盛岡タイムス Web News 2011年 7月 5日 (火)

       

■ 〈不屈の意志〉復興釜石新聞・川向修一編集長に聞く 復興釜石と歩みを共に〜その2

 釜石市では毎年、12月に市民によるベートーベン交響曲第9番の演奏会「かまいしの第九」が開かれる。川向さんは長年、かまいし第九の会の事務局を務め3年前から代表。釜石市合唱協会事務局長の顔も持つ。1978年、故・渡辺顕麿氏の指導のもと初めて市民による演奏会が開かれた際、取材したのが合唱にはまるきっかけ。この30年にわたる活動で培われた人脈が今回の新聞発刊の力になったという。

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  -なぜ、合唱と深く関わることに。

  川向 故・渡辺顕麿さんに圧倒された、というか、ほれてしまった。すごい人で自分を捨てて人のために尽くすような人だった。地域紙の記者には一緒にやらないと分からない、責任ある取材ができないというところがある。傍からであれば新聞記者は何とでも言える。でも地域紙の記者はずっと地域で生活していかなければいけない。評論家にはなりたくなかった。自分が責任ある立場で何か一つ持っていれば、地域に対する責任も生まれて自ずと記者稼業にもフィードバックする。記事の内容も変わってくる。

  「かまいしの第九」のオーケストラは一つの団体に頼むのではなく、毎年いろいろな方にお願いして、その年の釜石だけのオーケストラを編成する。そのマネージメントを30年近くやっている。合唱のことで会社に迷惑を掛けた部分もあったと思うが今回、それが生きた。新会社の代表社員を務める菊池征毅も合唱協会の会長。人とのつながりがなければ絶対新聞発刊なんてできなかった。

  -新聞制作を通して地域づくりにどう関わっていきたいか。

  川向 ありきたりだが、やはり「つなげる」ということ。人手不足で従業員も自ら新聞を配達しているが届けると喜ばれる。「ありがとう」と声を掛けられる。差し入れを用意して待っていてくれる家さえある。今はいろいろなメディアがあって一方的に受け取る情報はたくさんある。けれど新聞は直接、一戸ずつ届ける。特に高齢者は届けてもらえることがうれしい。届けることがすごく大切なことだと実感した。

  紙面に載せればどんな小さな情報でも釜石市民全員が知ることになる。情報を共有することでつながる。釜石にゆかりのある県外の人にメッセージ書いてもらうことによって釜石の中と外もつなげようとしている。市民の投稿もあり広告も増えている。新聞は貴重な媒体だと改めて感じる。これは地域紙でないと分からないうれしさ。

  -これからも合唱は続ける。

  川向 たんたんと続けていきたい。何も大げさにやることはない。12月に釜石高校で33回目の「かまいしの第九」をやることが決まった。震災で外からも注目され、ドイツの映画会社からドキュメンタリーにしたいという話もあったが断った。というのは自分たちが、これまでやってきた本来の形でなくなる恐れがあるから。これまでの30年間も常時、関わってきたのは20人ぐらい。続けるのは本当に大変なこと。そういう仲間だからこそ大げさにしたくないという思いがある。こういう状況の中でも変わらずに続ける。それが市民に対して着実なメッセージになる。震災前から、釜石東中が今年ステージに立つ番に決まっていた。彼らもさまざまな学校行事が中止になったが、合唱は全力でやる、ドイツ語で第九全曲を歌うと張り切っている。

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