盛岡タイムス Web News 2011年 11月 12日 (土)

       

■ 〈大震災私記〉47 田村剛一 無料電話1

 「家が助かった」と実感したのは、火災がやみ、心配なしに家の中をじっくり見ることができるようになってからだ。それまでは、自分の家も燃えてしまうのではないかと心配して、火事場から離れられなかった。それほどの火の勢いだった。

  「家が残った」と確信したら、息子や孫たち、そして、友人、知人の顔が浮かんだ。みんな心配しているに違いない。そう思いながらも、無事を伝えるすべはなかった。家の電話は駄目、携帯電話も全く役に立たなかったからだ。

  外部の人たちと連絡が取れたのは、内陸勤務のおいが帰宅した14日、家族や肉親の無事を確認してからだ。おいは、その日のうちに勤務地に戻った。おいのおば、私の妹、そして、おいの従弟たちに、無事を一刻も早く連絡しようとしたからだ。内陸では携帯電話が通じていたのだ。

  この一つの情報源から、私の無事は、いろいろな方面に伝えられた。友人の耳にも入ったようだが、それでも、直接声を聞くなり便りを受けるまでは安心できなかったようだ。でも、それは後で分かったこと、3月24日の日付けの友人からの手紙を見てそう思った。

  「今朝、東京の斉藤さんから電話連絡を貰った。『田村夫婦は生きている』と…。同封のハガキに君の字で『山田より』と書いて投函してくれたまえ。生きている証として」

  私は、「山田より」というハガキを出すことはなかった。この手紙が届く前に、この友人に電話を入れたからだ。

  NTTの無料電話が役場庁舎脇に設置されたのは、3月15日と言われる。それを知ってその場に向かったが、すでに長蛇の列。その日は電話をかけないまま帰った。

  私が、この無料電話を利用したのは、20日前後ではないかと思っている。人の多さで、2、3日電話をかけないで戻っているからだ。それに、私は待つことが好きでない性分でもある。

  でも、いつまでも、待つことが嫌いとばかり言っておれない。それに回転が早くなった。当初からそうだったか分からないが、一人2分という制限ができたからだ。

  この2分、待つ身には長かったが、かける身には早かった。
  「元気だからね。安心して」「心配しないで、みな大丈夫だから」。無事を伝える声ばかり。そんな声を聞いて思った。悲しい知らせをしなければならない人もいるはずなのに。つらい電話は人に聞かせたくないのかもしれないと。  (山田町)

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