盛岡タイムス Web News 2011年 10月 29日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉37 田村剛一 がれき撤去

 自衛隊員や消防団員などの救出作戦により何人かの生存者が救出されたものの、日が経つにつれ、遺体救出が多くなった。時間の経過とともに、遺体発見も少なくなっていく。

  自衛隊のがれき撤去は、生存者救出から遺体救出へ。遺体発見も難しくなっていくと民間企業の重機による事務的ながれき撤去に向かっていった。

  津波後1週間目あたりから、重機の音が高くなってきた。家の前の道路のがれきが撤去され始めたようだ。それより早く役場に通ずる道を塞いでいた自動車やがれきが撤去され、やっと自由に役場や公民館に行くことができるようになった。それまでは、人が一人通れるぐらいの所を、やっとの思いで行き来していたのである。

  この道が開通(?)するまでは、大量の水の運搬もできず、家の後片付けも家の掃除も全くできなかった。この道が通れるようになり、古井戸から水を運ぶことが可能になり、家の後片付けに手をつけられるようになった。

  やがて、下の道から重機の音がばりばりという家の壊われる音と共に聞こえてきた。道を塞いでいた赤い屋根も、少しずつ動き出した。もう少しで、道が開ける。そう思ったとたんに、何か明るい希望が湧いてくる思いがした。この時ほど、道路が人の生活にとって必要なだけでなく、人の心も左右していたということを教えられたような気がした。道、それは人と人を結ぶ大切な絆でもあったのだ。

  家の大きな屋根が撤去され、がれきが片付けられていくと、目の前に展望が開けた。そこには、今まで、見たことのない風景が広がっていた。なんと、わが家から海が見えるではないか。今まで、家の陰にかくれて見えなかった海だ。前の家はすっかりなくなっていた。

  私の家は海から200b余りしか離れていない。小さい頃から、海の見える家に住みたい、そう思いながら子ども時代を過ごした。その思いは、今まで実現しなかった。平屋を建て直し、2階建てにした時には、前の家が、それ以上高くなっていたからだ。

  海が見えた。ところが、何となく、今まで見たかった海とは違うように思えてならなかった。同じ海なのに、津波は私の目に大きなダメージを与えていたのだ。その海を眺めながら、これからの生活が始まる。前のように心の通える海になるのはいつのことか。しかし、この町は海に頼って生きていかなければならない。あすからいよいよ家の後片付けだ。

(山田町)

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