盛岡タイムス Web News 2011年 2月 2日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉214 伊藤幸子 「二ン月や」

 ニン月やひたひたひたと締切りが
             滋酔郎

  やっと節分、立春の2月を迎えた。思えば浮き足だったジングルベルの師走から「ゆく年くる年」「こぞことし」と季節のあいさつ、枕ことばも変わりばえのしないものばかり。その誰もが知っている名句を、江國滋さんの「きまぐれ歳時記」に読んで己が不明を恥じ、年初めにひとつ知恵袋の嵩(かさ)が増えたかと笑った。

  「去年今年貫く棒の如きもの・昭和25年、虚子76歳の作で昭和を代表する名句中の名句。だからこそ多くの歳時記編者がこぞって採録しているわけだが、すべての歳時記に載っているのならいまさら載せることはない。…」として、「おん脈よおん体温よ去年今年」滋酔郎さんの句が並ぶ。他ならぬおん自ら「名刺がわり」と言われる江國氏ご本人の作である。昭和64年新春は昭和天皇のおん病篤く、まさにこの句の通りの明け暮れだった。毎年の慣用句として引かれる古い革袋ではなく、鮮やかに皆に共通の風景が見える「去年今年」だ。

  さて2月、滋酔郎さんの解説によれば「俳句ではニン月とも用い、四ン月もある。だったら五ン月、九ン月と呼んでもよさそうなのにそれはない」と言われ、私もことあるごとに「二ン月」の例句をさがしているが不明。氏は、文筆業で31日と28日締切の差を述べる。「ひたひたひたと」になんともいえない焦燥感があり、逃げる2月が惜しまれる。

  「二ン月はわが生まれ月…」滋酔郎さんなら何と納められるだろう。私は日頃、覚えにくくて忘れやすい失敗ばかりくり返し恥のかきっぱなし。さながら結句は「恥多し」で決まりか。あれ?「命長ければ恥多し」と言ったのは荘子ではなかったか。いつとはなしに心に刻み、それは長く生きていれば恥も多くなろう等と当然の通俗言と軽く考えていたものだ。

  しかしものの本によれば、昔、堯が華の地を巡視したとき、村人が堯の寿命と富と子孫繁栄を祈ろうというのを辞退。曰く「子多ければ心配多く、富めば事多し。命長ければ恥多し」と応えたという話。諸説あるが荘子はこれを「三患至るなく、身常に殃(わざわい)なければ何の辱(はじ)かこれあらん」と諭したとされる。ことしはあまりの大雪に疲れて初夢の覚えもない。夢も見ぬ熟睡の夜を重ねて、長生きも芸のうちと心得て、恥多き長命を祈りたいと思う。
(八幡平市、歌人)


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