盛岡タイムス Web News 2011年 2月 21日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉8 照井顕 レイ・ブラウンの時には幸福

 ジャズピアニスト「オスカー・ピーターソン」の名盤「ザ・トリオ」(1960〜61年シカゴ録音)のLP・B面2曲目の「サムタイムズ・アイム・ハッピー」(時には幸福)が当時、ラジオから流れてきたのを聴いた菅原孝少年は、「曲の中間での124小節にも及ぶ長〜いベースソロに、たまげでしまった!」のだ。以来彼は、レイ・ブラウン(1926〜2002)を神とした。

  そして「ブラウン」の名を冠したジャズ喫茶を水沢市の吉小路に開いたのが74年。21歳の時だった。当時はジャズ喫茶全盛時代とはいえ「カッコばっかり、の人が多かった。いわゆるホヤモノョ」と厳しかった彼も、家庭事情から9年後の83年に店を閉じた。

  70年代、レイ・ブラウン来日のたびに親交を深め、閉店5年後の88年の12月には、店のお客さんだった洋子さんと結婚。式の当日、来日公演中だったレイ・ブラウンはもちろんのこと、彼の奥さん「セシル」さんまでもが、アメリカからお祝いに駆けつけてくれたのだった。その宴には僕もご招待され出席。感動的な結婚披露宴だったのを覚えている。

  家業だった「せんべい屋」。春から秋の「公園の売店」。冬期間の「日通」と体がいくつあっても足りないために23年間ものジャズ喫茶休業。それはもう、言い尽くせないほど「悶々」の日々。「なんだあアイツとバカにされれば燃える性質だから、今に見てろ!にっしぁたち」と思ってきて、2006年奥州市水沢の日高神社前に自宅兼店舗の家を建て「ジャズ喫茶・RAY・BLOWN」を再びオープンした。

  マイクロのプレイヤー。マッキントッシュのアンプ。JBLのスピーカー。天井までの壁一面に膨大な枚数がビッシリと収まっているレコード。それを再生する生粋のジャズ喫茶復活劇に、僕も激拍。

  久しぶりに店を訪れてみたら、僕の天女・穐吉敏子の「TOSHIKO」をさりげなくかけてくれた。うれしかったね。何せオスカー・ピーターソンに見いだされ、彼のサイドメンだった「レイ・ブラウン」と録音した穐吉敏子の60年程前のデビュー盤。孝と顕はビールでビバップ!
(開運橋のジョニー店主)

本ページ掲載内容の無断転載を禁じます
ホームページに関するお問い合わせ、取材に関する情報は
E-Mail:hensyuu@morioka-times.com
盛岡タイムス宛てにお願いします