盛岡タイムス Web News 2011年 1月 5日 (水)

       

■ 〈音読・現代語訳『あこがれ』石川啄木〉38 望月善次 マカロフ提督追悼の詩(上)

 明治三十七年四月十三日、東郷大提督の艦隊が旅順港口に迫った時、敵将のマカロフ提督は、これを迎撃しようとしてぺトロバフロスク艦を港外に進めたのですが、沈設水雷に触れて、巨艦は一爆、提督も艦と運命を共にしたのでした。敵将ながら「偉大なる敗者」であるマカロフ提督を追悼し全十章の詩が捧げられました。今回はそのうちの第一回の一〜三章です。
 
  ■マカロフ提督追悼の詩(上)
 
(明治三十七年四月十三日、我が東郷大提督の艦隊大挙して旅順港口に迫るや、敵将マカロフ提督之を迎撃せむとし、愴惶令を下して其旗艦ぺトロバフロスクを港外に進めしが、武運や拙なかりけむ、我が沈設水雷に触れて、巨艦一爆、提督も亦艦と運命を共にしぬ。)
 
嵐よ黙(もだ)せ、暗打つその翼、
夜の叫びも荒磯(ありそ)の黒潮(くろしほ)も、
潮にみなぎる鬼哭(きこく)の啾々(しうしう)も、
暫し唸(うな)りを鎮(しづ)めよ。万軍の
敵も味方も汝(な)が矛(ほこ)地に伏せて、
今、大水(おほみづ)の響に我が呼ばふ
マカロフが名に暫しは鎮まれよ。
彼を沈めて、千古の浪狂ふ、
弦月(げんげつ)遠きかなたの旅順口。
 
ものみな声を潜めて、極冬(ごくたふ)の
落日の威に無人の大砂漠
劫風絶ゆる不動の滅の如、
鳴りをしづめて、ああ今あめつちに
こもる無言の叫びを聞けよかし。
きけよ、-敗者(はいしや)の怨みか、暗濤の
世をくつがへす憤怒(ふんぬ)か、ああ、あらず、-
血汐を呑みてむなしく敗艦と
共に没(かく)れし旅順の黒〓裡(こくおうり)、
彼が最後の瞳にかがやける
偉霊のちから鋭どき生(せい)の歌。
 
ああ偉(おほ)いなる敗者よ、君が名は
マカロフなりき。非常の死の波に
最後のちからふるへる人の名は
マカロフなりき。胡天の孤英雄、
君を憶(おも)へば、身はこれ敵国の
東海遠き日本の一詩人、
敵(かたき)乍らに、苦しき声あげて
高く叫ぶよ、(鬼神も跼《ひざま》づけ、
敵も味方も汝《な》が矛地に伏せて、
マカロフが名に暫しは鎮まれよ。)
ああ偉(おほ)いなる敗将、軍神の
撰びに入れる露西亜の孤英雄、
無情の風はまことに君が身に
まこと無情の翼をひろげき、と。
 
東亜の空にはびこる暗雲の
乱れそめては、黄海波荒く、
残艦哀れ旅順の水寒き
影もさびしき故国の運命に、
君は起(た)ちにき、み神の名を呼びて、-
亡びの暗の叫びの見かへりや、
我と我が威に輝やく落日の
雲路(うんろ)しばしの勇みを負ふ如く。
 
壮なるかなや、故国の運命を
担(にな)ふて勇む胡天の君が意気。
君は立てたり、旅順の狂風に
檣頭高く日を射(さ)す提督旗(ていとくき)。-
その旗、かなし、波間に捲きこまれ、
見る見る君が故国の運命と、
世界を撫(な)づるちからも海底に
沈むものとは、ああ神、人知らず。
 
四月十有三日、日は照らず、
空はくもりて、乱雲すさまじく
故天にかへる辺土の朝の海、
(海も狂へや、鬼神も泣き叫べ、
敵も味方も汝《な》が鋒地に伏せて、
マカロフが名に暫しは跼づけ。)
万雷波に躍りて、大軸を
砕くとひびく刹那に、名にしおふ
黄海の王者(わうじや)、世界の大艦も
くづれ傾むく天地の黒〓裡(こくおうり)、
血汐を浴びて、腕(うで)をば拱(こまぬ)ぎて、
無限の憤怒(ふんぬ)、怒涛のかちどきの
渦巻く海に瞳を凝らしつつ、
大提督は静かに沈みけり。
 
ああ運命の大海、とこしへの
憤怒の頭(かしら)擡(もた)ぐる死の波よ、
ひと日、旅順にすさみて、千秋の
うらみ遺(のこ)せる私密の黒潮よ、
ああ汝(なれ)、かくてこの世の九億劫、
生と希望と意力(ちから)を呑み去りて
幽暗不知の界(さかひ)に閉ぢこめて、
如何に、如何なる証(あかし)を『永遠の
生の光』に理(ことはり)示(しめ)すぞや。
汝(な)が迫害にもろくも沈み行く
この世この生、まことに汝(なれ)が目に
映(うつ)るが如く値(あたひ)のなきものか。
 
ああ休(や)んぬかな。歴史の文字(もじ)は皆
すでに千古の涙にうるほひぬ。
うるほひけりな、今また、マカロフが
おほいなる名も我身の熱涙に。-
彼は沈みぬ、無間の海の底。
偉霊のちからこもれる其胸に
永劫たえぬ悲痛の傷(きず)うけて、
その重傷(おもきず)に世界を泣かしめて。
 
我はた惑ふ、地上の永滅は、
力(ちから)を仰(あふ)ぐ有情(うじやう)の涙にぞ、
仰ぐちからに不断の永生の
流転(るてん)現(げん)ずる尊ときひらめきか。
ああよしさらば、我が友マカロフよ、
詩人の涙あつきに、君が名の
叫びにこもる力(ちから)に、願くは
君が名、我が詩、不滅の信(まこと)とも
なぐさみて、我この世にたたかはむ。
 
水無月(みなづき)くらき夜半(やはん)の窓に凭り、
燭にそむきて、静かに君が名を
思へば、我や、音なき狂瀾裡、
したしく君が渦巻く死の波を
制す最後の姿を覩(み)るが如、
頭(かうべ)は垂(た)れて、熱涙せきあへず。
君はや逝(ゆ)きぬ。逝きても猶逝かぬ
その偉いなる心はとこしへに
偉霊を仰ぐ心に絶えざらむ。
ああ、夜の嵐、荒磯(ありそ)のくろ潮も、
敵も味方もその額(ぬか)地に伏せて
火焔(ほのほ)の声をあげてぞ我が呼ばふ
マカロフが名に暫しは鎮まれよ。
彼(かれ)を沈めて千古の浪狂ふ
弦月遠きかなたの旅順口。
             (甲辰六月十三日)
 
  ■〔現代語訳〕
 
(明治三十七年四月十三日、我が東郷大提督の艦隊が、大挙して旅順港口に迫ると、敵将マカロフ提督は、これを迎撃しようとして、慌てて、命令を下して、其の旗艦(艦隊の指揮をとる艦)ぺトロバフロスクを港外に進めましたが、武運が拙なかったのでしょうか、我が沈設水雷に触れて、巨艦は一爆、提督もまた、艦と運命を共にしたのでした。)
 
嵐よ黙りなさい、闇を打つその翼や、
夜の叫びも、荒磯の黒潮も、
潮に溢れている鬼神の泣く、呻き声も、
暫らく、唸りを鎮めなさい。全ての軍の
敵も味方も、あなた方の矛を地に伏せて、
今、(旅順港の)沢山の海水の響に、私が呼ぶ
マカロフという名のもとに、暫らくは、鎮魂の意を捧げください。
彼マカロフを沈めて、大昔から今に至るまでの浪も狂い、
弦月も遠くにあります、この旅順口は。
 
全てのものは、皆、声を潜めて、真冬の
落日の恐ろしいまでの力、人もいない大砂漠の
人を恐れさせる風も絶えるほどの、動かし難い滅びのように、
鳴りを鎮めて、ああ、今、天地に
充ちる無言の叫びを聞いてください。
聞け、-敗者の怨みでしょうか、暗い波濤の
世をひっくり返す憤怒でしょうか、ああ、そうではないのです、-
血汐を呑んで、空しく敗れた艦と
共に沈んだ旅順の黒い海の底、
彼マカロフの最後の瞳に輝いているのでしょうか
偉大な霊の力の鋭い生の歌が。
 
ああ、偉大なる敗者よ、君の名は
マカロフでした。物凄い死の波に
最後の力を振るった人の名こそは
マカロフでした。異国の孤独な英雄よ、
あなたのことを思っている、私は、(あなたからすれば)敵国の
東海も遠い日本の一詩人なのですが、
あなたの敵ですけれども、苦しい声を挙げて
高く叫ぶのです、(鬼神も跼づきなさい、
敵も味方も、あなた方の矛を地に伏せて、
マカロフの名もとに、暫くは鎮魂の意を捧げてください。)
ああ、偉大なるかな、この敗将は、軍神の
選びにも入っている露西亜の孤独な英雄なのです、
無情の風は、本当にあなたの身に
実に、無情の翼を広げたのです。
 
アジア東部の空に広がっている暗雲の
乱れ始め、黄海の波も荒く、
残った艦も、可哀想に(戦況は厳しく)旅順の水は(季節のみでなく)寒い状況なのです
影も寂しい母国の運命に、
あなたは起ったのです、神の名を呼んで、-
(それは)亡びの闇の叫びに振り返ったのでしょうか、
自分と自分の力に輝やく落日が
雲路にしばらくの勇ましさをもっていたように。
気力に満ち、勇ましいとしか言いようがありません、母国の運命を
担って、進んでその任に当たろうとする外国の人でもある、あなたの意気は。
あなたは立ったのです、旅順の狂風に
帆柱の先高く、太陽も射す、提督旗を掲げて。-
ああ、その旗も、悲しいとしか言えません、(沈没して)波間に捲きこまれ、
見る見る間に、あなたの母国の運命と、
世界を鎮撫するほどの力も海底に
沈むものとは、ああ、神も人も知らなかったのです。
 
(ぺトロバフロスクの沈没した)四月十三日は、日は照らず、
空は曇って、乱雲の様も凄まじく
元の天に帰って行く、都から遠く離れた土地の朝の海よ、
(海も狂えよ、鬼神も泣き叫べ、
敵も味方も、あなた方の鋒を地に伏せて、
マカロフの名のもとに、暫らくは跼づいてください。)
沢山の雷が波に躍って、巨大な軸を
砕くとばかり響いたその瞬間に、あの著名な
黄海の王者、世界の大艦ぺトロバフロスクも
崩れ傾いたのです、天地の海の暗い底に、
血汐を浴びて、腕をもぎ取られて、
限りない憤怒、怒涛の勝ち鬨が
渦巻く海に瞳を凝らしながら、
大提督マカロフは静かに沈んでいったのです。
 
ああ運命の大海や、永遠の
憤怒の頭を持ち上げている死の波よ、
一日、旅順に荒れ荒れて、千年の
恨みを遺した私密の黒潮よ、
ああ、お前達は、このようにして、この世の何時何時までも、
生と希望と意力とを呑み去って
人知では知ることのできない遙かに暗い界に閉じこめて、
ああ、どのような、どのような証を『永遠の
生の光』という言葉の中に、物事の道理を示すと言うのでしょうか。
あなたが、迫害にもろくも沈んで行く
この世この生は、本当にあなたの目に
映ったように価値なきものだったのでしょうか。
 
ああ、どうにも仕方がないことなのですね。歴史の文字は皆
既に千年の涙に潤っています。
潤っています。今また、マカロフの
偉大な名も、私の熱涙に(潤っています)。-
彼マカロフは沈んだのです、限りなく暗い海の底に。
偉大な霊の力が籠もっている其の胸に
永久に絶えることのない悲痛の傷を受けて、
その重傷に世界を泣かせて。
 
私は、本当に惑ふのです、地上の長い栄と滅びとは、
力を仰ぐ、情ある涙にこそ、
仰ぐ力に断たれることのない永生の
流転を現す、尊い閃きなのでしょうか。
ああ、そうであるのなら、私の友マカロフよ、
詩人の涙は熱いものですから、あなたの名の
叫びに籠もっている力に、願くは
あなたの名、私の詩は、共に、滅びることのないものとして
そうした慰めをもって、私はこの世に闘おうと思うのです。
 
水無月(六月)の暗い夜半の窓に凭りかかり、
灯りに背中を向けて、静かにあなたの名前を
思うと、私は、音のない狂瀾の内にいる思いで、
親しくあなたが渦巻く死の波を
制御している最後の姿を覩るように、
自然に頭(かしら)は垂れ、熱涙が止まることがないのです。
あなたは、もう逝ってしまいました。しかし、(肉体的には)逝っても、
本当の意味では逝っていないのです。
その偉大な心は永遠であり
偉大な霊を仰ぐ心は、絶えることはないでしょう。
ああ、夜の嵐、荒磯の黒潮も、
敵も味方もその額を地に伏せて
火焔の声を挙げて、私が呼ぶ
マカロフという名のもとに、暫らくは、鎮魂の意を捧げください。
彼マカロフを沈めて、大昔から今に至るまでの浪も狂い、
弦月も遠くにあります、この旅順口は。
               (明治三十七年六月十三日)


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