盛岡タイムス Web News 2011年 10月 5日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉18 田村剛一 避難生活1

 わが家は、玄関扉と裏口扉が破損し、廊下が筒抜けになっているのを除けば、ガラス窓、外壁に少々の傷跡はあるものの、外観だけ見ると大被害を受けたような印象を受けなかった。

  ところが、中に入ってびっくり。足場がないほどのがれきの山。どこからどう入って来たのか、居間や仏間は集魚かごや定置の浮き玉、延縄(はえなわ)漁の縄、壊れた柱や流木、人力では運び入れたくとも入れられそうのない大きなものでいっぱい。足の踏み場もなかった。

  風呂場には、サメやイカなどの生もの。おそらく水産加工場から流されてきたものだろう。何か動いていると思ったら、フナムシだ。岩場にすんでいる虫まで家の中に侵入していたのだ。床から浸水跡を計ってみたら1・2b。

  がれきの山をかき分けて、2階に上った。ほとんど津波前と同じ。不思議なことに、あの大地震で何も倒れていなかった。よく見ると、1階にある神棚も仏壇もそのまま何一つ落ちていない。不思議な地震でもあった。

  これなら1階を片付けると、すぐ住めるようになるかもしれない。それで後片付けと、わが家の復旧作業に取りかかろうとした。しかし、それは不可能であることをすぐに理解した。

  電気や水道は停電、断水で使えない。泥水をかぶった電化製品は全て使い物にならない。電気は懐中電灯で済むとしても、水がなければ食事もできなければ、家の中の掃除、泥抜きもできないのだ。

  しかも、わが家は家は残ったものの孤立状態にあった。家の前には国道45号から分かれ、役場や関口方面に通ずる立派な道路が走っている。バスも通っている。

  ところが、この道路がわが家の前後で封鎖されていたのだ。わが家の向こう3軒両隣は全壊。

  国道付近からわが家まで100bは、数え切れないほどの人家が押し流されてきて、道をふさぎ、まったくこの道を上り下りすることはできなかった。

  そして上手、役場に通ずる道の所には自動車が横転し、その周りにがれきの山。人が1人通るのがやっとという状態。

  これでは後片付け用の水を運ぶこともできない。とにかく道路が開通しないと、家に戻ることも、後片付けすることもできなかった。

  それで、しばらくの間、おいの家を私の避難所に定めることにした。私のように、知人宅を頼って避難した人々もいる。ところが、この在宅避難が問題を抱えることになる。
(山田町)

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