盛岡タイムス Web News 2011年 11月 30日 (水)

       

■ 〈古都の鐘〉49 チャペック・鈴木理恵 これがメルクス先生のウイーンメソッド

     
   
     
  バイオリニスト、アルフレッド・メルクス―若い頃は日本にもよくいらしていたから、ご存知の方も多いかもしれない。今80を過ぎてなおその活力は衰えず、バイオリンに指揮に楽譜の校訂に忙しくしておられる。

  メルクス先生とのつきあいは、もうかれこれ5、6年になる。きっかけはモーツァルト。バイオリンソナタを当時のオリジナルの楽器で、というシリーズの演奏会だった。それ以来、バイオリンが入った曲のみならず、ピアノのソロでも曲が一通り仕上がると聴いてもらったり、一緒に演奏会をさせてもらったりしている。

  ウィーン近郊バーデンにある本宅は、その名もヴィラ・メルクス。100年前から暦が止まったかというくらい、アンティークに囲まれたすごいお屋敷だが、ウィーン2区ドナウ運河沿いの大きな大きなアパート…その昔、アーノンクールがチェロを担いで駆けつけたという…も、まるで美術館のように、素敵な家具や食器、絵画、そして年代物のピアノのコレクションであふれている。

  そのひとつ、シューベルトの時代のオリジナルの楽器で、いつだったか即興曲を弾かせてもらった。作品90/2、冒頭からの流れるような右手のパッセージを、当時指が走るのに任せて弾いたのだろう。「なんでそんなに早く弾くのかな?シューベルトのアレグロだよ」先生は笑みをたたえながらメロディーを歌う。ソシラソファミレドシ、ラソファミレドシドレ…。そこには弾き飛ばしては見えてこない音の風景とでもいうもの、ここに3度があって、下ったらここでターンしてといった、メロディーラインの味わいがあった。ハーモニーの変化を味わえるゆとりがあった。シューベルトのアレグロ、200年前のウィーンのアレグロは、現在のアレグロとは、当然のごとく感覚的に大きな開きがある…。

  先生のいにしえのお弟子さんから聞いた話。先生がまだウィーン音大で教鞭(べん)を取っていた頃、ある日フランス人の女学生がブラームスのコンチェルトをレッスンで弾いたそうな。その演奏は彼女のほっそりとした体つきにも似て、繊細できれいだがいかんせんボリュームに欠けていたらしい。

  メルクス先生は一言。うん、なかなかよろしいが、でもねえ君、今すぐ下の食堂に行って、シュヴァインスブラーテン(豚の塊肉を焼いたもの)にセンメルクヌーデル(パンのお団子)を食べてきなさい。そしたらもっとそれらしく弾けるようになる。シュヴァインスブラーテンにクヌーデルは、ウィーン料理の重いほうの定番だから、これこそ真のウィーンメソッドだと周りは笑った。

  次はわたしの内緒の話。目のお悪い先生がカフェハウスにメガネを忘れてきたというので、店の電話番号を調べている。細かい文字に難儀している先生に代わって電話帳を繰ってあげると感激したようで、あなたのような女性を恋人に持つ男は幸せだね、本当に彼氏いないの?(当時はいなかった)とお世辞、そして頬に接吻(せっぷん)、ウィーンではこうするんじゃ。これで皆うまく弾けるようになる、とウインクする。そうか、こういうのもウィーンメソッドなのだと、苦笑いのわたしであった。

  こんな冗談も先生だからなんだか許されるし、またそれが軽薄の手前でチャーミングになる。それは先生の演奏、レッスンでの言葉、またその也が醸し出す風格、威厳というもののなせる業なのだろう。

  以前受けた、クーナウの聖書ソナタやビーバーのローゼンクランツソナタのレッスンでは先生の宗教観、ひいてはヨーロッパ人が抱く宗教の大きさに触れ、畏敬を覚えた。ここのコラールは、そんなもんじゃない、ハオプト・ウント・ブルート、体と血だぞ、キリストが私たちのために流した血だぞ、と目を剥(む)いて話された。

  往年に比べ昨今の演奏家たちは、前回のピアノの話と同じように、ソツないけれど何かしら気骨に乏しい。余談ながら、昨夜聴いたある若手ピアニストの演奏会も、CDのようにミスなく弾くけれど語りがない。音の羅列よりも、彼の目から見た曲のドラマをわたしはもっと感じたかった。昔の音楽家は、ピアニストを見渡しても、シュナーベル、バックハウス、アラウ、ケンプ…皆それぞれが高く突き出た山のように、本当に強烈な個性があった。

  世の中、グローバリゼーションが進んで多くのことが便利になった一方、わたしたち現代人は濾(ろ)過され消毒された都会の水みたいにのっぺりし、面白みに欠けてきているように思える。メルクス先生の傍にいて、ただ笑い話を聞いているだけでも、そのオーラからセンスから、何か世の中が失いつつある貴重なものがそこに流れているのを感ずるのである。

  「僕が初めてベートーベンのコンチェルトを弾いた時は大変だった。誰それの代役が急に決まって心配で夜も眠れなかった。高名なオケに指揮者、何千人もの耳の肥えた聴衆、怖くて怖くて祈ったよ。ああ神様助けてください、助けてください…。そのうちふっと、こんなことしてたってしょうがない、とにかく弾いて、そのギャラで明後日は大好きなくるみのケーキを買おうって思ったのさ」なんと微笑みを誘う言葉ではないか。
(ピアニスト)

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