盛岡タイムス Web News 2011年 2月 16日 (水)

       

■ 〈口ずさむとき〉216 伊藤幸子 早春花

 遠き日の遠さ見つめる夜寒かな
              台水

  「台水吟。台水といってもどんな俳諧師だったのか知る人はおそらくないだろう。そのはずである。台水とはさんずいに台、つまり私の名前を二字に分解した冗談まじりの俳号にすぎない」として、作家高橋治さんの著作集はさまざまな花の色、風の色に彩られて読者を心地よく酔わせてくれる。

  氏は昭和59年から朝日新聞日曜版に「くさぐさの花」のコラムを持たれ、季節の花と俳句と目のさめるような文章を掲載されていた。「一回が四百字そこそこの短文なので、一字の節約や取捨選択に七転八倒することがある。古今の名句の中からあさるのだから、拙作を混入させるなど不遜のきわみ。しかし花の日程が決まっているので、恥は承知で拙作でとり繕うこともある」と、密かに舞台裏を明かされる。

  ところがこの台水吟がおもしろい。「なにもかも昔の秋の深さかな」の久保田万太郎作品を引き、これは立ちどまる句だと解かれる。こうして二作並べると、限りない生命の連鎖が見えてくる。作者は昭和4年の世界大不況の年に生まれ、五・一五、二・二六事件の嵐の中で成長された。立ちどまり、自然の移ろいに目をやれば確実に己が身に積む時の嵩に気付かされる。今のこの日がたちまち「昔の秋」に変わる迅(はや)さ。立ちどまって見えてくる生の輝き。

  「閨(ねや)の灯に影ほの揺るるシクラメン」台水さん、「この花には強烈な別名がある。曰く〈豚の饅頭〉など」としてその口直しに艶っぽくご自分の句を入れられた。おみごと。うつむいて、耳まで紅く染めた閨の花の初々しさに言葉もない。「シクラメン花のうれひを葉にわかち」こちらは万太郎さんの句境。「心臓形の葉を叢生(そうせい)し、そこから立つ花茎に蝶形の篝火のような花をつけ早春花として親しまれる」と、ずい分と心情的な解説をつける歳時記もある。

  温暖の地、千葉生まれの氏が旧制第四高等学校に進み、金沢の雪を体験される。昭和22年の冬、食料事情の悪化で2月に帰郷された。その折のすさまじい吹雪の体験や、のちに映画監督としての海外生活を経て、昭和60年、不朽の名作「風の盆恋歌」が誕生した。「二人の恋の究極は死、それも相対死。ラストシーンは純白の町で」と作者の長年の構想が結実した。「風の色散りて野末の桜草」台水さんの花暦、桜草の春が待たれることである。
(八幡平市、歌人)


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