盛岡タイムス Web News 2011年 1月 22日 (土)

       

■ 〈賢治の置土産〜七つ森から溶岩流まで〉195 岡澤敏男 「若い木霊」からタネリに

 ■「若い木霊」からタネリに

  「サガレンと八月」の胚(胚葉)が「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」(以下「タネリは」と略す)へと完結する発生過程には、ヘッケルの反復説ではないが幾段階かの先駆的な作品の連枝がみられる。「タネリは」のもっとも近い祖形(先駆作)に「若い木霊」があり、さらに「若い木霊」に「若い研師」、「研師と園丁」という先行する未完の草稿が存在するのです。それらをヘッケルの系統樹に準じて配置すれば「サガレンと八月」の胚は「若い研師」↓「若い木霊」↓「タネリと」へと進化する連枝として描かれ、その一方で「チュウリップの幻術」は「若い研師」から分岐し「研師と園丁」を経て進化した系統とみられるのです。

  「サガレンと八月」の「胚」が系統進化を特徴づけるものは、祖先に得られた派生的な形質を共有することにある。

  その形質とは「若い研師」の冒頭に出現する「鴇」や「やどりぎをつけた栗の木」、「かたくりの花や緑色の葉に点滅する紫色の文字」そして「桜草の花」という自然の風物で、「若い木霊」はその形質を共有しながら「柏の木」、「蟇(ヒキガエル)」など形質の複雑さを付加させながら〈胸がはじけそうになる〉思春期の心理をゆたかに描写しているのです。

  「若い木霊」の終末に出現する「暗い木立」は「大人社会」を暗示し、いまだかつて聞いたことのなかった「怒鳴りや叫び」が反響して来て若い木霊に不安を与えます。そして、その森の中から「まっ青な顔の大きな木霊」が「瑪瑙のような眼玉」をきょろきょろさせながら迫って来るので若い木霊は風のように逃げて行くのです。

  賢治は「サガレンと八月」で「胚」のまま中断した少年タネリ像を、岩手山麓を舞台にして繊細に交感した早春の形質を「若い木霊」と共有反復させながら、「タネリはたしかにいちにち噛んでゐたやうだった」において再現したのです。

  しかしこの「タネリは」には「若い木霊」が自然の新奇さ、意外さ、複雑さを感性的にとらえるのに対しより理性的に描きわけているのです。例えばかたくりの葉に点滅する模様を「若い木霊」は「はるだ、はるだ、はるの日がきた」と判読するのに対して、「タネリ」は「太陽(てんたう)は、丘の髪毛の向ふのはうへ、かくれて行ってまたのぼる。そしてかくれてまたのぼる」と判読するのが象徴的事例としてみられる。

  すなわち「若い木霊」にとって早春とは「そらでも、つちでも、くさのうへでもいちめんいちろん、ももいろの火がもえている」季節の到来で「若い木霊ははげしく鳴る胸を弾けさせまいと堅く堅く押えながら」歩き、また桜草が「空はもうすっかり鴇の火になった。さあ鴇の火になってしまった」とつぶやくのを聞いて「若い木霊は胸がまるで裂けるばかりに高く鳴り出し」びっくりするのです。

  この精神的な動悸(どうき)こそはまさしく「春のめざめ」のシンドロームだったのでしょう。これが「若い木霊」のモチーフとみられます。

  「タネリは」には「春のめざめ」を呼ぶ桜草もなく「水ばせう」や「牛(ベゴ)の舌」(ザゼンソウ)を早春の景物として出現させているのが注目される。タネリ少年にとって早春の到来は、「おいらはひとりなんだから、おいらと遊んでおくれ」と訴える孤独感がモチーフとなっているのです。

 ■「若い研師」(「若い木霊」の先駆稿・抜粋)

「やっぱりあいつの言った通りだ。鴇の火といふものかも知れない」研師はそこを去りました。次の丘には栗の木があちこちやどり木のまりをつけて立ってゐました。そのまりはとんぼのはねのやうな小さな黄色の葉から出来てゐました。その葉はみんな遠くの青いそらに飛んで行きたさうでした。研師は堅く胸を押へながら次の窪地に来ました。そこには一面かたくりの花が咲いてゐました。研師の目にはそのうすむらさきのやさしい花がぼんやりしてよく見えませんでした。却ってそのつやつやした緑色の葉の上に次々せはしくあらはれて消えて行く紫色の文字を読みました。

「はるが来た、はるが来た、はるの日が来た」字は一つづつ息をついてゐるやうに消えたり又あらはれたりしました。

「そらでもつちでもくさの上でもいちめんもゝいろの火が燃えてゐる」
若い研師は激しく胸を弾けさせま(二字不明、以下原稿数枚なし)まり熱くて吐いても吐いても吐ききれないのでした。(以下略)


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