンの開発を成功させていきます。

  1970年、わが国は初の人工衛星おおすみの打ち上げに成功し、世界で6番目の衛星打ち上げ国となりましたが、この後に続く日本の優れた宇宙探査の技術は、糸川博士の実験や研究の上に築かれています。

  2003年に打ち上げられたはやぶさは、2005年、小惑星イトカワに到着し、60億`もの苦しい旅路の果てに今年6月13日、ふるさと地球にたどり着くことができました。

  最期は自らが炎となって燃えつきながら、カプセルをパラシュートで降下させることさえやってのけました。はやぶさには、きっと多くの人たちの魂が宿っていたに違いありません。
(盛岡天文同好会会員)

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