盛岡タイムス Web News 2011年 11月 25日 (金)

       

■ 〈大震災私記〉56 田村剛一 凄絶な光景1

 車が手に入るまでの私の行動は、たかだか半径200bほどの範囲しかなかった。車が手に入って、やっとその範囲を越えることができるようになった。

  避難所や遺体安置所に行くにしても、車を持っている知人に頼まないと行けなかったのである。だから、今まで書いた私記も、いってみれば、狭い範囲での体験、見聞録でしかない。それに震災跡の町を歩くのも怖かった。

  私の住む山田町は昭和30年代に旧山田町と大沢村、豊間根村、織笠村、船越村が合併してできたもの。今回、被害に遭わなかった所は、その中で、唯一豊間根。他の地区の沿岸部は、ほとんど壊滅的な被害を受けた。

  船越地区も大沢地区も大変だという話は耳にしていたが、車がなかったので、3月中は現地に行って見ることができなかった。いとこが、どこにいるかさえ分からなかったのである。

  車が手に入ったので、被害が大きいと言われる船越の田の浜地区に行ってみることにした。初めて、そこに至るまでの風景を見て、想像を絶する凄絶な津波だったことが分かった。

  町の中心地の南はずれ、郵便局の建物が目に入った。その屋上に漁船が乗っかっているではないか。こんな光景を目の当たりにしたのは初めて。これ一つとっても、今回の津波が、はるかに想像を越えるものであったことが分かる。今は亡き明治生まれの祖母や父から、津波の話は聞いたことがあるが、山田で、船が家の屋根の上に乗っかった話は聞いたことがなかったからだ。

  この郵便局から織笠に向かう道が坂になっている。ここが昔、三本小松と言われたところだ。津波避難所の一つ。この坂道を津波は越えたという。そのため、避難所だから大丈夫と思い、避難しなかった人たちが、何人か犠牲になっている。前町長もその一人。交通指導員の隊長をした女性も夫婦で亡くなった。避難所に指定されている所さえ襲った津波であった。

  そこから坂道を下ると細浦地区に出る。左奥にあった防潮堤が、ごろごろ転がっている。もちろん、その付近の家は一軒もない。ここは、チリ地震津波の時にも、大きな被害を受けたが、その比ではなかった。ここでボート部員だった教え子の両親が犠牲になった。

  そこから織笠大橋に向かった。漁協の建物と辛うじて全滅を免れた建物が数軒建っているだけで、他は跡形もない。織笠の中心部を見て、言葉を失った。家がない。叔母の家を目で追ったが、それらしい建物はなかった。チリ地震津波の時にも全壊した叔母の家。どこかに避難しているとは聞いているが、どこにいるのか。目と足が悪いだけに気がかりだった。
(山田町)

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