盛岡タイムス Web News 2010年 10月 6日 (水)       

■ 南部氏に800年の歴史 甲斐巨摩にルーツ訪ねる

     
  浄光寺の南部家供養塔に花を捧げ手を合わせる南部利文氏  
 
浄光寺の南部家供養塔に花を捧げ手を合わせる南部利文氏
 
  南部氏のルーツを訪ねる旅(主催・南部藩志会、大内豊会長)は2日間の旅を終えて4日午後10時、盛岡に帰ってきた。来年7月1日に開館予定のもりおか歴史文化館に南部藩の歴史史料コーナーが設けられることに先立って、南部氏発祥の地とされる甲斐巨摩(こま)地方(山梨県)を訪問、南部氏関係の寺院を視察した。盛岡から22人、東京から南部家46代当主南部利文氏、亜由子さん夫妻、弟の利忠氏、南部家初代光行の6男実長を初代とする波木井南部家の末裔(まつえい)の市川武司氏(現在は静岡県在住)の4人の総勢26人が参加。南部町では手厚い歓迎を受けた。(荒川聡)

  盛岡を3日午前5時に出発。初日の身延山久遠寺(くおんじ)で1時間程度の参拝時間を予定していたが、1時間以上早く到着できた。

  波木井南部の直系子孫の市川氏が紹介された。現在は静岡県沼津市に居住しているが祖父の代までは南部町に居住していたという。市川氏によると1500年代に武田家により波木井南部は歴史上は滅ぼされたとされていたが、市川に姓を変えて現在まで続いている。南部家45代の故利昭氏の代から盛岡南部家との親せき付き合いが復活して、今回の旅にも同行することになった。

  久遠寺では奥の院、本殿、日蓮聖人の書など同寺が所蔵する宝物、五重の塔を見学。巨大な棒で全身を使って鐘を突く姿も見ることができた。

  2日目は身延山近くにある南部町分庁舎を訪問。望月秀次郎町長、望月康秋教育長、佐野敏明町議会議長が一行を迎え、発祥の地からみる南部家の歴史などを説明した。

  望月町長は「きょうは南部家の当主が来るということで非常に緊張している。会うことができ感激している。これを縁に民間交流を期待している」と歓迎した。

  大内会長は「もりおか歴史文化館が来年7月に開館する。南部光行公以来、46代続く南部家の歴史、盛岡の文化、歴史、観光を中心とした施設を整備している。2階部分が南部藩の歴史史料のコーナーになる。ルーツを訪ねる旅では史料館の周知、内容の充実を図ることを狙いとして訪問させてもらった」と訪問の趣旨を説明した。

  浄光寺に移動し南部家の供養塔、墓所、隣接する初代光行公に関係する諏訪神社を参拝した。利文氏は「この地を何百年も離れた間にも、この地で脈々と南部のことを受け継いでくれていることを知り、南部家の盛岡だけではない歴史の重さを改めて感じた。これだけ大勢の方が守ってきた。それに対する期待も大きく、どこまで応えられるか分からないができることからやっていきたい」と今回の旅を振り返っていた。

  波木井南部家の市川氏は「わたしはここに残ってきた南部の一族。南部町と利文氏のパイプ役になっていきたい」と語っていた。

  岩泉町から参加した佐々木實さんは「南部町かいわいの山々は岩手の山とは景色が違う。ヒバとかスギの植林もきれいにやっている。山が濃い緑に包まれているのを見て感動した。昔は東の山道と書いて東山道、そして道の奥地ということで陸奥(みちのく)という言葉になったことを書いた本のことを思い出した。南部家の方たちは、そういう時代に苦労して与えられた領地に向かったんだなと思う」。

  盛岡市手代森の村松由起夫さんは「南部家発祥の地を訪ねるのは長年の夢だった。身延山では南部家800年の歴史を目の当たりにしたような気持ちになり、感動し本当に満足した」。

  宮古市から参加した若江滑三さんは「宮古は盛岡から離れているが、宮古に住んでいても南部家の影響は強いものがある。今回の旅で浄光寺から山を見上げ、この地から南部光行公は行ったのかという歴史的な感慨を強く感じた」と、それぞれ語り尽くせぬ思いを話していた。

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