盛岡タイムス Web News 2011年 11月 16日 (水)

       

■ 〈大震災私記〉49 田村剛一 半壊被災者の嘆き

 家族総がかりで後片付けをした結果、階下には畳敷きの部屋ができた。仏間だけは、泥のついた床板のまま。わが家の仏さまは、それぐらいは許してくれる度量持ちだ。

  畳敷きの部屋ができれば、少々不便でも、家族4人の生活はできる。そう思い、おいの家から移り住む準備にかかった。ところが、いざ、家に戻ろうとすると、そう簡単でないことに気づいた。電気も水道も通っていなかったからだ。

  水道は、給水車が家の近くまで来てくれていたのでそう困りはしない。しかし、電気はそうはいかなかった。電気がないと、飯は炊けない。風呂もトイレも使えないからだ。

  上手(かみて)には、前から電気はついていたが、どうしたわけか、私の周りだけがつかない。

  「田村さん、あなた東北電力にいやがらせを受けているんじゃないの」と言われた。まさか、核燃再処理工場に反対しているため、そんなことに…。

  すぐに役場に行き、早く電気を通してくれるよう頼んだ。ところが、「役場は忙しいので直接電力会社に…」と冷たい。東北電力に電話すると、その日のうちに下検分に来てくれた。

  「工事をしますので、その前に、水につかったソケットや配線を取り換えてください」と言われた。

  無償で電力会社がしてくれるものと思い工事屋に頼んだ。ところが、電気関係はすべて自己負担と言われ、当てが外れた。

  それからが大変。1階の電気製品、ガス製品は全て新しく買い替えなければならなかった。ガスメーターも給湯器も海水をかぶり使用不能。それがなかなか手に入らない。仮設住宅建設が優先され、半壊家屋には回ってこなかったからだ。

  それだけでは済まなかった。ガスコンロ、風呂釜、便器、冷蔵庫、炊飯器、テレビ、茶ダンス、食器棚…。すべて使えなかった。

  そうしたものの中に、支援物資として、役場に届いているものがたくさんあると聞き、役場に出向いた。

  「半壊家屋も被災者。いくらか、半壊者にも分配したらどうか?」と係に申し入れた。ところが返ってきた言葉を聞いてがく然とした。「支援物資が欲しかったら、仮設住宅に入ってください」と言われたからだ。

  「これから自立しようとするのに、物が欲しかったら仮設住宅に入れとは何ごとか」。私は席を蹴って部屋を出た。そう言われた人は私だけではない。

  役場は半壊家屋には冷たかった。同時に、こんな考えでは町の復興は難しいように思えた。
(山田町)


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