盛岡タイムス Web News 2011年 10月 7日 (金)

       

■ 〈胡堂の青春育んだ書簡群〜学友たちの手紙〉45 ああまた罪多き二人相なり候

 ■瀬川深

  77 巻紙 明治35年5月1日付

宛 東京本郷区台町丗六番地東北舘方 野村長一様
発 盛岡市仁王小路古川端□□番□ 瀬川深
 
御別れ申してよりはやいく日尓相成り候ハバ筆とるさへ恐ろしくて御申訳なくて身おのゝき申し候、
御上京の砌りは必ず必ず停車場尓て御別れ申べくと存じ石川様と申し合して此の日は十二時頃より外出し、しばし逍遥の後片岡春渓氏から訪ひ、数回の談話尓耽り、ふと氣付いて時間を伺ひ申せし候処…あヽ遂尓罪多き吾等二人と相成り申候、今更申し上ぐるも誠鉄面皮の至りに候、御在盛の節は吾が眞の兄尓てもあるかの如く氣随尓御秘書御借り申し或るは御暇なきにも不関参上して雑談尓耿り或は文詩の御添削を乞ふなど随分乱暴のみ到せし者ハ今永く御別れ申し際尓御見送りも致さず…あゝ如何様尓御立腹なさるも如何尓御悪しみなさるも吾等尓は一言も無之候、
唯々日頃のみ情にすがりて御寛恕を御願ひ申もの尓候、

のみならず、御手紙被下候にも御返事たる差し出さず、今迄ずうずうしく延ばし怠り申し候事 実尓自ら呆るゝの外無之候、

かく罪多きものの筆より御言葉尓甘へて何かの事申上ぐるもますます罪まさるばかり尓候へ共、御朋友も御座なき此の日頃あまりなつかしき尓堪江で下らぬ事申上ぐべく候へば、之れのみ何卒御許し被下度候。上野とは如何なる処尓や芝とは如何なる所尓や耳尓はきゝ画には見候も、実際尓は知らんものながら花咲かば如何尓美しく又楽しく候はんと、空想致し居り候、さりながら田舎に於ける天然の眞景尓御目を洒され自然の所謂美とかを御味はいなされしあなたさま尓は、大俗なる都人士の目尓適ふやうなる上野芝の公園も唯俗趣とや映り申し候はん。今頃ははや散りも果て候はん、杜陵の花は昨日今日は丁度見頃と相成り公園などにも人出沢(多)尓相成り申し候、

されど天は惨酷にも咲き初めし花に大なる魔を下し候事は暴風尓候、しかも二日共人家も動く程の荒れ尓て、加てて雨も降り寒さも増り果ては雪さへも飛び候。今日は殊尓天氣和らぎ且つ招魂社の例祭尓て候へば人出も多く候、

先日は白羊会の例会を旧桜山の社務所尓開き申し候、集る者、箕人、白蘋、残紅、花郷、葉雨、三枝、松の舎、藤陵繁雄、及び生尓て候、藤陵とは今度東京より轉校せし人尓て筑前の人尓て候、和歌は服部先生に學びし由尓候、此日は雨少々降り夜に入りて止み候も眞のやみ尓候ひき、併し今の夜嬉しき事有之候ひき、了は夜の八時頃障子をあけ候所、池のほとりの松の五、六本立ち並び候処尓火を焼き居りし尓て候、

やみの夜尓半ば消江かゝりし火の草の間奈り、ちらちら見へ煙は赤く斜尓木立を縫ふて立ち登り松の幹は半ば朦朧と現はれ候、などとても生の筆尓ては及び難く候、

唯一寸とした事のやう尓は候へどその実景は誠に油絵尓ても見し事なき如きものにてその詩的なるその絵画的なる、その趣味多き会者九人思はず、嘆賞の声、拍手の音をたて候ひき、殊尓箕人君などは画技のなきを悔ひなされ候などあなた様尓ても御出てになれば到底御沈●(口ヘンに黒)なさるまじなど思はれ候ひき、蓋し出らる景は容易尓見られまじくと存じ室内の冷ゆるも知らさる程尓候ひき、それより作歌の撰評面白く散会せしは夜の十時頃尓候ひき、

此の櫻山の櫻樹はまだ莟尓候ひしか、晝尓仁王學校の生徒の運動会有之無邪氣なる唱歌と運動とに唯々見恍れ候ひき、此日は実尓幸福尓候、右の如き事の外哉、
今迄は知らして歌になど讀みたりし連●(走にょうに羽)と丁子とを実見致し候、あなた様尓は巳尓御存知に候へければ、説明は致さず唯々丁子の香と連●(走にょうに羽)の色とは忘れ難く候、筑前尓ては連●(走にょうに羽)を黄梅(わらばい)と申し候由、優しき名と存じ候、

生思ふ尓杜陵にて最も趣味ある座敷と伺はヾ自炊庵、鬼灯庵、旧櫻山の社務所と答ふるべく候、
前の二庵は今その景趣尓接する能はざるも後の方は猶望み次第に候へば嬉しく候、雄弁会は此頃は各級に理事を設けて盛尓擴張致し、来る四日に小沼尓於て総集会致す筈尓候、
杜陵吟社も盛なるべく候、白羊会は矢張り盛になり十首集續出致し候、
此頃生石川様よりみなわ集の埋木の話をきき増々音楽習ひたく相成り申候、石川様と相談致し候ひしか、石川様が唱歌の先生黒部教諭へ尋候処、教へ呉るゝと答へ候に付近日中尓幾分か了の楽譜一般尓ても究めたくと存じ居り候、

生は常々申せし通り俳歌は止むる決心致し候ひしが、再びやりたく相成りまたやり申候ひき、去りながら何うしても生は長詩の方趣味多く思はれて又々やめたく相成り候ひしが、断然やめず尓想湧き次第作る事と自分で決しおき候き、しかるに此頃生の僻心にや吟社の或る人と障意と云ふには無之候と少々不快を感じ申候ニ付殊尓俳句はあまり好ましからざるより俳句は断然やめる事に決心致し候、しかし是れは秘め事尓て、吟社へは不関焉的尓やるつもり尓候間、誰れにも御話しなされず被下度候、詩歌俳はりの材この趣味殆ど同じ事尓候へば何れをとるも敢へて文学を無視せしものとも云はれざるべきと存じ、専ら新体詩のみやるつもりに候間例の通り御教訓なし被下度願上候、

六〇五は及ぶ丈猪川様を御助け申して出すつもり尓候尚沢山有之候へ共あまり長々しく候、後尓申上くべく候、頓首
          (茱萸)瀬川深
敬愛する             拝
   野村様
 
  【解説】長一が盛岡中学校を卒業し、上級学校を目指して東京に向けて盛岡停車場から汽車で出発したのが、明治35年4月17日。

  手紙の冒頭「御上京の砌りは必ず必ず停車場尓て御別れ申べくと存じ石川様と申し合して此の日は十二時頃より外出し、しばし逍遥の後片岡春渓氏から訪ひ、数回の談話尓耽り、ふと氣付いて時間を伺ひ申せし候処…あヽ遂尓罪多き吾等2人と相成り申候、今更申し上ぐるも誠鉄面皮の至りに候、御在盛の節は吾が眞の兄尓てもあるかの如く氣随尓御秘書御借り申し或るは御暇なきにも不関参上して雑談尓耿り或は文詩の御添削を乞ふなど随分乱暴のみ到せし者ハ今永く御別れ申し際尓御見送りも致さず…あゝ如何様尓御立腹なさるも如何尓御悪しみなさるも吾等尓は一言も無之候」とある。

  石川一と瀬川深が盛岡停車場に長一を見送る予定だったが、つい話し込んで、時間を忘れ、気がついた時には、すで汽車が発車した後であった。このことを深くわびている。

  杜陵吟社の某氏との障碍で俳句を断然やめ、専ら新体詩のみをやるつもりなのでご指導をお願いしたいといっている。


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