盛岡タイムス Web News 2011年 11月 10日 (木)

       

■ 〈肴町の天才俳人〜春又春の日記〉43 古水一雄 とぎれいと(その2)

 再び「とぎれいと」に戻ることにする。
  叔父・寅三郎からお豊さんとの縁談を持ち掛けられたのは、1月の12日のことであった。
     
  お豊さん  
 
お豊さん
 
 
   (一月十三日)
    夜、痩柿君に一書を裁す、送らんと
   して竟に送らず、独り煩悶す、その文
   に曰、筆とらんとしてとらず日暮る、
   昨日下の橋の叔父来、問題は茲に初ま
   る、叔父語る、今度母や私や相談の上
   で、山陰のお豊さんを貰ふことにした、
   どうか貰つてハ呉れまいか云々、余ハ
   言下に之を断はつた、断ハらぬと余は
   日記を焼かねばバならぬ、日記を焼く
   時余は已に詩を解するの人でない、君
   之を知るや、君にハ未だこれ話さなか
   つた、
  
  すでに前述したように、下の橋の叔父・寅三郎から突如もたらされたお豊さんとの縁談である。

  お豊さんは、山陰の久保庄の別荘で暮らしている母・徳の姉・伊志の長女である。徳にとっては姪にあたり、春又春にとっっては従妹にあたる女性である。久保庄には何かと出入りをしていて、家事を手伝ったり母・徳の身の回りの世話をしたりしているのであった。年回りは春又春より4歳年下の19歳である。

  この縁談に対して春又春は二つの点から断りをいれている。一つには意中の女性がいることであり、もう1点はお豊さんが従妹であることからであった。

  ところで、春又春がお豊さんの風姿について間接的にふれた文章があるので取り上げてみたい。それは、「女学世界」の糸氏の「医学上ヨ見タル紫式部」なる一文への感想である。糸氏曰く、

   “式部ノ容貌、「余ハ思フニ我国人ノ所
   謂美人デハナイト思フ、我国人ノ所謂
   美人は色ハ白クテ髪黒ク頬ニホンノリ
   ト赤ミヲ帯ビ丈ハ細ソリト高ク口締リ
   歯白何トナクナヨナヨトシタ結核的の
   風姿ヲ指スノデアル、然ルニ式部ハ色
   モ浅黒ク筋肉モ比較的太ク、何ト無ク
   雄々シイ姿デ芝居ニ出ル千代萩ノ政岡
   的デアツタニ違ヒナイ、云々」ソー云
   ワルレバ余モシカ思フ、式部ヲ近親中
   ニ求ムレバ岩藤的ノ夫レお春様カ(夏
   草録・10月7日)”

  もちろん春又春はお豊さんの容姿を嫌ったわけではない。最も気がかりであったのは血族結婚となることであったのだ。

  意中の女性とつながりが途絶えてしまった後も、母には何度もお豊さんとの結婚を勧められているが、そのたびに拒絶している。そして拒絶に値する決定的な根拠を店の書棚から見つけ出したのだ。

  それはふと目に止まった民法書である。早速手にとって婚姻に関する条文に目をやった。その769条には確かに「直系血族又ハ三等親ノ傍系血族ノ間ニ於テハ婚姻ヲ為スコトオ得ス但養子ト養方ノ傍系血族トノ間ハ此限ニ在ラス」(梅謙次朗著「民法要義巻之4・親族編」明法堂1901・8)とあった。春又春は、母の落胆を慮(おもんぱか)りながらも、その民法書を手にお豊さんとの結婚を諦めるように諭したのであった。(通巻第36巻「梨下愁録」による)


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