盛岡タイムス Web News 2011年 10月 10日 (月)

       

■ 〈幸遊記〉40 照井顕 藤本真二のオーバートップ

 山口県周南市の藤本真二さんから、久しぶりの電話。5年勤めていた、とある大手製薬会社から、ようやく正社員として採用されることになり、来年から大阪本社に勤務することになったという。「おめでとう!」。そう言ったあとで、何歳だろうと数えてみたら彼もすでに46歳。

  かつて三陸町(現大船渡市)にあった北里大学の水産学部の学生だった頃、僕が陸前高田で開いていた、ジャズ喫茶・ジョニーにやって来て、コンサートを開いたことがある。その時の光景は、今でも覚えているが、集まってくれたお客さんに、持参した大きな袋から、インスタントラーメンなどを次々に出して配りながら「僕の歌を聴きに来てくれてありがとう!」と言って、皆を笑わせた。

  卒業時には、大学から採用感謝みたいなはがきが届いて、読んでみたら、藤本君がジョニーに就職することになっていた。ドッキリ!。彼の意志は本当だったが、ジョニーで人は雇えなかった。昼、製材所でバイトし、夜、ジョニーを手伝うこと3年。1本のオリジナル・カセット・アルバム「オーバートップ」を製作し、フォークシンガー・三上寛の縄文の唄旅(東北・北海道ツアー・ジョニープロデュース)の前座で唄い、デビュー!。三上さんはその時、買ったばかりの純手工ギター(ジョージ・ローデン)を彼に贈った。1989年のことだ。

  そのギターを持って彼は上京。「カンデラリア」という六本木にあったタンゴ歌手・高野太郎さんの店で働き、店がはねた深夜から夜明け近くまでは、ギターを持って、六本木交差点角に立ち、路上ライブを開始した。向かいの交番からはやめなさい。ヤクザからはいやがらせ。それでもただひたすら死に物狂いで、毎日毎日歌い続け通した3年だった。

  僕も何度か、そっと見届けに行った。つらいから辞めたいと深夜に泣きながら電話をくれたこともあった。でも彼はやり通し、その青春はビデオ作品にもなった。「憧れだった加藤和彦や内田裕也らさえも聴きに来てくれたことが、勲章なのだ!」と。その後、山口の実家に戻り店を開いていたのだが、道路拡張にあって閉店し、勤めに出ていた。
(開運橋のジョニー店主)

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